SLばんえつ物語
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SLばんえつ物語
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会津若松駅で発車を待つC57 180 | |
種別 | 臨時快速列車 |
運行開始 | 1999年4月29日[注 1] |
運営者 | JR東日本 |
路線 | 磐越西線[注 2] |
始発駅 | 新津駅[注 3] |
終着駅 | 会津若松駅 |
営業距離 | 111.0km[注 4] |
停車駅数 | 10駅(上り列車) 9駅(下り列車) |
クラス | 普通車・グリーン車(いずれも全車指定席) |
車内設備 | 展望スペース[注 5] 子供スペース[注 6] ポスト[注 7] 売店[注 8] |
車両 | C57形(180号機) 12系(SLばんえつ物語仕様)[注 9] |
SLばんえつ物語とは、1999年よりJR東日本が運行している臨時列車。
- SL単独で牽引する旅客列車では日本最長の列車である(機関車1両+客車7両)。
概要[編集]
- 毎年4月~11月の土休日をメインに運転される。尚、機関車・客車それぞれ1本しかなく、所要時間も片道3時間かかるため、運転間隔は1日1往復のみ。
停車駅[編集]
沿革[編集]
前史[編集]
- 1996年、D51形498号機及びC58形363号機による団体列車SLえちご阿賀野号が運転。(1998年まで運転された。)
- これを皮切りに、当時新潟県新津市のある小学校にて静態保存されていたC57形180号機(以下C57形)を動態復元する機運が高まった。
- 1997年にはC57形を復活させる団体が結成。彼らの努力は実り、翌年に復元工事を開始した。[注 11]そして、1999年3月24日に復元工事が完了し、30年ぶりに車籍が復活した。
- 客車側はというと、1977年に新潟鐵工所にて製造された12系6両[注 12]が酒田リニューアルセンターにて改造された。
- この2つの列車がタッグを組み、1999年4月29日に“SLばんえつ物語号”として運行を開始したのである。
6両から7両、そして新潟駅乗り入れへ(第一期)[編集]
- 運転を開始した当初、客車は6両編成で車体はチョコレート色を基調としたカラーリングであったが、その翌年に転機が訪れた。
- 3月には内装がリニューアルし、7月にはD51形498号機と共演。12月には現在の4号車(展望車)が増結された。[注 13]これ以降、原則機関車1両+客車7両と言った組成となった。
- 2002年からは新幹線との接続を考慮し、新潟駅発着に変更。[注 14]また、同年3月からはSL村上ひな街道号の運行を開始。運行路線もある程度持つようになった。
- 2003年に入ると、ヘッドマークが月ごとに変更される仕様に。しかし、この年の冬にC57形のボイラーに不具合が発生。[注 15]これを皮切りに、C57形の不調が徐々にあらわれるようになる。
- 2004年の運行では、C57形は先述の不具合から一部機器の使用を制限する形で運用に就いた。しかし、この年の10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で一時的に運休。その後ディーゼル機関車牽引による救済臨時列車を11月上旬まで運転されることとなった。
- 2年後の2006年10月末にC57形が復活後初の全般検査のため、大宮総合車両センターに入場。この年の11月はDD51形895号機、DD53形2号機、D51形498号機の3両がC57形の牽引代行を務めた(クリスマストレインは全般検査のため、運転されなかった)。
- また、12系の方も同年11月に運転終了後、C57形の全般検査と平行してリニューアル工事を実施した。
門鉄デフと過渡期のオリエント急行(第二期)[編集]
- 2007年4月、C57形の全般検査が完了し、大宮総合車両センターを出場。客車もリニューアル工事が完了し、[注 16]4月28日より運転を開始。
- この年から、短期間限定であるもののC57形に装備しているデフレクターを門鉄デフに変更して運用に就くと言った運転が行われた。
- 2008年からは列車名を現在の名称に変更(SLばんえつ物語号からSLばんえつ物語に)。
- 2010年に入り、この年の7月31日に運転開始から累計して900日を迎えた。しかし、同年12月に大雪が降り、この年のクリスマストレインは上り列車(会津若松方面)のみの運転となった。これを機に、来年以降のクリスマストレインは12月前半に運転される形となった。
- 2011年3月11日、東日本大震災及び福島第一原発事故が発生。これにより、4月に予定されていた運行は取り止めになった。その後、約半年に渡る臨時列車を経て、同年10月に運転再開。
- その翌年、ヘッドマークのデザインが公募式で選ばれるようになったと同時に、客車の5号車がオコジョルームに改装された。
- 同年11月からは、12系の全般検査が施行。11月下旬は4両編成で運転され、クリスマストレインは気動車が代走を行った。
森と水とロマンの鉄道としての裏で(第三期)[編集]
- 2013年4月、12系の全般検査も終わり、運転が開始されたが、この年からは7号車(スハフ12-102をスロフ12-102に改造)をグリーン車に格上げして運転されることに。同年11月には1号車(スハフ12-101)にも改造を施され、翌年4月に外観・内装共に生まれ変わる形で運用を開始した(この2両の改造の詳細は後述参照)。また、この年から現在の塗装に変更されている。
- このような形で、年を重ねる度に3回進化(?)を遂げている[注 17]12系だが、相方のC57形はその真逆であった。
- 特に重大な故障を引き起こしたのが2013年10月のことであった。
- 事の始まりは、10月13日に運転されたときに排気不良が発生したことであった。当日の夜修繕が行われたが、翌日になっても一向に良くならず、結局この日は上り列車のみの運転に終わり、下り列車はDE10形1124号機が代走を行うことになった。
- この故障の原因はシリンダーにあり、C57形は半月間修繕のため、運用を離脱。その期間DE10形が代走することとなった。
- 2014年10月~2015年7月の期間は、C57形の全般検査に伴い、DE10形(DLばんえつ物語)やC61形20号機(C61ばんえつ物語)が代走を担った。
- そして、2015年7月に通常運転を再開。同年12月にはSLクリスマストレインが運転されたが、この年のクリスマストレインは12月始めに運転されたこと、降雪量が少なかったことがあり、実に4年ぶりの往復完走を果たした。
- ところが、2017年の定期便を最後に新潟駅の乗り入れを終了。2018年からは運転開始当初の運行区間及び停車駅に戻された。[注 18]
- 乗り入れが終わっても尚、C57形と12系は良好な状態で運用に就いていたが、2018年7月13日に故障が起こった。シリンダーの排気不良による故障から実に5年後のことであった。修繕期間は1年を要し、その間DE10形1680号機&1700号機による代走が行われた。
- 2020年上半期は新型コロナウイルス感染症が世界規模で広がったため、運転は取り止めとなった。
- また、2022年夏には豪雨により濁川橋梁が崩壊。C57形の全般検査も相まって1年間運休となった。
- 2023年の運転では、8月8日にC57形の製造77周年の記念に伴い、喜寿と書かれたヘッドマークを掲げて運転された。
使用車両[編集]
機関車[編集]
- C57 180
詳細は「国鉄C57形蒸気機関車180号機」を参照
- 1946年に三原工場にて落成し、廃車になるまでの23年間新潟を拠点に活躍。新津市の小学校での30年間の静態保存を経て、1999年に動態復元された。
- 復活したときから一貫してSLばんえつ物語専用牽引機として活躍。しかし、年を重ねる度に(なるべく原型を留める程度ではあるものの)、機器類の交換や装備などのマイナーチェンジが施されている。マイナーチェンジに関しては以下の通り。
- 復元当初は引退したときの形態をベースに、前照灯(サイズ・光量共に大きいタイプ)や運転台屋根(東北・信越地区ではデフォルトであった延長型)の交換を行い、ランボードに白線、砂箱に手摺を加え、新規に重油タンクや列車無線アンテナ、温度センサー(全車軸に配置)を装備した。また、炭水車には旧保存先の小学校から贈られた記念のプレートを装備している。
- 2003年に施行された重要部検査では、煙突飾帯と非公式側ランボード上の罐水清浄装置を撤去し、先輪を一体圧延型車輪に交換するなどの作業が行われた。
- 2006年~2007年に施行された復活後初の全般検査では、保安装置をATS-SN形からATS-Ps形に変更。[注 19]
- 2011年に行われた重要部検査では、整炭作業の効率を上げるため、炭水車非公式側に梯子を追加。また、旋回窓や速度計の変更も行われた。[注 20]
- 2013年には炭水車の改良が行われた。[注 21]
- 2016年にはデジタル無線装置を装備。
- 2020年にはATS-P形が導入。これに伴い、炭水車後部に電源機器の追加、タービン発電機とATS発電機を現役時代の物から大型の物に交換され、従来より厳つい見た目になった。
- 2023年の全検出場では、装飾がほとんどない姿で出場。翌年に軽く装飾を施して今に至っている。
- 基本単独で客車を牽引するが、団体列車によっては補機がつくことも。
客車[編集]
- 12系
- SLばんえつ物語専用の客車として、1999年に改造。当初はチョコレート色を基調に、窓周りをクリーム色に塗装変更され、車内も床や壁を木目調のものに変更した6両の客車(スハフ12 101&102、オハ12 313~316)が使用された。
- 翌年にはスハフ12 160からの改造車であるオハ12 1701が4号車に組み込まれ、7両編成になった。
脚注[編集]
- ↑ 当初はSLばんえつ物語号として運転。2008年に現在の名前に改称された。
- ↑ 2002年~2017年の間は信越本線に直通し、新潟駅まで運転された。
- ↑ 2002年~2017年の間は新潟駅が該当。
- ↑ 信越本線直通時は126.2km。15km短くなったが、依然とSLで運転される旅館列車では日本最長である。
- ↑ 1号車、4号車、7号車
- ↑ 1号車
- ↑ 4号車
- ↑ 5号車
- ↑ 外観は3種類あるが、2025年現在は2013年~2014年に施行された形態となっている。
- ↑ 上り列車のみ停車。下り列車は信号の都合上、有効長が短いホームに入線してしまうため、原則通過。
- ↑ 復元費用は2億円。莫大な費用だが、このうち半分はなんと市民らがオレンジカードを購入することで賄った。
- ↑ スハフ12-101・102、オハ12-313~316が該当。余談だが、1977年製の12系では最古参グループの6両である。
- ↑ 車番はオハ12 1701。種車はスハフ12 160であり(1978年に富士重工業にて製造)、先頭車両からの改造車(と言うよりは車体の新造だが)である。
- ↑ これ以前にも何回か新潟駅に乗り入れたことがあったが、定期運転としてはこれが最初である。
- ↑ このため、その年のX'masトレインは牽引機をD51形498号機に変更して運行された。
- ↑ 外観はそのままで、カラーリングがチョコレート色からオリエント急行を彷彿とさせる紺色に変わった。
- ↑ ごく普通の急行用客車→チョコレート色→オリエント急行もどき→グリーン車・展望車・イベント車のトリプルコンボ
- ↑ 新潟駅の在来線ホームが高架駅に変わる際、C57形の馬力では勾配がキツかったためである。しかし、新潟方面の接続列車は2025年現在存在するため、一応不便な状態ではない。
- ↑ これに伴い、炭水車に速度検出装置を搭載した。
- ↑ 旋回窓と速度計の変更は、ほぼ同時期に検査を行ったC61形20号機にも同じ変更が施された。
- ↑ 改良点としては、軸熱温度管理センサーのジャンパ栓受けの位置をD51形498号機などと統一、給水管を左右両対応に変更したことが挙げられる。