新幹線200系電車
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| 新幹線200系電車 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 運用者 | 東日本旅客鉄道 |
| 製造所 |
川崎重工業 近畿車輛 東急車輛製造 日本車輌製造 日立製作所 |
| 製造年 | 1980年 - 1991年 |
| 製造数 | 59編成700両 |
| 運用開始 | 1982年6月23日 |
| 引退 | 2013年3月15日 |
| 投入先 |
東北新幹線 上越新幹線 長野新幹線 |
| 主要諸元 | |
| 編成 |
8両 (8M / G・K編成) 10両 (10M / G・K編成) 12両 (12M / E・F・H編成) 13両 (12M1T / H編成) 16両 (14M2T / H編成) |
| 軌間 | 1,435 mm |
| 電気方式 | 交流25,000V 50Hz |
| 最高運転速度 |
210 km/h (E・G編成) 240 km/h (F・K編成) 245 km/h (H編成) 275 km/h (F90番台) |
| 設計最高速度 | 250 km/h |
| 起動加速度 | 1.5 km/h/s |
| 減速度(常用) | 2.6 km/h/s (0 - 70 km/h時) |
| 減速度(非常) | 3.9 km/h/s (0 - 70 km/h時) |
| 編成定員 |
749名 (10両K編成) 895名 (12両F編成) 1,235名 (16両H編成) 885名 (12両E編成) ※尚、編成組替が行われているため、総定員にはばらつきがある。 |
| 編成重量 | 697 t (F編成) |
| 編成長 | 250.3 m (10両K編成) |
| 全長 |
25,150 mm / 26,050 mm 25,000 mm (中間車) |
| 全幅 | 3,380 mm |
| 全高 | 4,470 mm |
| 車体高 | 4,400 mm |
| 車体材質 |
アルミニウム合金 普通鋼 (248形・249形) |
| 台車 |
IS式ダイレクトマウント空気ばね台車 DT201 (電動車) TR7002 (付随車) |
| 主電動機 |
直巻整流子電動機 MT201形 |
| 主電動機出力 |
230 kW (定格) 255 kW (1時間定格) |
| 駆動方式 | WN駆動方式 |
| 歯車比 | 2.17 |
| 編成出力 |
12,880 kW (16両H編成) 11,040 kW (E,F,12・13両H編成) 9,200 kW (10両G,K編成) 7,360 kW (8両G,K編成) |
| 制御方式 | [サイリスタバーニア連続位相制御]] |
| 制動装置 | 発電ブレーキ (チョッパ連続制御)併用電気指令式空気ブレーキ |
| 保安装置 | ATC-2型、DS-ATC |
新幹線200系電車とは、日本国有鉄道が開発した新幹線車両の1つ。
概要[編集]
- 東北・上越新幹線専用の車両として、962形をベースに製造が始まり、1980年秋にトップナンバーであるE1編成が落成。
- 設計としては0系をベースとしているが、寒冷地仕様となっているためスカート部分にスノープラウが装備されているのが特徴。制御装置はサイリスタ位相制御と、0系のタップ制御から刷新された。
- 尚、新幹線車両において一番最初に形式名を与えられた車両でもある[注 1]。
編成一覧[編集]
E編成[編集]
- 初期型。0系と同じくラウンドノーズ(通称・団子鼻)となっており、速度も210km/hである。
- 仙台第一新幹線運転所と新潟新幹線第一運転所に配置され、432両36編成(E1~E36)が製造されたが、後述するF・G編成の改番及び編成組み替えに伴い1993年に消滅した。
- 尚、E37~E39編成も落成する予定だったが、最高速度の向上など変更箇所が多岐に渡ったために、落成後後述するF編成の改番(F1~F3)が行われている。
F編成[編集]
- 標準型にして後述するH・K編成の種車。外観こそE編成とほぼ同じだが、最高速度が240km/hに向上していることが相違点。また、編成によっては先頭車両がシャークノーズだったり、275km/hを出すことができたり、デッドセクション及び交流60Hzの電化区間の乗り入れができたりと、バリエーションが豊富。
- F1~F3編成を含む252両21編成が新造され、後にE編成からの改造車もこのグループに編入された。
- 最後まで残存したのはF19編成であり、2007年5月に廃車となっている[注 2]。
- F80編成
- 種車は17編成であり、200系で唯一長野新幹線に乗り入れた実績を持つ。
- 長野新幹線に乗り入れた理由としては、1998年に開催された長野オリンピックの臨時増発便に対応したためである。もっとも、臨時運転終了後は周波数変換装置が撤去されてしまい、その後ごく普通の200系として2004年まで走った。
- F90番台
- F90~F93の4編成が在籍していた(種車はF54,F59,F14,F16の順)。200系で275km/hを出したグループだが、その実態は上越新幹線上毛高原駅 - 浦佐駅間の下り勾配を利用しただけであり、該当区間以外では依然と240km/hのままだった[注 3]。
G編成[編集]
- 各駅停車用で、種車はE編成。とき専用車両とあおば専用車両の2種類が存在し、最高速度は依然と210km/hのままであることが共通点。
- 前者は10両編成(後に8両編成に短縮)、後者は8両編成で登場するも、最高速度や短編成での都合から、1999年に全廃された。
- 尚、編成組み替えによってF編成に昇格したものも存在する。
H編成[編集]
- 大雑把に言えば「東北版グランドひかり」。当時速達便であったやまびこ号の運用が主で、種車はF編成。大きな特徴は100系をベースとしたシャークノーズの形状をした先頭車両である。
- 当初はグリーン車2両を繋げた13両編成[注 4]だったが、後にグリーン車3両を繋げた16両編成に増結[注 5]。
- 6編成在籍していたが、ラストナンバーであるH6編成は、13両時代はラウンドノーズで運転されていた。
- 平成に入るとE2系などに置き換えられ、2005年には細々と引退している[注 6]。
K編成[編集]
- 連結器を装備した編成であり、最後まで残存した編成。種車は全てF編成であり、当初は8両編成だった。
- 1992年に山形新幹線が開業し、400系との併結用として88両11編成(K1~K11)が登場。1997年には秋田新幹線も開業したために132両11編成が追加で改造(K41~K51に改番)。この際、全車10両編成に統一された[注 7]。
- 1998年には一部編成がE2系及びE4系に準じた延命工事が施され、前面形状や方向幕、座席などが変更されている(巷では「更新車」や「リニューアル車」と呼ばれた)。2007年には延命工事施行車第一号であるK47編成がオリジナル塗装に復刻。定期列車はもちろん、臨時列車でも抜擢され、鉄道ファンのみならず一般の方々や家族連れの方々からも人気を集めた。
- 2011年以降E5系への置き換えが進み、2013年に惜しまれながらも引退。2014年には全車除籍となった。
沿革[編集]
- 1980年10月
- E1編成が落成。その後東北新幹線開業直前に35編成が製造[注 8]。
- 1982年6月23日
- 東北新幹線開業と同時にデビュー。
- 1983年11月
- F1編成が落成。この年を境にE編成からF編成に製造を移行[注 9]。
- 1987年4月
- 1990年
- 一部のF編成から改造されたH編成が登場。当初は13両編成(グリーン車2両)だったが、後に16両(グリーン車3両)に増結。
- 1991年
- 総製造数である700両に到達。
- 1992年
- 一部のF編成から改造されたK編成が登場。当初は8両編成で、山形新幹線の併結運用に就いた。
- 1993年
- 全てのE編成のF編成化改造が終了。これに伴い、E編成が消滅。
- 1997年
- K編成が増備され、同時に10両編成に統一。また、老朽化やE2系・E4系の置き換えによりG編成の廃車が始まる(1999年3月に消滅)[注 10]。
- 1999年2月
- 一部のK編成にリニューアル工事が施される(2002年まで)。
- 2000年
- 3月にK28編成(元E26、F41、K8編成)が、12月にF30編成(元E1編成)、F34編成(元E6編成)が廃車となり、本格的に廃車が進行する。
- 2004年
- F・H編成の定期運転が終了。以降この2種は波動用として残存。10月に新潟県中越地震が起こり、K25編成(元F8、F40、K5編成)が被災(翌年3月に廃車)。
- 2005年
- 5月にH4編成、8月にH5編成がそれぞれ廃車となり、H編成が消滅。
- 2006年1月
- K31編成(元E35、初代F56、F64、二代目F56・K11編成)が廃車となり、残存するK編成が全てリニューアル車両になる。
- 2007年5月
- K47編成(元F13編成)が復刻塗装される。同時にF19編成が廃車となり、原型顔の200系及びF編成が消滅。この年から2011年まで一旦廃車がストップした。
- 2011年11月18日
- E5系の置き換えにより、東北新幹線から撤退。翌12月よりK48編成(元F15編成)を皮切りに廃車が再開。
- 2013年3月15日
- 定期運行を終了[注 11]。その後、3月23日~4月14日に臨時列車が運行。6月3日までに3編成全てが廃車となり、廃形式となった。
保存車[編集]
2025年12月現在、4編成の一部号車が静態保存されている。
内訳は以下のとおり。
- F30編成(1・9号車)
- 1980年10月にE1編成として落成。200系の栄えあるトップナンバーであり、現存する保存車で唯一現役時代は12両固定編成の運用だった。
- 廃車後、新幹線総合車両センターにて保存されている。尚、保存当初は2・11・12号車も留置を名目に保存されていたが、老朽化に伴い2010年に解体されている。
- K31編成(10号車)
- 1982年3月にE35編成として落成。当初は2004年に廃車予定だったが、K25編成の被災廃車に伴い1年ほど延命したという逸話を持つ。
- E2系J69編成に置き換えられる形で廃車となり、鉄道博物館にて保存されている。
- 現存する200系では唯一盛岡方先頭車(222形)が保存されており(それ以外の200系は全て東京形先頭車の221形)、まれに連結器の展開や収納の実演されることもある。
- K25編成(1号車)
- 1984年7月にF8編成として落成。新潟県中越地震で被災した当該編成であり、巷ではとき325号として知名度がある[注 12]。
- 廃車後、新潟新幹線車両センター内に留置されていたが、後に1号車がJR東日本総合研修センター(事故の歴史展示館)に移設(その他号車は解体に至っている)。上越新幹線脱線事故による教訓を後世(主にJR東日本社員に対して)に伝えている。
- K47編成(1号車)
- 1984年10月にF13編成として落成。リニューアル第一号編成にして復刻塗装編成であり、ラストランを含む多くの臨時列車に充当された経歴を持つ。
- 廃車後、新津鉄道資料館にてC57形19号機と並ぶ形で保存されている。尚、保存される前は同所にて実物大のモックアップが保存されていた。
以下のものは保存後解体された車両及び部品の一部のみが保存されている車両である。
尚、F30編成に関しては先述しているため、ここでは割愛する。
- F37編成(1・11・12号車→連結器カバーと車輪→連結器カバーのみ)
- 1981年10月にE15編成として落成。運用としてはごく普通の200系E編成及びF編成だったが、廃車後北海道新幹線開通を願い、流山温泉駅前にて保存された。
- しかし、野ざらしの状態だったことも相まって老朽化が深刻化し、結局は北海道新幹線の開業まであと3年といったところで解体された。連結器カバーと車輪の一部のみの保存に移行するも、車輪はサビがひどく後に撤去。挙げ句の果てに2022年には駅そのものが廃止となった。
- G21編成(車輪のみ)
- 1981年8月にE21編成として落成。東北新幹線開業一番列車である「やまびこ11号」に充当された編成であったが、後にとき専用G編成に降格した。
- 2025年現在、大宮駅西口にて車輪が保存されている。
- H5編成(9号車→解体)
- 1990年7月にH5編成のグリーン車(7号車)として落成。H編成全廃後も新幹線総合車両センターにて留置されていたが、老朽化に伴い2010年に解体された。
脚注[編集]
- ↑ 0系は登場初期、「新幹線電車」や「000系」と呼ばれることが多く、「0系」として呼ばれるようになったのは1980年代頃からとも言われる。尚、100系は1985年に落成している。
- ↑ 尚、F19編成は200系の中で唯一編成組み替えや改番が行われなかった貴重な編成である。
- ↑ しかも、275km/h運転が行われた区間は下り列車でしか行うことができず、なおかつ越後湯沢駅を通過する
関係上、もはや運転してもデメリットでしかない運用だったため、1999年に275km/hでの運転が終了し、2004年には消滅している。 - ↑ 新幹線車両では唯一の組成で、7号車が2階建て車両であった。
- ↑ グリーン車のうち9・10号車は2階建てであり(そのうち9号車は当初7号車に組み込まれていた)、個室やカフェテリアも備えていた。
- ↑ しかも2階建て車両も外されていた。尚、この車両は新幹線総合車両センターにて保存されていたが、老朽化に伴い2010年に解体されている。
- ↑ K1~K11(10両編成時にK21~K31に改番)の増結分にあたる2両は、K41~K51の種車の2両から捻出している。
- ↑ E33編成のみ東北新幹線開業後(1982年8月11日)に落成している。
- ↑ 1985年からはE編成もF編成へと改造されている。
- ↑ 廃車第一号はG43編成(元E13編成)であり、1997年6月に除籍となった。
- ↑ 最後まで残存したのはK43編成(元F3編成)、K47編成、K51編成(元F21編成)の3両だった。
- ↑ 当時充当されていた種別にちなんでいる。余談だが、除籍日が奇しくも2005年3月25日であった。