新幹線0系電車
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新幹線0系電車
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青梅鉄道公園に展示されている0系22-75 JRマークが付いているが引退は国鉄時代である。 | |
製造所 | 日本車輌製造、汽車会社、川崎車輛(後に川崎重工業に)、近畿車輛、日立製作所、東急車輛製造 |
運用者 | 日本国有鉄道→東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道 |
製造年 | 1964年~1986年 |
製造両数 | 224編成3216両[注 1] |
廃車年 | 2009年 |
最高運転速度 | 220km/h |
電源方式 | 交流60hz |
保安装置 | ATC-1型 |
主電動機 | 直流直巻電動機 |
制御方式 | 低圧タップ制御 |
歯車比 | 2.17 |
台車 | IS式ダイレクトマウント空気ばね台車 |
主な走行路線 | 東海道・山陽新幹線 |
主な運用 | ひかり、こだま |
所属車両 センター | 大井車両基地、鳥飼車両基地、博多総合車両所 |
あだ名 | 団子鼻、夢の超特急、新幹線電車 |
リンク | JR東海0系新幹線 - 日本車輌製造 |
新幹線0系電車(しんかんせんゼロけいでんしゃ)とは、通常単に0系(ゼロけい)と呼ばれ、東海道新幹線が開通した当初に使用されていた車両である。
名称[編集]
- 開業時は新幹線の車両と言えば0系しかなかったため、わざわざ区別する必要はなく、0系という呼称は存在せず、「新幹線電車」などと呼ばれていた。0系という呼称が使われるようになったのは、200系の東北・上越新幹線への導入やモデルチェンジした100系がJR化後に本格投入されてからである。その意味で、「0系」という呼称は一種のレトロニムであるともいえる。
概要[編集]
- 標準軌採用と共に車両限界を拡げたため[注 2]車体は広い。クリーム色のボディに青帯が入った塗色で、前面は流線型である。これは設計者が大日本帝国海軍の軍用機「銀河 (航空機)」設計者であったからである。
- 一等車は中央通路に片側2列ずつである。二等車は中央通路に対して片側2列+3列で、開業時は転換クロスシートだった[注 3]。ビュフェは当初、回転椅子を設置した国鉄35形電車であったが、食堂車国鉄36形電車の登場とともにビュフェを縮小した国鉄37形電車となった。
- 1982年には郵便車 (鉄道車両)の設計がされているが、国鉄がダイヤと新大阪駅構内での輸送を理由に難色を示し、新幹線による郵便輸送は幻に終わった。
- 2008年を以て引退し、44年間の歴史に幕を下ろした。しかし、現在でもこの車両の人気は高く、多くの博物館や鉄道公園などに静態保存されている。
編成名及び運用の変遷[編集]
総製造数が3216両と多く、改造や改番、及び編成組み替えなどによることから、編成名も多くなっている。
開業から博多延伸まで(第一期)[編集]
- 1964年に開業したとき、編成名は5種類存在した(N編成、K編成、R編成、S編成、H編成)。その後、1966年にはT編成も加わり、この時点で6種類に増加した。しかし、これらのそれぞれの違いは製造会社が異なるだけであり、基本的には共通設計であった[注 4][注 5]。
- 1969年には、大阪万博や山陽新幹線開業の前倒しする形で、ひかり号に充当される一部編成を16両に増結。尚、編成名は既存の編成名の語尾にAを付けるといった形で変更された(例:K1編成→K1A編成)。
- 1972年に山陽新幹線新大阪駅~岡山駅間が開業する頃には、ひかり用の編成は全て16両編成に変わり、こだま用の編成も16両に増結された編成が現れるようになった。同時に、ひかり用の16両編成、こだま用の16両編成と12両編成でそれぞれ統一した編成名に改番[注 6]。それぞれH編成、K編成、S編成に変更された[注 7]。
- やがて、1973年にはこだま用も全ての編成が16両に増結が完了し、これに伴いS編成は消滅。…と思いきや、食堂車を組み込んだひかり用の12両編成が現れたことにより、これらの編成がS編成として復活。
- しかし、1975年に山陽新幹線が全線開通すると、H編成のビュッフェ車が食堂車に変更され、同時にS編成も16両に増結、H編成に編入された。
とまあ、この時のS編成はいろんな意味でShortな存在だったのである。
小窓車登場から民営化まで(第二期)[編集]
- ここまで多量な編成名や大規模な改番が行われてきたが、1970年代後半になると、今度は別の方向性でカオスを極めることになる。
- 1978年の時点では、窓が小型化された車両が現れ(保守の面などでマイナーチェンジが施された)、これに伴い同形式同士の置き換えや編成組み替えが行われた。
- また、編成名もH編成・K編成の2種類からNH編成、N編成を加えた4種類(細かく言えば7種類)に増えた(既存のH編成は少なくとも先頭車両が大窓の編成[注 8]に、NH編成は少なくとも先頭車両が小窓の編成[注 9]に、N編成は全車小窓の編成[注 10]に付けられた。K編成は、少なくとも先頭車両が大窓の編成はそのままだったが、少なくとも先頭車両が小窓の編成は既存の番号に50を足した数を使用した[注 11])。
- このカオスな状況は1980年代になっても治まらず、1984年からはこだま用の編成が12両に短縮、S編成・SK編成に変更されることになった(前者は元通常K編成、後者は元既存番号に50を足したK編成で、H編成、NH編成の編成名を踏襲している)。
- 翌年に全てのこだま用編成がS編成・SK編成に改番が完了したとき[注 12]、6両のR編成が登場した[注 13]。
- 1987年に国鉄が分割民営化され、JR東海とJR西日本の2社が保有する体制になっても、改造や編成組み替えが行われた[注 14]。
- 1988年にはR編成を皮切りにウエストひかりがデビューし[注 15]、その翌年には東海車のこだま用が全て16両化された[注 16]。
廃車開始から完全引退まで(第三期)[編集]
- 100系や300系が主力車両に変わりつつあるとき、0系もまた廃車になりつつあった[注 17]。
- 1997年には4両編成のQ編成[注 18]が登場するも、これが0系最後の編成となった。
- 1999年9月18日に東海道新幹線から引退[注 19]。これを皮切りに、引退や廃車が加速した。
- 2000年には、ウエストひかりがひかりレールスターに置きかえられて引退。2001年には100系V編成(100N系、N100系とも)から改造されたP編成の導入に及び老朽化に伴い、Q編成が完全消滅。これにより、残存する0系は西日本がわずかに保有していたR編成のみに留まった。
- その後、R編成は2002年より内装の更新や塗装変更(地色は薄いグレー、ラインは濃いグレーとフレッシュグリーンのツートンカラー)が行われ、山陽新幹線にて余生を過ごした[注 20]。
- N700系のデビューを見送ったあくる年の12月14日にラストランが行われ、完全引退[注 21]。引退の際、残存していた3編成(R61編成、R67編成、R68編成)をクリーム10号と青20号の復刻塗装に戻して運行された。
車内チャイム[編集]
- 1964年~1968年の4年間は、オルゴール調の鉄道唱歌を使用していた。
- しかし、当時は従来の在来線特急とは違った存在であったことから、1968年に新しい車内チャイムを導入。作曲者の黛敏郎氏から取って、「黛チャイム」と呼ばれた。しかし、前衛的な曲調であり、乗客の中にはトラウマを植え付けられた方もいたことから、わずか4年で打ち切られてしまった。
- 1972年~1988年までの16年間は「4打点チャイム(旧4打点チャイムとも)」が使われ、その後、1988年以降は「ひかりチャイム」を使用した。
0系新幹線が登場する作品[編集]
映画[編集]
小説[編集]
アニメ[編集]
- こち亀(第325話「爆走列車!網走発東京行き!両津VS拳法バァさん!」)
注[編集]
- ↑ 2025年現在日本の新幹線では最多の製造数。
- ↑ 近鉄特急やTGVは標準軌を走行するが、車両限界は狭い。
- ↑ 国鉄末期にリクライニングシートに替えられ、2列転換クロスは在来線の国鉄165系電車、国鉄185系気動車、国鉄キハ58系気動車、国鉄キハ31形気動車、国鉄キハ54形気動車に転用された。
- ↑ 順番に日本車輌製造、汽車会社、川崎車輛、近畿車輛、日立製作所、東急車輛製造の6社。尚、編成名は日本車輌製造、汽車会社、日立製作所、東急車輛製造は頭文字(Nihon、Kisha、Hitachi、Tokyu)から、川崎車輛、近畿車輛はそれぞれ「川」、「近い」を意味する英語の頭文字(River、Short)からとっている。
- ↑ ちなみに、デビュー当初は12両編成で、このうち2両がそれぞれ一等車(今で言うグリーン車)とビュッフェ車といった組成だった。しかしながら、一等車の需要がそこまでなかったためにしばらく経ってから二等車に格下げされたのだが…。
- ↑ 開業当初から東海道新幹線引退まで0系の12両及び16両の編成はひかり用とこだま用とで分かれており、開業当初は実質共通で運用されたが、1969年~1972年の間に改番されたことを機に、本格的に系統分離した。
- ↑ H編成、K編成は使用系統から(Hikari、Kodama)、S編成は短いを意味する英語の頭文字(Short)からとっている。
- ↑ ひかり→Hikariから。
- ↑ H編成とN編成のモザイク(New Hikari)から。
- ↑ 新しいを意味する英語の頭文字(New)から。
- ↑ H編成はひかり用、K編成はこだま用と、従来の要素は継続している。
- ↑ 短縮化の際、抜かれた中間車両は新たなひかり用編成やこだま用編成に組み込まれたモノもいれば、余剰の面や老朽化の面などで廃車になったモノもいる。
- ↑ 6両→ろくりょう→Rokuryoから。運用線区は山陽新幹線のみに留まり、完全引退するまで残存した。
- ↑ 民営化当初、N編成・NH編成・H編成・SK編成は東海車と西日本車に分割、S編成は東海のみ、R編成は西日本のみの保有に変わった。
- ↑ その後、SK編成にも普及し(一部の編成はビデオを車内に搭載している)、これらの編成はWR編成(West Rokuryo)、WK編成(West Kodama)、WKV編成(West Kodama Video)が誕生した。
いやWRはともかくWK、WKVはこだま要素無くn((( - ↑ S編成、SK編成がそれぞれY編成、YK編成に変更。編成名はS編成、SK編成を踏襲している。これにより、こだま号が約4年ぶりに再び16両編成に戻されたのである(西日本車は依然と12両編成のままだが)。
- ↑ N編成は1992年に完全消滅。WR編成、WKV編成は編成組み替えによって1994年にWK編成に統合された。東海車のNH編成、Y編成は300系による置き換えでそれぞれ1995年、1996年に完全消滅し、H編成も1997年に完全消滅した。尚、西日本車のNH編成は配備の都合上、東海道新幹線引退直前まで残存していたが、1996年よりJR東海から移籍してきた100系G編成に置きかえられ、運用を終了した。
- ↑ 4等分を意味するQuarterからであり、R編成が種車となっている。運用線区は山陽新幹線広島駅~博多駅間に留まった。2025年現在Q編成を名乗る新幹線はこれだけ。
- ↑ 引退直前まで残存していたYK編成はわずか6編成(YK8編成、YK20編成、YK29編成、YK38編成、YK40編成、YK41編成)しかいなかった。
- ↑ このカラーリングになった新幹線車両は0系と100系のみに留まっているが、デザインに関しては500系や700系E編成に受け継がれている。そういった意味ではJR西日本(というか山陽新幹線)の新幹線車両の特徴が現れているのかもしれない。
- ↑ 8両に短縮化された500系に置き換えられる形での引退だった。
関連項目[編集]
- 0系及び新幹線車両の礎となった車両
- 前身
- 国鉄151系電車 - 東海道特急に使用
- 近い世代の車両
- 後継車両
- 東北版
- 検測車版
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