新幹線961形電車
961形電車(961がたでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が開発した新幹線の試作車である。
概要[編集]
全国新幹線網に対応する車両の試作車として、1973年(昭和48年)に6両1編成が製造された。
商用電源周波数50Hz/60Hz双方に対応する初の新幹線車両で、東北地方等の寒冷地走行も想定した耐寒耐雪仕様となっている。
また、新幹線400系電車に先がけて、多方面への分割・併合を前提に、先頭車のスカート上部に連結器を常備できる設計とした。
最高速度260km/hでの営業運転を見据えたデータ収集ができる性能を持たせられている。将来的には検測車ドクターイエローへ改造することも考慮されていたが、これについては実現しなかった。
車内設備[編集]
非営業用車両だが、5号車以外は客室設備が設けられていた。このうち1・2・6号車は通常の座席車である。
3号車は全室食堂車となり、広い車体幅を活かして食堂利用者と通り抜け客を分離できる側廊下方式を採用。テーブル席は窓側2人席、通路側4人席とし一角にソファーコーナーを設けている。
4号車は長大路線で夜行列車を運転することも想定した寝台車と個室とした。個室は1部屋6名定員の特別個室を2室設け、1室は会議室風のデザイン、もう1室は応接室風のデザインとした。この2部屋を仕切る壁は可動式として、必要に応じて一体化することも出来る。
寝台は特別個室1室、特別寝台3室、普通寝台を用意。特別個室は家族利用を想定した設計。特別寝台は1人用個室で、このうち2部屋は鍵付きの引戸を設けて2室利用が可能。残る1室は昼間運用時に座席としても運用できる設計。普通寝台は2段寝台だが、広い車体幅を活かして枕木方向のワンボックスに加えて通路を挟んでレール方向にも寝台を配置した「に」の字配置となっている。
5号車は客室設備がない。剛性と乗り心地の関係性を調べるため、両側面に4×1.5mの開口部を4か所設けてわざと剛性を低下させ、様々な補強材を入れて耐久試験を実施した。
機器類[編集]
6両全車が電動車。MT920形直流電動機(出力275kW)で駆動を行い、力行制御はサイリスタバーニア連続位相制御方式である。
落成当時の技術では、車両の電気機器全てを複数周波数に対応させることが困難だったため、電気機器は60Hz仕様で統一。その代わり補助電源装置に三相交流440V,60Hzを出力する電動発電機を編成で3台搭載した。
運転台は左手操作のブレーキハンドル、右手操作のマスコンハンドルを配置。更に将来の自動運転も視野に入れたミニコンピュータATOMICを搭載。機器の動作監視、故障発生時の遠隔処置機能が備えられている。
運用[編集]
試験走行は開業前の山陽新幹線岡山 - 福山間で1973年(昭和48年)9月よりスタートしたが、工事の遅れと労使関係の問題から予定していた試験内容を消化しきれないまま新幹線博多開業を迎えてしまった。
その後、1979年(昭和54年)から東北新幹線小山試験線での試験走行を行うため、浜松工場で改造工事を行い、大井車両基地へ回送。ここから陸送で栃木県小山市の試験線管理所に運ばれ、山陽新幹線で出来なかった高速走行試験等を行った。79年12月7日に当時の電車の世界最速レコードである319km/hを記録した。
試験終了後は試験線管理所に留置されていたが、小山試験線での試験走行後、上越新幹線での試験のために仙台・新潟方の2両を新潟運転所に送られて尻切れトンボになっていた962形の東京方4両共に仙台総合車両所へ925形の牽引で1982年(昭和57年)に移送された。
仙台移送後も一度も出番がなく、JR東日本へと継承されたが何かに活用されることもなく1990年(平成2年)8月に廃車となった。廃車後も1・6号車が新幹線総合車両センターで保存されているが、現役時代に纏ったことのない200系に準じた白地に緑色のラインとなっている。
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