国鉄ED75形電気機関車
ED75形電気機関車(イーディー75がたでんききかんしゃ)は、かつて日本国有鉄道及び日本貨物鉄道(JR貨物)・東日本旅客鉄道(JR東日本)が運用していた交流電気機関車である。
概要[編集]
従来のED71形に代わる交流線区の汎用機として開発された。基本設計はED74形をベースにしつつも、電気回りで改良が加えられたほか、重連連統括制御対応のため前面に貫通扉が設けられた。
1963年(昭和38年)から1976年(昭和51年)にかけての約13年間で302両が製造され、東北地方を中心に活躍した。しかし、1980年代からはEF81形の運用拡大により徐々に活躍の場を狭めていった。民営化後もEH500形やGV-E197系への置き換えが進み、2012年(平成24年)で定期運用が消滅。2025年(令和7年)に759号機が廃車されたことでED75形は全廃となった。
種類[編集]
0番台[編集]
常磐線・東北本線の交流電化完成に併せ、1968年(昭和43年)までに計160両が製造された。うち1・2号機は試作機で、機器類が量産車と若干異なる。民営化直前のタイミングで大半が廃車となったが、一部は後の貨物輸送増大に伴い車籍が復活した。EH500形の増備により淘汰が進行し、2008年(平成20年)に消滅。
300番台[編集]
ED73形の増備分として計11両が製造された。九州用の車両のため、当形式では唯一60Hzに対応している。少数派で使い勝手が悪いこともあり、民営化直前のタイミングで全廃された。
500番台[編集]
北海道内の交流線区向けに開発されたため、耐寒設備が大幅に強化されている。1966年(昭和41年)に501号機が落成し、道内で試験運用が行われたものの、SG非搭載だったことや著しい誘導障害を来したこともあって製造は1両のみで終了。岩見沢 - 旭川間の限定運用に充当されていたが、こちらも民営化直前のタイミングで引退した。
700番台[編集]
奥羽本線・羽越本線の電化進展に伴い、1976年までに91両が製造された。日本海側を走行することから、塩害対策として屋根上の一部の機器を室内に移設した。また、運転席の機器類も視認性を重視して簡略化された。1980年(昭和55年)以降は一部が東北本線向けに転用されたほか、青函トンネル開業により34両がED79形へ改造された。民営化後は全車がJR東日本へ継承され、夜行列車・客車普通列車の牽引などで活躍した。しかし、701系の導入により運用が激減し、1990年代に多くが廃車となった。残された車両は工臨や配給といった臨時運用に使用されたものの、最終的にE493系・GV-E197系に役割を奪われ、2025年9月に消滅した。
1000番台[編集]
東北本線電化完成後、高速貨物及び寝台特急専用機として39両が投入された。民営化後は事故などで廃車となった3両を除き、前期車がJR貨物に、後期車がJR東日本に継承された。JR東日本車はJR貨物への売却または余剰廃車により早い段階で消滅したが、JR貨物では末期の2012年3月まで活躍を続けた。
なお、東日本大震災の際に常磐線内で貨物列車を牽引していた1039号機が津波に襲われたが、ED75はその重量から流されることなく線路上に留まり乗務員は無事だった。
保存車[編集]
501号機が小樽市総合博物館に、775号機が鉄道博物館に静態保存されている。かつては1号機と39号機も保存されていたが、何も解体処分となった。
関連項目[編集]
電気機関車 |
JR JR東日本の鉄道車両 |