セルビア鉄道102号線
| ベオグラード=ニシュ=プレシェヴォ線 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国 |
|
| 種類 | 幹線 |
| 起点 | ベオグラード中央駅 |
| 終点 | プレシェヴォ駅 |
| 駅数 | 94駅 |
| 路線番号 | 102号線 |
| 開業 | 1884年9月4日 |
| 所有者 | セルビア鉄道 |
| 運営者 | セルビア鉄道 |
| 路線諸元 | |
| 路線距離 | 408km |
| 営業キロ | 408km |
| 軌間 | 1435mm |
| 線路数 | 複線・単線 |
| 複線区間 | ベオグラード中央-レスニク、ヴェリカ・プラナ-スタラッチ、ジュニス-ニシュ間 |
| 電化区間 | ベオグラード-プレシェヴォ |
| 電化方式 | 交流25kV/50Hz |
| 最高速度 | 100km/h |
102号線とはセルビアの鉄道路線である。
概要[編集]
セルビアの首都ベオグラードからスメデレフスカ・パランカ、ヤゴディナ、アレクシナツ、ニシュ、レスコヴォ、ヴラニェ、そして北マケドニア国境付近のプレシェヴォまでを結ぶ単線電化(ベオグラード-レスニク、ヴェリカ・プラナ-スタラッチ間、ジュニス-ニシュは複線)の主要路線である。この路線はベオグラード=ニシュ線とニシュ=プレシェヴォ線に分かれる。
国際的に重要な役割があり、ザルツブルクからリュブリャナ、ザグレブ、ベオグラード、スコピエ、テッサロニキへ至る汎ヨーロッパ回廊10号線の一部である。
現在は、最高速度はそこまで速くなく、セルビア鉄道において近代化が優先されている路線である。一部の区間で集中的に工事されており、高速化及び単線区間の複線化を行い将来的には時速160㎞~200㎞での走行が可能になるとか。(ニシュ以南は最高速度160㎞)これらは北マケドニア、ブルガリアへの国際輸送を確立するためである。これは中国の一帯一路構想の一部ではあるが、この路線の建設のために2025年3月3日に欧州投資銀行は1億7500万ユーロの投資を行うとセルビア鉄道と締結した。
歴史[編集]
建設[編集]
オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国を結ぶ鉄道路線は、ベルリン会議で決定された。路線の建設はセルビア王国が独立(1882年)する前から始まっていた。そのため、建設はセルビアではなくオリエント鉄道が行っていた。さらに、戦争で疲弊していたセルビアは大規模なインフラ整備事業への投資に関心を示さなかった。オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに、今後3~5年以内に鉄道を建設するという契約するように強勢させたのは、1880年になってからである。また、オーストリア=ハンガリー帝国は主に1850年代から発達し始めた相互貿易のために、オスマン帝国との鉄道接続に大きな関心を持っていた。当時、オスマン帝国は対外貿易を自由化していた。
この路線の建設は1881年7月にベオグラード近郊から始められた。
この路線の建設は計3年かかった。1883年までに路線の半分の線路が敷設され、6月17日には最初の列車がヤゴディナに到着した。
路線の全線における公式開通は、1884年9月4日に行われ、当時のオーストリア=ハンガリー帝国とフランスから多くの賓客が出席した。開通式にはセルビア政府、セルビア正教会ベオグラード大主教、国家評議会、軍人が出席した。
ちなみに、その3日前に、ハンガリー領のゼムンからサヴァ川に架かる橋が完成し、セルビアとオーストリア=ハンガリー帝国が鉄道で結ばれ、接続が確立された。
この路線の建設には当時の最新技術を用いてフランス企業によって建設された。しかし、路線の安全性や地滑りの危険を考慮し、主にベオグラード-スメデレフスカ・パランカ間の最高速度は時速25~40kmに抑えられた。ベオグラード-ニシュ間の所要時間は8時間10分で、これは当時としては画期的なことだった。従来の馬車であれば4日半かかっていたのである。
しかし、この路線の開業当初の運賃は多くのセルビア人にとっては高額で、利用者は少なかった。時がたつにつれて、セルビアの路線網が拡大し、乗客数も増加した。1885年からはオリエント急行がこの路線を走るようになった。
路線の近代化[編集]
第一次世界大戦中にこの路線は被害を受けた。そのため、一部の橋と路線の一部を再建する必要があり、1919年10月に完了した。その後、1920年から1924年にかけて路線は近代化され、最高速度100km/hでの走行が可能となった。路線の近代化により、オリエント急行は5時間35分で走行できるようになった。
第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国などから独立した新たな国は統合されてユーゴスラビア王国になった。これによって、北部の密集した鉄道網と南部の非常に疎らな鉄道網の格差を克服する必要があった。そのため、1920年代には、この路線から他の都市へ向かう支線がいくつか建設された。
第二次世界大戦中、1944年に、ニシュ駅は連合国軍の爆撃により被害を受け、終戦後再建する必要があった。
第二次世界大戦後、しばらくしてこの路線は交流25kV50Hzで電化された。
高速化[編集]
この路線は汎ヨーロッパ回廊10号線に指定されており、国際的に重要な接続であることから、路線のさらなる近代化がすすめられている。近代化が完了すれば、ベオグラードからニシュ間は最高速度200km/h、ニシュ-プレシェヴォ間では最高速度160km/hでの走行が可能になるとのこと。
ベオグラード=ニシュ線[編集]
2024年6月に、この路線の高速化計画が始動された。この路線230kmを高速化するにあたって、約28億ユーロの資金が必要であり、高速化されれば、6時間の所要時間が100分に短縮されるとのこと。工事は3日工事して、3日運行するという「ウィンドウ方式」が取られる。この路線の工事は3つの区間に分けて工事が行われる予定で、ベオグラード-ヴェリカ・プラナ間、ヴェリカ・プラナ-パラチン間、パラチン-ニシュ間に分けられる。まずは第三区間から工事を始めるとのことで、ジュニス周辺から行われる。着工は2026年春からで、3~4年の期間を経て完成する。
ニシュ=プレシェヴォ線[編集]
この区間は完全な高速化ではなく、主に最高速度の120~160km/hへの引き上げが行われる。これの資金は主にEU(75%)からの補助金である。2021年よりニシュ-ブレストヴァツ間(22km)での近代化工事が開始された。この近代化は2026年2月に終了するとのことである。また、ブレストヴァツ以南ではすでに北マケドニア側と交渉しており、残りの134kmも一部区間でインフラが再建されている。
高速化後[編集]
この路線が近代化された後は、中欧と南欧を結ぶ大動脈になりえる。これは、すでに開業しているであろうブダペスト-ベオグラード間、そして近々再開されるニシュ-ディミトロヴグラード間(ソフィア方面)、そして北マケドニアが再建中のこの先のタバノフツェ=ゲヴゲリヤ線との接続でかなり重要性を増す。また、計画されるトリエステ-リュブリャナ-ザグレブ-ベオグラード間の高速鉄道、ソフィア-イスタンブール間の高速鉄道との接続でさらに意味を増すかもしれない。
運行形態[編集]
ベオグラード=ニシュ線[編集]
ゼムン-ニシュ間のインターレギオが1日1往復の運行。地域列車はゼムン-ニシュ間が1日3往復、ベオグラード-ラポヴォ間が1日1往復、ラポヴォ-ニシュ間が1日1往復の運行。また、ムラデノヴァツ駅まではBGヴォズBG3号線が1日3往復の運行。
地域列車とインターレギオは、ギリェ-パラチン間では全列車が104号線に乗り入れてチュプリヤ駅を経由する。そのため、この区間では旅客列車は運行されない。
ニシュ=プレシェヴォ線[編集]
2025年現在、この区間では列車の運行は行われていない。