セルビア鉄道223号線
| ドリェヴァツ=メルダレ線 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国 |
|
| 起点 | ドリェヴァツ駅 |
| 終点 | メルダレ駅 |
| 駅数 | 25駅 |
| 路線番号 | 223号線 |
| 開業 | 1925年12月27日 |
| 全通 | 1948年7月7日 |
| 所有者 | セルビア鉄道 |
| 運営者 | セルビア鉄道 |
| 路線諸元 | |
| 軌間 | 1435mm |
| 線路数 | 単線 |
| 複線区間 | なし |
| 電化区間 | なし |
223号線とはセルビアの鉄道路線である。
概要[編集]
セルビア南部の都市のドリェヴァツ、プロクプリェ、コソボ国境付近のメルダレまで至る単線非電化の路線である。この路線はニシュ=プリシュティナ線として建設され、かつてはコソボの首都のプリシュティナ、そしてフシャ・コソヴァ駅まで伸びていたが、国境からプリシュティナ間が休止されている。そもそも、国境間のトンネルは崩落しているため通行不可能である。現在のこの路線の役割はクルシュムリヤのコパオニク社の製材所からの製品を貨物輸送することである。
この路線のヴァシリェヴァツ付近のクルジュニトンネルは路線の方向が180度転換するヘアピンカーブとして有名である。
歴史[編集]
建設[編集]
トプリツァ地域の鉄道の建設の構造は19世紀末に生まれ、アドリア海と黒海を結ぶ鉄道(トランスバルカン鉄道)の一部となる予定だった。しかし、トプリツァ地域の住民が鉄道を利用できるようになったの建設採択からほぼ40年後の1925年だった。まずはドリェヴァツ-プロクプリェ間が1925年12月27日に開業した。この開業式典時に、集まった多くは鉄道を見るのが初めてだった。そして、翌年1926年より南部へ工事が進み、1929年7月7日にはプロチュニクまで開業、1930年7月6日にはついにクルシュムリヤまで延伸開業した。これにより、ドリェヴァツ-クルシュムリヤ間の56km区間が開業した。この路線は戦後のドイツからの賠償として受け取ったレールを一部用いて建設された。これらのレールには1908年と1911年の刻印があり、現在でも普通に残っている。
そして、クルシュムリヤより先、プリシュティナまでの区間65kmを建設する必要があり、工事は1937年に開始された。しかし、第二次世界大戦の勃発により、工事が中断された。戦後、この地域の鉄道の建設が強制された。しかし、コサニツァ地域の住民には高額な地代が課されたため、多くの住民はヴォイヴォディナのコヴァチツァに移住し、この近辺は廃墟が多くなった。プリシュティナへは1948年7月7日に開業し、これで全線が開通した。
戦後[編集]
アルバニアと友好だったころにはプロクプリェ-プロチュニク間のレールを撤去し、それを寄贈した。これはドナウ川からプラホヴォ、ニシュ、コソボ、アルバニアを結ぶ国際鉄道の建設をするためである。しかし、アルバニアとの関係が悪化するとこの計画は放棄された。
当路線は汎ヨーロッパ回廊10号線とコソボを結ぶ最短ルートだったが、ラポヴォからクラリェヴォ、ラシュカを通るルートの方が常に重要だったため、主に貨物輸送はそちらの路線で行われた。しかし、旅客輸送は活発で1960年代からユーゴスラビア内戦勃発までにこの地域では依然として鉄道が利用されていた。特に1993年のトプリツァではインフレを乗り切るためにこの鉄道に乗って物品をポドゥイェヴォの市場に売り込んでいたとか。
ユーゴスラビア内戦以降[編集]
NATOの爆撃により、ジトラジャ近郊にある橋が破壊されたが、爆撃後すぐに再建された。しかし、一番被害が深刻だったのがメルダレ-ポドゥイェヴォ間の国境トンネルが爆撃により崩落してしまっていることである。これは現在も修復されておらず鉄道が機能していない。トンネルは現在でも入り口は封鎖されている。その付近は放棄状態であるため、草木は生い茂り、一部は線路が撤去されている。修復する計画はいくつもあるが、特に成果は上がっていない。