ヴラニェ
ヴラニェ(セルビア語:Врање/Vranje)とはセルビア南部に位置する都市である。
概要[編集]
プチニャ行政管区の行政中心地であり、セルビア南部最大の都市の1つである。2022年の国勢調査によれば、人口は55214人だった。ヴラニェ渓谷の北西部、プリャチコヴィツァ山とクルスティロヴィツァ山の麓に位置している。また、市内には5つの川が流れている。この都市は主要道路と鉄道沿いに位置している。ニシュからは北に110km、首都ベオグラードからは347kmの距離にある。ヴラニェはヴラニェ主教区とセルビア軍第4軍の本部である。
歴史[編集]
この地に人類がいつ定住したかは定かではないが、紀元前1世紀または2世紀にローマ帝国に征服されるまで、この都市の地域にはイリュリア人またはトラキア人の部族が住んでいたとされる。6世紀と7世紀にはスラヴ人が居住し、1093年にビザンチンの文献に初めて記載された。1207年にセルビア大公国の一部となるまで、何度か征服された。ヴラニェは、1455年にオスマン帝国に占領されるまで、多くのセルビア人貴族によって支配されてきた。オスマン帝国の統治下では、ヴラニェは重要な道路の交差点に位置しており、重要な役割を果たした。ヴラニェは1878年1月31日に解放された。1904年にこの都市は地震に見舞われ、インフラに大きな被害を与えた。第一次世界大戦中はブルガリア王国に占領され、終戦後はユーゴスラビア王国の一部となり、1929年からはヴァルダル・バノヴィナ領となった。第二次世界大戦中、ヴラニェはブルガリア王国に再占領され、解放後はプチニャ行政管区の中心地となり、工業と都市の発展が始まった。ヴラニェはユーゴスラビア社会主義共和国連邦内の繊維、木材、冶金の中心地となった。
文化[編集]
ヴラニェは音楽とブラスバンド、そして有名なセルビアの音楽作家ボリサヴ・スタンコヴィッチの作品で知られている。市内には彼の名前を冠した施設やランドマークが数多く存在する。ヴラニェでは多くのイベントが開催されているが、最も有名なのはスタリ・ダニ、ボリナ・ネデリャ、ボリナ・ポゾリシュニ・ダニである。このようなことから、バルカン半島で初めてユネスコによって音楽都市に登録された都市である。