豊田車両センター

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豊田電車区から転送)
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豊田車両センター
JRE233-0-H50.jpg
配置車両のE233系
基本情報
日本国旗.png日本
所在地 東京都日野市
鉄道事業者 東日本旅客鉄道
帰属組織 首都圏本部
所属略号 八トタ→都トタ
最寄駅 豊田駅
管轄車両 JR東日本E233系電車
旧称 豊田電車区
開設 1963年昭和38年)11月24日
車両基地概要
留置線本数 23本
検査線本数 5本
洗浄線本数 3本
その他設備 通路線2本
引上線1本
車両洗浄機1機
車輪転削機1機
最大収容両数 460両
配置両数
電車 806両
合計 806両
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豊田車両センター(とよだしゃりょうセンター)とは、東京都日野市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。首都圏本部管轄。

中央本線豊田駅に近接している。

概要[編集]

中央線快速青梅線五日市線系統の車両の所属先。所属略号は「都トタ[注釈 1]

歴史[編集]

配置車両[編集]

編成名については略号(トタ)は省略している。

現在[編集]

E233系

詳細は「E233系の編成一覧」を参照

  • 12両固定のT編成41本(T1 - T39・T41・T42編成)、10両固定のT編成2本(T40・T71編成)、4両+8両のH編成16本(H43 - H48・H50 - H59編成)、4両+6両のH編成1本(H49編成)、青梅線・五日市線向けの4両編成8本(P518・青461・青462・P521・青464・P523 - P525編成)、同じく青梅線・五日市線向けの6両編成10本(青660 - 青669編成)が在籍している。すべて0番台である。T編成は東京-大月青梅間、H編成はT編成の運用範囲に加え富士急行線の大月-富士山河口湖[注釈 2]、青編成・P編成は立川 - 奥多摩武蔵五日市間にてそれぞれ運用される。
    • 2008年(平成20年)4月付で、青458編成+青658編成がH58編成に改番された。
    • 2015年(平成27年)5月2日付で、青459編成+青669編成がH59編成に改番された。
    • 2017年(平成29年)2月に、青670編成が8500番台に改番の上で中原電車区に転属した。
    • 2020年令和2年)6月12日付で、T71編成が増備された。
    • 2022年(令和4年)7月13日付で、4+6両分割編成のH57編成にグリーン車2両が連結。同年10月には10両貫通編成のT24編成にもグリーン車が連結された。
    • 2024年(令和6年)10月、T3編成を皮切りにE233系への本格的なグリーン車組み込みが開始。なお、当区のほか国府津・幕張でも並行して作業が実施された。
    • 2025年(令和7年)2月、T19編成を以て豊田でのグリーン車増結作業が完了する。

過去[編集]

中央線快速[編集]

101系
  • 当電車区が開設されたと同時に配置され、1983年3月のダイヤ改正で運用を終了した。
  • 一部編成は後述する1000番台に改造され武蔵野線用に転用された。
103系
  • 1973年の武蔵野線開業用の101系を捻出するため、新製冷房車10両編成7本が豊田電車区に配置された。
  • その後も他線区からの転入や101系置き換え用の新製投入で増備されたが、201系が増備されたため1983年に撤退した。101系や他路線の103系よりも早い置き換えとなった。
201系
  • 1981年から配置されていた。
  • 当初はT編成(10両固定編成)が16本のみ配置されていたが、徐々に所属数を増やしていき、最終的に2004年に中央快速線向けの201系が豊田に集約され、T編成34本、H編成(10両分割編成)25本の陣容となった。
  • E233系が導入された際に、T編成の編成番号のうちT1~T34が重複するため、一部編成を除いて既存の編成番号に100を足した番号に改番された。また、H編成についてもE233系と編成構成を揃えるため7本が編成組み替えを行った[注釈 3]
  • 2010年(平成22年)10月14日に中央快速線での定期運行を終了した。
  • その後もクハ201-1のみ保留車として車籍を残し保存され[注釈 4]、何度かお色直しを施しながら豊田車両センターまつりや有料撮影会などで一般公開もされた。
  • 2025年夏にEF64に挟まれる形で大宮総合車両センターへ配給輸送。その後青梅鉄道公園へ陸送された。これにより2025年7月付けで廃車となり、豊田車両センター及びJR東日本から201系が形式消滅した。
209系

詳細は「209系の編成一覧」を参照

  • 10両固定編成2本(8182編成)が在籍していた。双方とも1000番台。
  • E233系とは異なり、半自動ドアボタンなどの機器の関係で東京高尾間のみの運用が組まれ、基本的に97T・99Tの固定運用が割り振られていた。
    • なお、大月駅や青梅線自体には入線可能であり、大月駅までは試運転で、青梅線には代走時に青梅駅まで入線している。(実際は青梅駅より一駅先の宮ノ平駅まで入線が可能だった。)
    • E233系のグリーン車対応工事に伴う運用離脱中の予備車の確保目的で、松戸車両センターから転属となった。
    • 編成札などは松戸区時代から取り換えられておらず、新規にLCD・自動放送を設置することはしなかった。但し、81編成ではLED化改造がされている。
  • E233系の工事完了及びTASC運用開始に伴い2024年9月までにに営業運転を終了。撮影会などで使用されたのち、翌年初頭に両編成ともE493系牽引で長野へ廃車回送された。

青梅線・五日市線[編集]

30系31系40系50系72系
  • 1972年2月に青梅電車区から移管された車両が配置されていた。
  • 1978年3月29日のさよなら運転をもって運用を終了し、ほとんどの車両が廃車となった。[注釈 5]
103系
  • 旧型国電置き換えのため青梅線は1976年から、五日市線は1978年から導入された。当初は4両編成のみだったが、後に3両編成や5両編成、6両編成の車両も導入されている。
  • 武蔵野線が8両編成化するまでは共通運用が組まれていた。
  • 2002年(平成14年)までに三鷹電車区から転入してきた201系によって置き換えられ運用から撤退した。
201系
  • 2001年に青梅・五日市線の103系置き換え用として、三鷹から軽装車含む120両が転入した。
  • E233系の投入に伴い、6両編成は2008年3月までに、4両編成は2008年2月19日に運用から撤退した。
201系四季彩
  • 4両編成の訓練車W1編成を2001年に大井工場で展望型観光列車として改造され、同年8月4日より運用を開始した。2005年には新塗装へ変更。青梅線・五日市線用の車両が撤退した後も残存したが、2009年6月28日をもって青梅線での定期運用を終了。その後7月4日〜7月20日にかけてさよなら運転を行った後、7月23日に長野総合車両センターへ回送され廃車となった。

中央本線[編集]

115系
  • M1~12編成(3両編成)と波動用のM40編成(6両編成)が配置されていた。塗装は全編成スカ色
  • 長野総合車両センターの211系N編成に運用が移管されたため、2015年に撤退した。
  • M40編成は後に3両となったが運用に就くことは無く2014年7月に長野へ回送され廃車となった。
189系
  • 2002年に松本運転所(現・松本車両センター)から転入したM50編成が、2013年大宮総合車両センターから転入したM51・M52編成が所属していた。いずれも6両編成で波動用として2018年まで運用されていた。
  • 塗装はM50編成があずさ色、M51編成が国鉄特急色、M52編成も当初は国鉄特急色だったが、後にグレードアップあずさ色に塗装変更されている[注釈 6]
  • 2018年全廃。

武蔵野線[編集]

101系
  • 難燃化対策が施された1000番台の車両が配置され、1986年10月26日のさよなら運転をもって全車が営業運転を終了し撤退した。これにより首都圏からオレンジ色(朱色1号)塗装の101系が消滅した[注釈 7]
103系
  • 1980年に高運転台の6両編成1本が配置された。その後も103系は他線区からの転入も含めて増備され、1986年までに101系を置き換えた。
  • 8両編成化するまでは青梅線・五日市線と共通運用が組まれていた。
  • 1991年より武蔵野線の8両編成化が開始され、1996年までに全編成の8両編成化が完了した。
  • 2004年(平成16年)3月13日付で205系と共に京葉電車区へ移管された。
201系
  • 1986年3月3日のダイヤ改正より運用が開始され、豊田電車区に配置された6両編成3本が投入された。
  • 撤退するまで青梅線・五日市線の6両編成が共通運用されていた。
  • 1996年12月のダイヤ改正で武蔵野線が全編成8両編成となることに伴い、1996年10月20日をもって武蔵野線から撤退した。
205系0番代・5000番代
  • 1991年に新製投入されたメルヘン顔の編成と、103系置き換え及び増発のために山手線などから転入してきた原型顔の編成が在籍していた。2004年(平成16年)3月13日付で103系と共に京葉電車区へ移管された。

相模線[編集]

500番代
  • 1991年(平成3年)3月16日に相模線電化開業のため配置されたが、1996年(平成8年)12月1日横浜支社発足したため国府津電車区へ移管された。

事業用車・訓練車[編集]

103系訓練車
  • 1991年から1995年まで低運転台の3連1本、1995年から2001年まで高運転台の4連1本の訓練車が配置されていた。どちらも塗装はオレンジバーミリオンだった。
115系訓練車
  • W2編成(4両編成)が配置されていた。塗装はスカ色。
  • M40編成の中間車3両を組み込み2014年1月に長野へ回送され翌日付で廃車となった。

他所属車両留置[編集]

松本車両センターE353系や、長野総合車両センター211系N編成、京葉車両センターの209系・E231系などが留置される時間帯や場合があり、過去には鎌倉車両センターE259系なども留置することがあった。

また2021年までは、幕張車両センター所属のE257系500番台が豊田車両センターに常駐し、臨時のホリデー快速や富士急行線直通列車などの波動輸送に利用されていた。ファンの間では豊田常駐と呼ばれて親しまれていたが、5500番代の改造によってこの常駐運用は消滅している。

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l m n o p 豊田車両センターの歴史~豊田車両センターまつり・こぼれ話~(H24.11.24)” (2022年11月29日). 2022年10月1日確認。
  2. “JR7社14年のあゆみ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 9. (2001年4月2日 
  3. 中央線201系 引退へ”. KSWeb (2010年10月19日). 2022年10月5日確認。

注釈[編集]

  1. 2023年6月1日付で八トタから改称。
  2. 2022年3月改正まで八高線での運用が、2023年3月改正までH編成の青梅線青梅以西・五日市線での運用が存在した。
  3. 編成組み替えを行わなかったH編成については、一部除き編成番号をT100番台に改番した。
  4. 当初は車輪添削庫近くの留置線に野晒しに近い状態で留置されていたが、2020年頃に留置場所を検修庫内に移し保存していた。
  5. クモハ40061のみ運用から撤退した後も職員輸送車として活用され1983年頃までに廃車となった。
  6. M51とM52は転属当初国鉄特急のシンボルマークが無い状態だったが、後に両編成とも設置されている。
  7. その後クモハ100-1013とモハ101-1013が秩父鉄道へ譲渡。クモハ101-1006とクモハ100-1003の2両は保留車としてJRに継承されたが、1988年(昭和63年)3月までに廃車となった。

関連項目[編集]

路線 JT 東海道線JK 京浜東北線 - JO 横須賀線 - JS 湘南新宿ライン - 上野東京ライン - JA JS SO 相鉄・JR直通線) - 東北本線JU 宇都宮線 - JU 高崎線 - JK 京浜東北線 - JA 埼京線 - JS 湘南新宿ライン - 上野東京ライン) - JY 山手線 - 赤羽線JA 埼京線) - JC 中央線快速 - JB 中央線各駅停車 - JO 総武快速線 - JB 総武線各駅停車 - JJ 常磐快速線 - JL 常磐緩行線 - JE 京葉線 - JM 武蔵野線
車両基地
現有組織 東京総合車両センター - 尾久車両センター - 松戸車両センター - 大宮総合車両センター - 大総車セ東大宮センター - さいたま車両センター - 川越車両センター - 小山車両センター - 長野総合車両センター - 松本車両センター - 鎌倉車両センター - 鎌車セ中原支所 - 鶴見線営業所 - 国府津車両センター - 高崎車両センター - ぐんま車両センター - 豊田車両センター - 三鷹車両センター - 勝田車両センター - 幕張車両センター - 幕車セ木更津派出 - 京葉車両センター
廃止組織 田町車両センター - 品川運転所
乗務員区所
現有組織 丸の内車掌区 - 東京車掌区 - 池袋運輸区 - 新宿運輸区 - 大崎運輸区 - 田町運転区 - 大田運輸区 - 中野電車区 - 中野車掌区 - 綾瀬運輸区 - 我孫子運輸区- 東京電車区 - 上野運輸区 - 田端運転所
廃止組織 池袋運転区 - 池袋車掌区 - 品川運転区 - 品川車掌区 - 下十条運転区 - 松戸運転区 - 松戸車掌区 - 蒲田電車区 - 蒲田車掌区 - 上野運転区 - 上野車掌区