バシレイオス2世
バシレイオス2世“ブルガロクトノス”(希:Βασίλειος Βʹ ὁ Βουλγαροκτόνος)は、東ローマ帝国・マケドニア朝の10代目皇帝。なお、「ブルガロクロノス」は「ブルガリア人殺し」を意味する渾名。
生涯[編集]
前半生[編集]
958年、東ローマ皇帝ロマノス2世の長男として生まれる。963年に父帝が亡くなるが、幼少のバシレイオスは政治の中枢からは外され、将軍のニケフォロス2世フォカス、次いでヨハネス1世ツィミスケスが帝位を継いだ。しかし976年にヨハネス1世が死去すると、バシレイオスが19歳にして遂に正帝に即位した。当初は相次ぐ貴族の反乱の対処に苦慮したが、987年のアビドゥスの戦いで首領のバルダス・フォカスを討ち取り、大叔父で権臣のバシレイオス・レカペノスを追放することで実権を握った。
ブルガリア征服[編集]
国内を安定させたバシレイオス2世は長年の宿敵であったブルガリア帝国への攻勢を本格化させた。997年、スペルヒオス川の戦いでブルガリア軍を破り、敵兵1万4千人余りを捕虜とした。バシレイオス2世はこのうち99%の両眼を潰し、片眼を潰した1%を案内役につけてブルガリアに送還。この光景を目にしたブルガリア皇帝サムイルは恐怖にあまりその場で死亡したという。その後も虐殺と侵攻を続け、1018年にブルガリア全土を併合した。
最盛期[編集]
バシレイオス2世はブルガリア征服後もイスラームやノルマン人との戦いに勝利し、イタリア半島南部やシリア、アルメニアに領土を広げた。また、1024年に姪がキエフ大公ウラジーミル1世に降嫁し、ロシア・ウクライナでのギリシア正教化が進んだ。結果としてバシレイオス2世が1025年12月25日に67歳で崩御するまでに東ローマ帝国の領土はユスティニアヌス大帝以来最大となったほか、貴族層の権力が弱まり皇帝権力も強大化したため、彼の治世は中世ビザンツ帝国の黄金時代と称えられる。
関連項目[編集]