コンスタンティノス5世
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コンスタンティノス5世“コプロニュモス”(希:Κωνσταντῖνος Εʹ ὁ Κοπρώνυμος)は、東ローマ帝国・イサウリア朝(シリア朝)の2・4代目皇帝。
718年に生まれる。730年代中頃、ハザール出身のチチャク(エイレーネーに改名)を妃に迎えた。741年、父レオーン3世の死去により帝位を継ぐ。即位から程なくして義兄アルタバスドスに帝位を奪われてしまったが、その後亡命先の小アジアで支援を取り付け、743年にアルタバスドスを破り復位した。コンスタンティノス5世は卓越した軍才の持ち主で、ブルガリアやシリア方面への親征を連発、数々の勝利を収めた。一方イタリア半島ではランゴバルド族の圧迫を受け、同半島最後の帝国領土であったラヴェンナを手放すこととなった。775年9月14日、陣中に於いて57歳で死去し、息子のレオーン4世が後を継いだ。なお、コンスタンティノス5世は父の代に始まった聖像破壊(イコノクラスム)を推し進め、反対派を激しく弾圧したことから後世での評価は芳しくなく、聖職者達から「コプロニュモス(=糞)」という渾名をつけられてしまった。