ゼノン (東ローマ皇帝)

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ゼノン(羅:Zeno)は、東ローマ帝国・レオ朝の3・5代目皇帝。

生涯[編集]

即位まで[編集]

426年に生まれる。政界入りまでは現在のトロス山脈近辺に分布していた少数民族イサウリア人の族長を務めていたとされ、旧名はタラシコデッサだった。460年頃に東ローマ軍に入隊。皇帝レオ1世の寵臣となり、467年に皇女のアエリアと結婚した。ゼノンは軍人としては無能であり、469年には反乱鎮圧に失敗したことで軍司令官を罷免されてしまった。しかし、471年に政敵のアスパル(ゲルマン系の軍人)を家族もろとも殺害し、宮廷での地位を盤石なものとした。474年にレオ1世が死去し、ゼノンとアエリアの息子レオ2世が即位するも在位1年足らずで病死したため、ゼノンが東ローマの皇帝となった。

即位後[編集]

蛮族出身かつアスパルを殺害した経緯からゼノンの評判は非常に悪く、市民や軍隊からの人気は壊滅的だった。即位翌年の475年に早くもレオ1世の義弟バシリスクスらに反乱を起こされ、故郷イウサリアへの亡命を余儀なくされた。この反乱は1年経たずに鎮圧されたものの、479年に義妹レオンティアとその夫マルキアヌスが、484年に同族の将軍イルスとレオンティウスがそれぞれ蜂起。その上混乱に漬け込んだ東ゴート王テオドリックが領内各地を荒らし回った。宗教面では、単性論派とカルケドン派の融和を図ったが失敗し、ローマ教会と東方教会の関係を悪化させた。491年4月9日に後継者を指名せずに65歳で死去。なお、476年に西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位されたことでゼノンは事実上唯一のローマ皇帝となっている。

関連項目[編集]


テオドシウス朝 アルカディウス - テオドシウスII - マルキアヌス
レオ朝 レオI - レオII - ゼノン - バシリスクス - ゼノン - アナスタシウスI
ユスティニアヌス朝 ユスティヌスI - ユスティニアヌスI - ユスティヌスII - ティベリウスII - マウリキウス - フォカス
ヘラクレイオス朝 ヘラクレイオス - コンスタンティノスIII - ヘラクロナス - コンスタンスII - コンスタンティノスIV - ユスティニアノスII - レオンティオス - ティベリオスIII - ユスティニアノスII - フィリピコス・バルダネス - アナスタシオスII - テオドシオスIII
イサウリア朝(シリア朝) レオーンIII - コンスタンティノスV - アルタバスドス - コンスタンティノスV - レオーンIV - コンスタンティノスVI - エイレーネー
ニケフォロス朝 ニケフォロスI - スタウラキオス - ミカエルI - レオーンV
アモリア朝 ミカエルII - テオフィロス - ミカエルIII
マケドニア朝 バシレイオスI - レオーンVI - アレクサンドロス - コンスタンティノスVII - ロマノスI - ロマノスII - ニケフォロスII - ヨハネスI - バシレイオスII - コンスタンティノスVIII - ロマノスIII - ミカエルIV - ミカエルV - ゾエ - テオドラ - コンスタンティノスIX - テオドラ - ミカエル6世 - イサキオスI
ドゥーカス朝 コンスタンティノスX - エウドキア - ロマノスIV - エウドキア - ミカエルVII - ニケフォロス3世
コムネノス朝 アレクシオスI - ヨハネスII - マヌエルI - アレクシオスII - アンドロニコスI
アンゲロス朝 イサキオスII - アレクシオスIII - イサキオスII - アレクシオスIV - アレクシオスV - コンスタンティノス・ラスカリス
ニカイア帝国(ラスカリス朝) テオドロスI - ヨハネスIII - テオドロスII - ヨハネスIV
パレオロゴス朝 ミカエルVIII - アンドロニコスII - ミカエルIX - アンドロニコスIII - ヨハネスV - ヨハネスVI - アンドロニコスIV - ヨハネスVII - マヌエルII - ヨハネスVIII - コンスタンティノスXI