レオーン3世
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レオーン3世“イサウロス”(希:Λέων Γʹ ὁ Ἴσαυρος)は、東ローマ帝国・イサウリア朝(シリア朝)の初代皇帝。なお、「イサウロス」は「イサウリア人」という意味で、彼がイサウリア出身だという誤解から付けられた渾名である。
生涯[編集]
生年は不明で、現在のシリア付近の出身とされる。アナトリア半島東部の軍司令官としてウマイヤ朝のアラブ軍と戦いつつ、717年に首都コンスタンティノープルへ入城。3月25日に東ローマ皇帝テオドシオス3世から譲位されて帝位につき、ヘラクレイオス朝に代わってシリア朝を創始した。同年8月、レオーンを追撃してきたアラブ軍も首都に達し、第二次コンスタンティノープル包囲戦が始まった。レオーン3世は自ら指揮をとってアラブ軍の艦隊を撃破し、ブルガールとの交渉によって増援の約束を取り付けた。最終的にアラブ軍は翌718年に中東へ撤退し、東ローマ帝国は滅亡を免れた。この勝利によって威信を高めたレオーン3世は726年に聖像禁止令を発布し、イコン崇敬の弾圧を開始する。しかしこの措置は帝国内に長期間に及ぶ宗教対立の種を蒔いただけでなく、ゲルマン人への布教に聖像を用いていたローマ・カトリック教会の反発も招き、東西教会の対立が深める結果となった。レオーン3世は以後もテマ制の整備や軍事力増強に務め、740年のアクロイノンの戦いでアラブ軍相手に決定的な勝利を収めた。翌741年6月18日に死去し、息子のコンスタンティノス5世が後を継いだ。
関連項目[編集]