エイレーネー (東ローマ皇帝)
エイレーネー“アテナイア”(希:Ἐιρήνη ἡ Ἀθηναία)は、東ローマ帝国・イサウリア朝(シリア朝)の8代目皇帝。ヨーロッパ史上初めて皇帝となった女性である。
生涯[編集]
即位まで[編集]
752年にギリシアのアテネで生まれる。詳しい経緯は不明だが、769年、東ローマ帝国の皇太子レオーン(後のレオーン4世)に嫁ぐこととなった。エイレーネーの故郷アテネではイコンの崇拝が行われていたが、当時の皇帝コンスタンティノス5世は過激なイコノクラスム(イコン破壊)を推し進めていたため、エイレーネーは信仰の破棄を余儀なくされた。775年にコンスタンティノス5世が、780年にレオーン4世がそれぞれ亡くなり、エイレーネーの実子であるコンスタンティノス6世が9歳で帝位を継いだ。エイレーネーは摂政に就任し、幼少の皇帝に代わって政務を執り仕切った。787年、エイレーネーは第2回ニカイア公会議を招集しイコン崇敬を一時的に復活させたが、イコノクラスム派が母からの独立を望むコンスタンティノス6世と結んで抵抗したことから宗教政策は難航。790年、エイレーネーは摂政の地位を追われることとなった。ところがコンスタンティノス6世は792年のブルガリア遠征で敵前逃亡の失態を晒し、人望を失ってしまう。好機と見たエイレーネーは797年4月19日、巻き返しを図ってクーデタを実行。コンスタンティノス6世は両眼をくり抜かれて廃位され、エイレーネーが新たな皇帝に即位した。
失脚[編集]
当時の価値観において女性の君主は前代未聞であり、ローマ・カトリック教会はエイレーネーの即位を認めず。800年、教皇レオ3世はフランク王シャルルマーニュをコンスタンティノス6世に代わる新たなローマ皇帝として戴冠した。また、エイレーネーはイコノクラスム派が多かった軍人層に弾圧を加えたことでアッバース朝との戦争に敗北したほか、人気取りのための減税により財政破綻を招くなど失政続きで、国民からの支持は全く得られなかった。802年10月31日、税務長官ニケフォロスのクーデタによりエイレーネーは廃位され、レスボス島に追放となった。これにより約90年続いたイサウリア朝は断絶した。エイレーネーは803年8月9日に追放先で死去したが、後に列聖され正教会の聖人となった。
関連項目[編集]