コンスタンティノス6世
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コンスタンティノス6世(希:Κωνσταντίνος ΣΤ')は、東ローマ帝国・イサウリア朝(シリア朝)の7代目皇帝。
771年1月14日に生まれる。780年、父レオーン4世の死去により東ローマ皇帝となるが、即位時点でまだ9歳だったため、母后エイレーネーが摂政として実権を握った。やがてコンスタンティノス6世は親政を望むようになり、エイレーネーと対立するようになる。しかしブルガリア遠征での失態や離婚問題の影響で軍や教会からの支持を失い、797年4月19日、エイレーネーのクーデタにより廃位された。コンスタンティノス6世は失脚後両眼をくり抜かれて追放されたとされるが、その後どうなったのかは分かっていない。なお、彼の遺児エウフロシュネが後に皇帝ミカエル2世の皇后となった。