12世紀
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12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す世紀。
伝説・架空のできごと[編集]
- 1119年 - 1125年 - 北宋の徽宗皇帝の宣和年間、様々な事情で世間からはじき出された宋江ら好漢(英雄)108人が義侠心で結びついて梁山泊に集結。やがて官吏の不正がはびこる世情に義憤を覚え官吏を打倒し国を救うことを目指すようになる(原典は『大宋宣和遺事』だが、やがて講談や小説の『水滸伝』に発展)。
- 1120年 - 1170年 - ホワイトシップの遭難からトマス・ベケットの暗殺までのイングランドのキングズブリッジで、トム・ビルダーとその仲間たちが大聖堂を建築する(ケン・フォレット『大聖堂』)。
- 1135年 - 1154年 - イングランド王スティーブンの時代、サフォーク州のウールピットのオオカミ穴から見知らぬ少年少女が出現した。二人とも全身が緑色で、見たこともない素材でできた衣服を身にまとい、言葉は全く通じなかった(ニューバーグのウィリアム修道士の年代記『英国事件史(Historia rerum Anglicarum)』の「グリーン・チルドレン伝説」)。
- 1135年以降 - ヘンリー1世亡き後のイングランドを舞台に、第1回十字軍に参加した後に修道士となった経歴をもつカドフェルが東方より学んだ薬草学の知識や洞察力を駆使して難事件を解決していく(エリス・ピーターズの歴史ミステリー『修道士カドフェル』)。
- 1151年 - 1154年 - 近衛天皇の仁平年間に御所清涼殿に鵺が出現し、源頼政がこれを退治する(『平家物語』第四巻「鵺」)。
- 1154年 - 鳥羽上皇のもとへ絶世の美女玉藻前が現れ上皇に寵愛されるも、九尾の狐であることが露見し討伐されるが、那須の殺生石となってなおも人々を苦しめる(史書『神明鏡』・能『殺生石』・御伽草子『玉藻の草紙』ほか「九尾の狐」伝説)。
- 1165年 - 保元の乱で敗れ伊豆大島に流された鎮西八郎源為朝は、後に琉球に渡って大里按司の妹と結ばれ、琉球王国の始祖舜天の父となる(琉球王国の正史『中山世鑑』では事実として記載されているが真偽は不明。この伝説をもとに書かれたのが曲亭馬琴の『椿説弓張月』)。
- 1168年 - 歌人の僧西行が讃岐国に下り白峰にて崇徳上皇の怨霊に遭遇する(上田秋成『雨月物語』「白峰」)。
- 1177年 - アヴィニョンのベネゼが神の啓示を受け巨岩を持ち上げるなどの奇跡を起こしつつサン・ベネゼ橋建設に着手( - 1185年。唱歌『アヴィニョンの橋で』のもととなった伝説)。
- 1180年以前 - 平家追討以前に若き御曹子源義経は、庇護者である藤原秀衡より、北の国の都に「かねひら大王」が住み、「大日の法」と称する兵法書があることを聞かされ、旅に出る。裸の者ばかりの「裸島」、女ばかりが住む「女護の島」、背丈が扇ほどの者が住む「小さ子の島」などを経めぐった後、目的地である蝦夷が島に向かう(室町時代の御伽草子『御曹子島渡』、後に成立する「義経北行伝説」にも影響を与える)。
- 1180年 - 福原京に遷都されたこの年、いつものように平清盛がその邸宅で庭を眺めていると、折からいくつもの骸骨が出現し、さらには一つの大髑髏に合体し、清盛を睨みつけた。清盛も目を見開いて睨みつけると、大髑髏は不意に姿を消してしまった(原典は『平家物語』「物怪之沙汰」、後に鳥山石燕により「目競」という妖怪の名をつけられる)。
- 1185年 - 兄である源頼朝からの追討を避けるために、摂津国大物浦から海路で落ち延びようとした源義経とその部下たち。しかし港を出てから暴風雨に巻き込まれ、義経によって西海に滅んだ平家一門の怨霊がこぞって出現する(謡曲「船弁慶」)。
- 1189年 - 衣川の戦いで藤原泰衡に殺害された源義経であったが、義経に従っていた常陸坊海尊はその場に居合わせず死を免れた。以来、義経一行のことを語り継ぐ者として不老不死の命を得たという(林羅山『本朝神社考』では残夢と言う僧侶がその人物だと記載され、『清悦物語』などに発展する)。
- 1190年以降 - 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世は死んだのではなく、テューリンゲン地方のキュフホイザー山中に眠り続けている。帝国が危機に襲われた時には再び蘇り苦境から救い出すという(グリム兄弟『ドイツ伝説集』)。
- 1193年 - saku sakuに出てくるアパート「エスポワ〜ル横浜第2」が数々の名宮大工の手によって完成。
- 12世紀末 - 第三回十字軍遠征が終わったエルサレムで、富と知恵を兼備したユダヤ商人ナータンは、イスラム教の名君サラディンによる難問「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいずれが真の宗教か?」に対し、真偽の識別がまったく不可能な三つの指輪のたとえ話を用いて、この問いの無意味さを説く(ゴットホルト・エフライム・レッシングの劇詩『賢者ナータン』)。