5世紀

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

テンプレート:前後世紀 5世紀(ごせいき)は西暦401年から西暦500年までの世紀をいう。

出来事[編集]

  • 倭の五王が度々中国に使節を派遣した。(『宋書』)
  • 477年、昇明元年(477年)11月己酉条に、倭国が遣使し方物(特産品)を献上したと書かれる。
  • 478年、順帝の昇明2年(478年)に、倭王武が宋に上表文を奉り、順帝は武を「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」に任命した。

架空のできごと[編集]

  • 5世紀 - 西ローマ帝国支配下のガリア(フランス)。羊飼いの少女アストレと青年セラドンは純粋に愛し合っていたが、あらぬ誤解からアストレはセラドンを拒絶してしまう。絶望したセラドンは川に身を投げ自殺を図るが、森の妖精ニンフに救われ一命を取り留める。(オノレ・デュルフェの小説『アストレ』。これを映画化したのがエリック・ロメール監督作『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』)。
  • 5世紀 - 現在のブルターニュ地方にコルヌアイユという国があり、グラドロン王が支配していた。聖コランタンにより王はキリスト教に改宗したが、娘のダユーはそれを良しとせず、新たに海に面した都イスを建造し移り住んだ。イスの支配者となったダユーは海行く船から富を略奪し、その豊かな富で享楽に溺れ、この地は背徳のはびこる都となっていった。コランタンは弟子の聖ゲノルにイスの人々を改悛させようとするもかなわず、ダユーが悪魔にそそのかされて水門が開けられると、この都はダユーとともにみるみる水没し、海の奈落に沈んでいった(ブルターニュ民譚集『バルザス・ブレイズ』他の「イスの伝説」)。
  • 5世紀 - 6年6週と6日もの間、シモン(登塔者シメオン)は砂漠の柱で修行に励む。柱の上で一心不乱に祈りを捧げるシモンの前に、魔女や豪勢な食料を持った悪魔が現れては甘言を弄し堕落を促す。その誘惑に負けまいとしつつも、朦朧とした意識からついにシモンは塔から降りてしまう。(ルイス・ブニュエルの映画「砂漠のシモン」)。
  • 448年 - ローマ皇帝デキウス治世下の251年、迫害されていたキリスト教徒の若者7名が、小アジアエフェソス近郊の洞窟に閉じ込められる。以来、彼らは深い眠りに落ち196年の歳月が経った。東ローマ皇帝テオドシウス2世が治めるこの年に洞窟の封鎖は解かれ、彼らは覚醒し、キリスト教がローマ帝国の国教に変わっていたことに驚く。(ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』ほかの「七人の眠り聖人伝説」)。
  • 478年 - 丹波国余社郡筒川の人である瑞江浦島子が海へ船を出し、沖合で釣りをしていたところ、巨大な亀を釣り上げる。その亀が美女に姿を変えたので、浦島子はその美女を妻とし、二人でともに海へ入り、蓬萊山へ至って仙境を見て回ったと言う(『日本書紀』雄略紀22年条。最古の「浦島太郎伝説」)。