13世紀

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13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀

架空のできごと[編集]

  • 1204年 - 第四回十字軍によるコンスタンティノポリス占領の混乱で窮地に追い詰められた東ローマ帝国の高官・歴史家ニケタス・コニアテスは危機一髪のところをラテン人バウドリーノに救出される。バウドリーノは奇想天外な人生の顛末をニケタスに語り始める(ウンベルト・エーコ『バウドリーノ』)。
  • 1205年 - 栂ノ尾高山寺明恵が入唐渡天を志し、春日明神に暇乞いをする。一人の翁が現れて明恵の出立を止めるように申し入れる。老人は春日神社の使者で、八大龍王が眷属を引き連れて現れ、諸仏が居並ぶ中で釈迦が説法をする様子を見せると、明恵はこの奇跡を見て入唐渡天を思い止まる(能「春日龍神」)。
  • 1213年 - 北条氏に反発した侍所別当和田義盛らが反乱を起こし(和田合戦)、和田一族の多くが滅せられる中で、義盛の三男朝比奈三郎義秀は生き残り安房国に出奔。この後、高麗に渡ったという伝説のほか小人の島や馬人の島を訪ねたとも伝えられ、果ては地獄をめぐり閻魔大王と対決したという伝承も残されている(「朝比奈三郎伝説」)。
  • 1216年以前 - ノッティンガム南方に位置するゴタム村に、悪名高いジョン王が道路を貫通させようと狙っていた。王の使者が視察に来たところ、村人たちは世にも愚かしい行為を繰り広げることでジョン王の使者を辟易させ、計画を撤回させたので「ゴタム村の賢人たち」と呼ばれた(イングランドの昔話。後にはマザーグース童歌にもなる)。
  • 1216年 - 1227年 - ローマ教皇ホノリウス3世は諸学を修め多方面の学識に富む人物であったが、魔術にも精通しておりグリモワールと呼ばれる魔術書の一つ『教皇ホノリウスの奥義書』を執筆する(この著作は教皇ホノリウス3世に仮託した17世紀の魔術本である)。
  • 1220年頃 - アルプスを南北につなぐゴッタルド峠はかねてから交通の難所で、ある牧人が悪魔に頼み込んで特別な橋を架けてもらう。悪魔はその引き換えに生贄を要求するが、機転を利かした牧人によって悪魔は退けられる(ゴッタルド峠魔橋伝説)。
  • 1239年以降 - 皇帝党(ギベリン)と教皇党(ゲルフ)の対立するヴェローナで、モンタギュー家の息子ロミオと、キャピュレット家の娘ジュリエットの惹かれあう想いは、両家の因縁の対立から阻まれ、やがて悲劇的な結末を辿っていく(ウィリアム・シェークスピアの悲劇)。
  • 1249年以前 - 聖一国師円爾が日本に禅を招来したことにより、日本の菅原道真が中国の南宋に渡り、径山万寿寺無準師範のもとで学び衣鉢を継いだ。道真は中国の文人の姿となり梅花を手に持つ像が描かれた(「渡唐天神伝説」、花山院長親『両聖記』)。
  • 1256年 - モンゴル帝国皇帝のクーブラ・カーン(クビライ・カアン)が、聖なるアルフ河の流れに沿って、城壁城塔がそびえたつ、そして甘美な花咲きそろう庭園を持つ歓楽の都ザナドゥを建立していく。イギリスの詩人コールリッジは、1797年のとある日、麻薬を吸引したままこの幻想的な夢を見、その光景に目を奪われた(サミュエル・テイラー・コールリッジ『クーブラ・カーン』)。
  • 1256年以降 - 1263年以前 - 僧形となった北条時頼が諸国遍歴の途上、下野の御家人佐野源左衛門尉常世の館で一夜の宿をとる。源左衛門は自ら梅・松・桜の鉢植えの木を火にくべて精いっぱいのもてなしをしつつ「落ちぶれてはいても、何事かあれば「いざ鎌倉」と駆けつける」との気概を語る(謡曲鉢の木』)。
  • 1261年 - 1264年 - 愛欲生活を続けてきたタンホイザーが教皇ウルバヌス4世に懺悔するが、教皇は自分の持つ枯れ木の杖から芽が出るまで救われることはないと告げる。悲嘆に暮れるタンホイザーがその場を立ち去ると、教皇の杖から新たな芽が生えてきたが、ついに彼を見つけ出すことはできなかった(「タンホイザー」伝説)。
  • 1271年/1275年 - 1292年 - クビライ・カアンに仕えたマルコ・ポーロが各地を巡り「死者たちとすれ違う都市」「名前の上にのみ育つ都市」「蜘蛛の巣都市」などの不思議な街を紹介する(イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』)。
  • 1272年 - 鎌倉建長寺の裏山で老いた寺男安里(あんり)が、大覚禅師(蘭渓道隆)により日本に連れて来られる以前はフランスの牧童で少年十字軍に加わっていたことを語りだす(三島由紀夫海と夕焼』)。
  • 1282年 - フランス人支配に不満が高まっているシチリア島で、前シチリア王の妹エレーナと島の若者のアッリーゴは身分違いもあってその恋愛はうまく成就しない。複雑な経緯があってやがてこの二人は「シチリアの晩鐘」事件に巻き込まれていく(ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「シチリアの晩鐘」)。
  • 1285年 - 道ならぬ恋によりリミニ領主ジョヴァンニ・マラテスタの怒りを買った、その妻フランチェスカとその弟パオロは、ともに殺害され愛欲の地獄に落ちてからも、黒い風に吹き流され永遠にさまよい続けている(ダンテ・アリギエーリ神曲』地獄篇第二圏)。
  • 1294年 - 愛知県志段味村(現名古屋市守山区)の出土品として紹介された鎌倉時代の古瀬戸は「永仁二年(1294年)」の名を持つことから「永仁の壺」と称され、1959年(昭和34年)には国の重要文化財に指定された(実際にはこの壺は現代陶芸家加藤唐九郎の贋作で、美術史学界・古美術界・文化財保護行政を巻き込むスキャンダルとなった。詳細は「永仁の壺事件」を参照のこと)。
  • 1300年 - 聖金曜日に詩人ダンテが人生の半ばで暗い森に迷い込み、地獄煉獄天国遍歴が始まる(ダンテ・アリギエーリ『神曲』地獄篇冒頭)。
  • 13世紀から14世紀 - モンゴルの支配が及ばない都市ノブゴロドの冒険商人であったサトコは、航海途上で船が立ち往生したことで生贄とされ、その身は海に投じられた。海の帝王の怒りを宥めるためサトコは懸命に歌い、それがもとで帝王の娘ヴァルホヴァとの結婚が許される(ニコライ・リムスキー=コルサコフオペラサトコ』、原作はロシアの口承叙事詩(ブィリーナ))。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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