11世紀
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テンプレート:前後世紀 11世紀(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、西暦1001年から西暦1100年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最初の世紀である。
架空のできごと[編集]
- 11世紀 - ニーシャプールのイマーム・ムワッファクの許で、同時期に三人の優れた学生が学んでいた。そのうちの一人は、後にセルジューク朝のワズィール(宰相)となったニザームルムルクであり、一人は暗殺教団(ニザール派)の指導者となったハサン・サッバーフであり、もう一人は科学者であり著名な詩人となったウマル・ハイヤームである(イランの伝説)。
- 11世紀前半 - イングランドのマーシア伯レオフリックの夫人ゴダイヴァは、夫レオフリックの圧政を諌めるためコヴェントリーの街を馬に乗ったまま裸で行進し、それを見事果して夫に重税を取り除かせた(ロジャー・オブ・ウェンドーヴァーの年代記、『歴史の花』の挿話)。
- 1000年頃 - ノルマンディー公夫人は、長らく神に子供が授かるよう祈り続けたが効果がなく、絶望のあまりそれを悪魔に願ったところすぐさま聞き入れられ、生まれた子はロベール(仏語でロベール、英語でロバート)と名付けられた。しかしそれが呪われた悪夢の日々の始まりであった(元の話は中世の「悪魔ロバート」伝説。1769年までには『ノルマンディーの無怖公リシャールとその子、悪魔ロベール史話)』にまとめられ、悪魔公と呼ばれたノルマンディー公ロベール1世の事績と結び付けられた。やがてジャコモ・マイアベーアによるオペラ「悪魔のロベール」などへ発展する)。
- 1003年以降 - 日本人僧寂照が仏道修行のため渡宋し清涼山に赴くが、麓に長い石橋があって人づてに聞くと容易に渡れるものではないという。しばし待つと牡丹の花咲き乱れる中から獅子が登場し、舞を舞いながら文殊菩薩の霊験を示していく(能「石橋」)。
- 1019年頃以降 - 石山寺参詣の道行きで、安居院法印はさる女性から紫式部の霊の供養を依頼される。石山寺で『源氏物語』を書いた罪障浄化のため法印が供養を行うと、紫式部の霊が出現し感謝を述べ舞を舞う(能「源氏供養」)。
- 1021年以降 - イングランド生まれのロブ・コールが医師になる志を持ち、当時最高の医学を求めエスファハーンのイブン・スィーナーのもとへと旅立つ(ノア・ゴードン『ペルシアの彼方へ 千年医師物語』)。
- 1025年 - 洛北紫野の雲林院菩提講にて190歳の大宅世継と180歳の夏山繁樹がそこに集まった聴衆に向けて昔語りをする(『大鏡』)。
- 1026年 - 宋の仁宗の治世のこの年、都の開封へ科挙の試験を受けに来た趙行徳であったが、偶々出会った西夏人の女性の逞しさに魅了され、図らずも試験を放擲し西夏に向かう。西夏の部隊に生け捕りにされ、外人部隊へと編入されるなど辛酸を舐めるが、やがてその学識と胆力を買われ部隊長に重用されていく(井上靖『敦煌』)。
- 1040年 - スコットランドの将軍マクベスが三人の魔女たちから「王になる」との予言を受け、国王ダンカン1世を殺害する(シェークスピア『マクベス』)。
- 1057年以降 - 前九年の役で安倍頼時が倒されると、二人の息子貞任・宗任が一族の再起をかけて奮戦する。彼らの母岩手はその資金を募るためとは言え非道な殺人や強盗を繰り返していた。しかしある時殺害した女性が自分の娘である恋絹だと判明すると絶望のあまり谷底に身を投じて絶命する(近松半二の人形浄瑠璃『奥州安達原』の四段「一つ家」ほか「黒塚伝説」)。
- 1058年 - 洪大尉、伏魔殿を開き、百八の魔星を解き放つ(『水滸伝』)
- 1075年 - 1094年 - 陸奥国掾岩城正氏の子である厨子王が関白藤原師実の知己を得て丹後の国司に赴任し、かつて厨子王とその姉安寿に虐待を加えた山椒大夫に復讐を果たす(説教節「山椒大夫」/森鷗外『山椒大夫』)。
- 1084年以降 - 園城寺(三井寺)の戒壇設立を延暦寺衆徒に妨害されてきた頼豪阿闍梨が、死後に怨念のあまりネズミとなって延暦寺の経文や代々の重宝を食い散らかし復讐を果たす(『平家物語』『太平記』)。
- 1099年 - シオン修道会は、この年に設立されたヨーロッパの秘密結社である。1975年にパリ国立図書館で『秘密文書』として知られる資料が発見されるまで、シオン修道会の会員に多くの歴史的偉人が含まれていたことは知られていなかった(ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』)。