じゃりン子チエ (映画)
『じゃりン子チエ』(英語:Chie the Brat: Downtown Story[1])は、はるき悦巳の同名漫画を原作とする1981年公開のアニメーション映画。映像ソフトや一部のストリーミングサービスでのタイトルは『じゃりン子チエ 劇場版』。
概要[編集]
1981年4月11日初公開。上映時間は110分[2](1時間49分59秒16コマ[3][4])。高畑勲監督の長編アニメーション映画第2作。公開後に映画のカットを一部流用したテレビアニメ『じゃりン子チエ』(1981年10月~1983年3月放送)も制作され、高畑がチーフディレクターを務めた。高畑は本作以後日本を舞台とする作品のみ世に送り出したと回想しており、一つの節目となった作品とされる[5]。高畑の監督作品としては比較的マイナーな作品であるが[5][6]、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)と並びテレコム・アニメーションフィルムの初期の代表作、日本のアニメーション史上重要な作品の一つであるとされる[7]。
製作はキティ・ミュージック(現・ユニバーサルミュージック)、東京ムービー新社(現・トムス・エンタテインメント)、配給は東宝。アニメーション制作はテレコム・アニメーションフィルム。キャラクターデザインは小田部羊一、作画監督は小田部羊一、大塚康生、美術監督は山本二三。高畑・大塚・小田部の3人が組んだのは長編では『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)、短編では『パンダコパンダ』(1972年)、『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』(1973年)以来。主人公チエ役は当時参議院議員だった中山千夏。当時の漫才ブームに乗って、キャストは吉本興業所属の芸人を中心に起用して話題を呼んだ[5][8]。芸人以外のキャストも関西出身の役者を起用している[8]。特にテツ役の西川のりおは当たり役と言われる[6][9]。
大阪の新世界と思しき下町を舞台に「小学生ながらホルモン焼き屋を支えるしっかり者の少女チエ」と「賭博と暴力に明け暮れるダメな父親テツ」のドラマを主軸とした人情劇である[5]。当初監督候補だった宮崎駿の演出手法とは対照的に原作に忠実な姿勢をとっている[5][10]。原作第1話「チエちゃん登場」から第20話「アントンJrVS小鉄の巻」までのエピソードを再構成している。当初はテレビシリーズ第11話「金賞!チエちゃんの作文」に相当する原作第21話「ウチのお父はん」のエピソードで終わる予定だった。原作で重要なキャラクターであるチエの親友ヒラメは中途半端に書きたくないという理由で登場しない[5]。高畑は「それは結局ね、ヒラメちゃんはものすごく魅力があると思うんですよね。(中略)塩せんべいのエピソード…もうあれからないとね、やっぱり。」と語っている[11]。原作の舞台「西荻」は釜ヶ崎(あいりん地区)がモデルであるとされるが、本作やテレビアニメ版では通天閣が映し出され、舞台が隣接地域の新世界に設定し直されている。寄せ場・スラムとして認知されている釜ヶ崎のネガティブなイメージを払拭しようとする映画会社やテレビ局の政治的配慮があったと考えられている[12]。
高畑は本作の前に世界名作劇場シリーズの『アルプスの少女ハイジ』(1974年)、『母をたずねて三千里』(1976年)、『赤毛のアン』(1979年)の演出を手がけていた。高畑は『アニメージュ』1980年1月号のインタビューで名作ものと『チエ』をやることに違和感はないか聞かれ、「それはない。むしろ、同根のもの、あるいは延長線上にあるものと考えています。登場人物たちが日常をどう生きているのか、これは「ハイジ」以来、ぼくが一貫してやってきたことですから」と答えている[13]。本作は『ハイジ』で確立された「生活アニメ」という方法論を日本に適用した「日本を舞台にした生活アニメ」と位置付けられる[14]。また原作を「ユーモア小説」と捉え、登場人物に一定の距離を持って接する『アン』の方法論を踏襲した作品とも位置付けられる[5][6]。小田部は『ハイジ』『三千里』のキャラクターデザイン、作画監督を手がけていた。本作ではチエの横顔がハイジそっくりになる[6]。
絵コンテが『スタジオジブリ絵コンテ全集』、映像ソフトが「ジブリがいっぱいCOLLECTION」から発売されており、ジブリ映画と誤認されることがある。
ストーリー構成[編集]
原作第1話「チエちゃん登場」から第20話「アントンJrVS小鉄の巻」までのエピソードを再構成している。第12話「ご対面……」から第16話「母の帰還」までは基本的にカットし[13]、第14話「同居予行演習」の親子3人で金閣寺に行くシーンは遊園地に行くオリジナルシークエンスに変更している[5]。遊園地のエピソードの後、猫の小鉄とアントニオ・ジュニアの決闘がラストシーンとなっている。当初は原作第21話「ウチのお父はん」のチエが作文を発表するエピソードの後、まじめなフリをして働くテツを見てヨシ江が夕食の支度をしにいくというラストシーンだった[13][15]。『アニメージュ』1980年1月号に原作と脚本の決定稿(絵コンテの前段階)を比較する記事が掲載されている。
高畑は金閣寺のシーンを削除した理由について、チエが大人でテツが子供という役割が急に逆転すること、テツはヨシ江の帰還後も変化がないためチエが夫婦仲を取り持ったことにはならないこと、条件がなくともヨシ江が家に帰る素地があることの3点が辻褄が合わない点、金閣寺のシーンだけで1時間40分の枠を使ってしまう点をあげ、「ぼくが一番いやだったのは、中途半端にそこを入れて、適当に観客の感情を刺激して円満な解決をする映画にすること。“円満さ”というのは、結局、月並みなところにおちこみますからね」と語っている[13]。遊園地のシークエンスは3つの辻褄が合わない点を逆手にとって、チエの子供らしい部分を描くエピソードとなっている[14]。
感動的な金閣寺(もしくは遊園地)や作文のエピソードではなく猫のエピソードをクライマックスにすることを疑問視する見方もある[5][9]。高畑はラストシーンを変更した理由について「入れるつもりで設計したしたわけですから、それをバッサリ切ったのは必要ないということではまったくなかったんですよ。とても入りきらなかったんです。そこで『チエ』の世界を十分、画面に出すことに重きを置いたんですよ。ストーリー上、映画としては損をしても、そのほうがいいと思ったものですから」と述べている[15]。当初のシナリオの方がまとまっているが、ラストを変更したことで、ヨシ江が帰宅したことを除けば親子3人の関係が変わらない状態、登場人物たちの日常が続いているような雰囲気を残している[14]。なお高畑は『アニメージュ』1980年1月号のインタビューでチエはどんな子か聞かれ、「反対に聞きますけど、チエは“なみの子”になりたいと思っていますかね!?」「ぼくはこの映画の中で、そこをあいまいにしておきたいと考えているんです。たとえば、3段論法を成り立たせるならこんなふうにいえる。テツというやつはヒドイやつ。なぜなら、テツが生きられるのは、チエの犠牲において成り立っているから。だったら、チエを犠牲にしてはならない。つまり、テツはいまのテツであってはならない――しかし、ぼくはテツみたいなやつがいてもいいんじゃないかと思っているわけですよ。だからあいまいに描きたいんです」と述べている[13]。
スタッフ[編集]
- 製作:多賀英典、片山哲生
- 原作:はるき悦巳(週刊漫画アクション連載 双葉社刊)
- 脚本:城山昇
- 作画監督:小田部羊一、大塚康生
- 美術:山本二三
- 撮影:高橋宏固
- 録音:加藤敏
- 編集:鶴渕允寿
- 助監督:三家本泰美
- 音楽:星勝
- 監督:高畑勲
- 原画:才田俊次、篠原征子、丹内司、富沢信雄、山内昇寿郎、丸山晃一、友永和秀、田中敦子、道籏義宣、後藤紀子、奥山玲子
- 動画:田辺厚子、塚田洋子、桜井陽子、平間久美子、川中京子、二木真希子、八崎健二、難波日登志、浦谷千恵、林雅子、小山田桂子、堤純子、島田明子、藤村和子、橋本三郎、遠藤正明、小野昌則、北川美樹、青木康直、菊地宏和、原田俊介、植田均、道籏真佐美、片山一良、比留間敏之、下崎ジュン子、OHプロダクション
- 背景:アトリエ・ラスコー 横山幸博、山川晃 椋尾スタジオ 河野尋美 みに・あーと 田原優子 池田祐二、青木勝志、早乙女満 松浦裕子
- 仕上:スタジオ・キリー 岩切紀親、會田修一 イージーワールド・プロ 池内道子 アート・キャッツ 石川雅代 スタジオ・ジャム しもだいら好則 永浜由紀子、八尋清美
- 撮影:宮内征雄、平山昭夫、細野正、斉藤佳三、大田勝美、中村喜則、安津畑隆、小林武男、高橋宜久
- 整音:前田仁信
- 効果:倉橋静男(東洋音響)
- ネガ編集:高橋和子
- タイトル:藤井敬康
- 動画検査:原恵子、小林弥生
- 色彩設計:近藤浩子
- 制作担当:仙石鎮彦
- 制作デスク:竹内孝次
- 制作進行:早乙女弘、土岐友二
- 録音:東北新社
- 現像:東洋現像所
- 制作協力:テレコム・アニメーションフィルム、澤田隆治(東阪企画)
キャスト[編集]
主題歌[編集]
製作[編集]
1977年8月公開の『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによって劇場用長編ミニ・ブームとも言える市場が生まれた。『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)や『じゃりン子チエ』(1981年)はそうした流れの中で成立した企画であるが、実写監督を起用した作品ではない点が他の作品と異なっている[17]。
はるき悦巳の漫画『じゃりン子チエ』は井上ひさし、大岡昇平から絶賛され、単行本の売り上げが400万部を突破する人気作となり、1980年の年末に映画会社やテレビ局の間で争奪戦が起きた[18]。12社が映画化、テレビ化を申し込み、東宝、キティ・ミュージック(現・ユニバーサルミュージック)、東京ムービー新社(現・トムス・エンタテインメント)の3社がアニメ化権を獲得した[13][19]。他社ではテツ役に菅原文太を起用して実写にする案もあったとされる[13]。
1980年春頃に東京ムービーの制作部門であるテレコム・アニメーションフィルムが『カリオストロの城』に次ぐ劇場用長編次回作として『じゃりン子チエ』の制作を担当することになった[20]。藤岡豊(東京ムービー、テレコム社長)は当初『カリオストロの城』の宮崎駿か『エースをねらえ!』の出崎統に演出を依頼することを考えていた[20]。しかし、大塚康生から演出の話を持ちかけられた宮崎はあまり関心を示さず、「もし僕がやるとすれば全編、猫の目線で見た世界でやるしかないなあ……」と述べ、藤岡も宮崎には「合わない」と考えたようだった[20]。また藤岡は友人の人形劇演出家の清水浩二から「関西の心がわかる人、若い奴じゃ駄目だよ」との助言を受け、出崎についても「違う」と思ったようだった[20]。藤岡は大塚を通して関西出身の高畑勲に演出を依頼し、高畑は原作を熟読した上で承諾した[20]。
高畑はチエと母のヨシ江を主に描く作画監督として小田部羊一に来てもらい、その他のキャラクター担当の作画監督として大塚康生を選んだ[21]。小田部は原作掲載誌を読んでいたが、原作漫画は「ガハハと大きな口を開けているのばかりが目について、あまり好きじゃなくて」飛ばしていた。しかし、妻の奥山玲子が一番面白いと言うので読み返し、感心しているときにキャラクターデザインと作画監督の依頼を受けたため、この仕事を引き受けた[22]。奥山はメインの原画スタッフとして参加した[6]。1980年6月下旬時点で監督・作監・テレコムは決定済みだった[13]。
1980年夏過ぎから準備作業に入った[23]。1980年7月中旬に藤本義一にシナリオが発注され、8月第1週に第1稿が完成したが[13][21]、「はるき悦巳さんというよりも、藤本義一さんそのもの」[21]で原作のイメージが損なわれるためにボツとなった[13]。8月中旬に城山昇にシナリオが発注された[13]。また高畑自らで「原作のエピソードを可能な限り忠実に配置したストーリーをまとめあげ」た[21]。当初はお正月公開を予定していたが、高畑が終盤の一家が遊園地から帰ってくるシーンをどうするか悩み、絵コンテがあがらなかったためにスケジュールが遅れた[24]。
作画は1980年12月から1981年4月の5ヶ月で完了し、これは高畑の長編最短制作期間であるとみられる[25]。作画枚数は当初目標の3万枚を大きく上回る4万7000~8000枚となり[3]、『カリオストロの城』の3万5000枚をも大きく上回った[5]。通常のテレビアニメではセルは2、3枚、多くて4枚だが[3]、本作ではほとんどが約5枚で[11]、6枚重ねも多くあった[3]。
劇中のチエと母のヨシ江が映画館で鑑賞する作品として特撮映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)の映像がインサートされている。高畑とスタッフが劇中で鑑賞する映画について話しているとき、時代色から『ゴジラ』や『モスラ』の話になり、小林弥生が「ミニラが可愛い」と言い出し、高畑はこの映画を知らなかったもののチエの親子関係に触れ合うとして採用した[15]。
高畑と美術の山本二三はそれぞれ2回ずつ大阪へロケハンをした[11]。高畑と山本の2人だけでロケハンしたとき、西成区の木賃宿に宿泊して共同風呂に入った[26]。山本は原作のペンのタッチ、水彩画の透明感、石版画の質感を足した背景画を作成した[27]。山本は原作の雰囲気を出すため、1900年代初頭のリトグラフ(石版画)やウィンザー・マッケイの『リトル・ニモ』から石版印刷風のザラついたマチエール(絵肌)を取り入れようと試みた[27][28]。紙は普通の画用紙に水を多量に使うとデコボコになってしまうため、水を吸収しやすいワトソン紙を使用した[29]。これを事前に水で濡らしてボードに張り付け、テープで固定した(水張り)[29]。絵の具は従来のポスターカラーを使用しているが[29]、一般的な厚塗りではなく、色を薄く塗るという方法をとった[30]。また一度描いた絵を水刷毛で洗い、画面を毛羽立てさせる「水洗い」という技法で石版印刷風の質感を付加した[31]。原作の線の表現を生かすため、建物などは黒インクでペン入れした[28][30]。約800カットすべてに水張りとペン入れをほどすという手間のかかる作業を行った[32]。
キャストは吉本興業所属の芸人が中心[5]。高畑はキャストについて「ちゃんと関西弁を話せる人を!」と要求した。片山哲生プロデューサーが知り合いの澤田隆治プロデューサーに相談し、「どうせだったら全部関西タレントにしよう!」ということで吉本興業に打診した[33]。チエ役の中山千夏は東北新社の加藤敏が推した[13]。テツ役の西川のりおは制作デスクの竹内孝次によると、竹内がたまたま西川が出演するテレビ番組を見てビデオ録画して高畑に見せたことが起用につながった[33]。澤田プロデューサーによると、澤田が西川を推した[34]。片山プロデューサーはタレントを起用した理由を「大人の鑑賞にたえられる作品にしたかったからなんです。そのために誰にでもわかる関西弁を使いたかったんです。それには上方の芸人さんしかいませんね」と述べている[35]。録音はアフレコで行われた。関西の役者が多いため、アフレコは東京と大阪に分けて行われた[36]。高畑はプレスコの方が芸人の起用を生かせたと振り返っている[37]。
公開[編集]
同時上映は植田まさし原作、杉山卓監督の『フリテンくん』[9]。大阪が舞台ということもあり、関西方面でヒットした[8]。キネマ旬報1981年度ベスト・テン第36位。映画のヒットを受けてテレビシリーズ『じゃりン子チエ』(1981年10月~1983年3月放送)が制作された[8]。
1981年4月12日に関西テレビと東阪企画の共同制作、フジテレビ系列で放送の演芸番組「花王名人劇場」で本作の宣伝番組『アニメDEマンザイ じゃりン子チエ』が放送された。東阪企画の澤田隆治プロデューサーが本作のキャスティングに協力した関係で制作された[34]。
2005年にフランスで劇場公開された。上映館数は57館、観客動員数は8万4288人[38]。
評価[編集]
アニメーター・演出家[編集]
藤岡豊(東京ムービー新社、テレコム・アニメーションフィルム社長)は日米合作映画『リトル・ニモ』の制作時、名刺代わりとして『ルパン三世 カリオストロの城』と『じゃりン子チエ』の特注の英語字幕入りのフィルムを用意し、ハリウッドの映写室を借りてしばしばミニ上映会を開いた。ディズニーその他のプロダクションから多くの人が招待されて参加し、2本の作品は藤岡の信用度を上げることに貢献した[39]。ディズニーの長老、フランク・トーマスとオリー・ジョンストンは『じゃりン子チエ』を観て非常に驚き、「これは私たちがこれまで見た日本のアニメーションで最高の作品です。テツのような人物はアメリカにもたくさんいます。もちろんチエもしっかりしたアメリカの健気な少女を思い起こさせます。暖かい視線としっかりした人間描写は、私たちディズニーが到達し得なかった素晴らしい作品です。アニメーションに異次元の世界を期待する人たちには戸惑いを与えるかもしれませんが、いつか必ず理解されます。最高の作品で心から拍手を送ります」と言った[25]。
大塚康生(本作の作画監督)は「実は私は一見地味に思えるこの作品が、これまででもっとも好きなアニメーション作品のひとつで、くり返し見て楽しんでいます」[25]、「私も参加しているので客観的に見ているとはいえませんが、「カリオストロの城」、「じゃりン子チエ」、近藤・友永版「ニモ」パイロット、「リトル・ニモ」本編はテレコムが達成した技術的頂点に立つ作品です」「日本の長編アニメーションの歴史のひとつの通過点として技術的に見過ごすことの出来ないこの4本」「これらを技術的に超えるのは至難の技」と評している[40]。
佐藤順一は「自分が影響を受けたと思われる10本」の1つに選び、「とにかく小芝居が楽しいのです」と評している[41]。
沖浦啓之は自身の監督作『ももへの手紙』(2012年)について『不思議惑星キン・ザ・ザ』以外では『じゃりン子チエ』を目標にしていたとし、「あの映画をまんまやりたいということではなく、あんなふうにキャラクターの個性をちゃんと動きで表現しつつ、きちんと人間を描いているという作品にしたかった。」と述べている[42]。
井上俊之は「アニメ制作者たちによる必見作品ガイド」で本作を選び、「実は僕は、未だに理想の作画というものが絞り切れていません。八〇年代・九〇年代に目指していた目標は沖浦啓之の『人狼 JIN-ROH』(二〇〇〇年)でおおよそ達成できたんだけれども、いざそこに至ると何かが足りていない。むしろ七〇年代のテレコム作品のほうが、観る側としても描く側としてもよかったんじゃないかという気分もあって。八〇年代以降の緻密さや写実性はないけれども、間合いやタイミングが本当に見やすくて演技が的確、ビジュアル的にも密度的にも過不足ない。必要なことはすべて表現できている。高畑勲さんの映画版『じゃりン子チエ 劇場版』はその系譜の頂点で、実は日本のアニメーションはここで完成していて、僕らが八〇年代、九〇年代にやったことはすべて余計だったんじゃないかと感じることさえあります。」と述べている[43]。
本田雄は宮﨑駿監督作品・ジブリ作品以外で自身が太鼓判を押す日本のアニメ作品として、『機動戦士ガンダム』劇場版3部作(1981-1982年)、『伝説巨神イデオン 接触篇 発動篇』(1982年)、『じゃりン子チエ』(1981年)をあげ、「日常的な物語が映画として描かれ、観終えた時に大きな満足感が生まれる。他の作品ではなかなか味わえない体験でした。映画を観た後に原作漫画を読んだのですが、高畑さんは漫画の設定をすべて生かし切ったうえで、膨らみのあるドラマを作り出していた。そこがすごいと思いました。やっぱり良い原作は極力変えるべきでないと思う今日この頃です」と評している[44]。
その他[編集]
佐藤忠男は「日本映画月評」でイタリアやラテンアメリカ諸国の映画と、小津安二郎の『生まれてはみたけれど』(1932年)、田坂具隆の『路傍の石』(1938年)、大島渚の『少年』(1969年)といった日本映画に「無力な親と、なぜか健気でたくましい子どもという組み合わせ」が典型的に見られ、本作は「まさにそういう日本的な伝統をものの見事に受け継いだ秀作」だが、少女を主人公にしたこと、「その健気さを超人的なファンタスティックな程度に高めたこと」が独創だと評している。また「ストーリーは大正時代から昭和初期の新派調の映画のいわば典型のようなもの」だが、悲劇ではなく喜劇になっていることが異なると評している[45]。『日本映画 1982』では「アニメーションが大流行だったが、いちばん面白かったのは「じゃりン子チエ」である。(中略)これを見ると、かつて日本映画の主要な柱のひとつだった市井もの、人情ものは、“寅さん”シリーズ以外はむしろこういう劇画によって乗っ取られてしまったと痛感しないわけにはゆかない」と述べている[46]。『おもひでぽろぽろ』(1991年)公開直前の評論では本作が高畑作品の中で最も好きな作品だとし、「そこには劇映画の一流の作品に勝るとも劣らない庶民生活の描写のリアリズムがあると同時に、アニメーションならではの誇張された人物の表情や動作の面白さがあり、それがじつに活き活きした演技になっていたものだった。だいたいアニメーションというものは、非現実的な事物の表現では劇映画にない面白みをを出すが、人間を描いては容易に劇映画を超えられないものだが、「じゃりン子チエ」や、「火垂るの墓」のある部分などはアニメーションならではの人間描写、人間表現を見事に作り出している」と評している[47]。著書『12歳からの映画ガイド――生き抜く力を学ぶ!必見50本+150』(小学館、2007年)では ケヴィン・サリヴァン監督の『赤毛のアン』(1985年)を「必見50本」に選び、「ぜひ、これも!」として『若草物語』(1949年)、『じゃりン子チエ 劇場版』、『キューポラのある街』(1962年)の3本を紹介している[48]。著書『日本映画史3』(岩波書店、1995年、増補版2006年)でも言及している。
川崎彰彦は「……ぜんたいとして、もうひとつパンチが足りなかったようです。……アニメは原作より、いくらかお上品に、しんみりしちゃった」と評している[49]。
長部日出雄は「……はるき悦巳原作の大きな強みである大阪弁の魅力が見事に生かされ、生活感とナンセンス、心温まる感じと型破りの痛快さ、という相反する要素がまじりあった味わいもよく出ていて、楽しかった。……もっと大胆で奔放な演出手法をとり入れて、アニメ映画独特の空間とダイナミックな迫力を作り出してもらいたかった気もした」と評している[50]。
田中小実昌は「人気マンガのアニメ映画「フリテンくん」もマジメだし、「じゃりン子チエ」もアホらしさがうすれて、人情話ふうになった。なんでも映画にすると
池田憲章は「名作ものって、なぜか外国を舞台にしたものばかりで「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」など大好きなのだけれど、日本を舞台にした作品ができないのかな、と長い間考えていた。そして「じゃりン子チエ」が現れた。……マンガの大ファンであった僕は、この劇場アニメでのこまやかな情感描写とていねいな作画の表現力に陶然となった」と評している[52]。
藤津亮太は「「この映画ははアクション映画だ」と断言したくなるような、アクションの心地よさが身体の芯に残っている」「『チエ』は映画化にあたってできる限り原作に忠実であろうとしている。それは原作のコマとそっくりのアングルがいくつも出てくることからもわかる。だが、映画化された『チエ』の魅力の一つは、そうした原作そっくりの部分の行間を埋める部分。特に絵の動くアニメーションならではのアクションにこそ宿っているのだ」と評している[14]。
小黒祐一郎は邦画的で成瀬巳喜男の映画に近いと評している[9]。
大山くまおは劇場版とTV版を大阪下町版「世界名作劇場」と評している。『アルプスの少女ハイジ』との類似を語る人がいるが、どちらかといえば『赤毛のアン』に近く、主人公が「いい子」ではないところや「ウチは日本一不幸な少女や」というチエの嘆きがアンそっくりだと評している[6]。
キネマ旬報特別編集『オールタイム・ベスト映画遺産 アニメーション篇』(キネマ旬報社[キネ旬ムック]、2010年)のアンケート「オールタイム・ベスト 映画遺産 アニメーション篇 日本映画」で第44位に選ばれている。67人の投票者(1人10票まで投票)の内、おかだえみこ、野村正昭、服部香穂里、増當竜也の4人が本作に投票している。
別冊映画秘宝編集部編『別冊映画秘宝 アニメ秘宝発進準備号 オールタイム・ベスト・アニメーション』(洋泉社[洋泉社MOOK]、2018年)で「別冊映画秘宝編集部が選ぶベスト殿堂入りアニメ10本」の1つに選ばれている。同誌のアンケートにて、アサダアツシ、あさりよしとお、高鳥都が「マイ・ベスト・アニメーション」10本の1つに選んでいる。
映像ソフト[編集]
- VHS/LD『じゃりン子チエ 劇場版』(東芝EMI、1998年)
- DVD『じゃりン子チエ 劇場版』(ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント [ジブリがいっぱいCOLLECTION]、2004年)
- Blu-ray『じゃりン子チエ 劇場版』(バンダイビジュアル、2008年)
- DVD/Blu-ray『高畑勲監督作品集』(ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン[ジブリがいっぱいCOLLECTION]、2015年)
- DVD/Blu-ray『じゃりン子チエ 劇場版』(ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン[ジブリがいっぱいCOLLECTION]、2015年)[53]
サウンドトラック[編集]
- LP盤『じゃりン子チエ オリジナル・サウンドトラック』(キティレコード、1981年)
- シングル盤『じゃりン子チエ』(渡辺音楽出版/CBSソニー、1981年) - A面は「じゃりン子チエ」、B面は「春の予感」。
- CD『懐かしのミュージッククリップ 41 じゃりン子チエ』(東芝EMI、19998年) - TVアニメ版のサントラ。劇場版の一部の音楽も収録。
- CD『アニメ・ミュージック・カプセル「じゃりン子チエ」』(ウルトラ・ヴァイヴ、2008年) - TVアニメ版のサントラ。劇場版の一部の音楽も収録[54]。
- CD「じゃりン子チエ メモリアル・サウンドトラック」 - DVD『じゃりン子チエ SPECIAL BOX』(キングレコード、2011年)の特典CD。
- CD「映画「じゃりン子チエ」オリジナル・サウンドトラック」 - 『スタジオジブリ 高畑勲 サントラBOX』(徳間ジャパンコミュニケーションズ、2015年)に収録。
備考[編集]
- 公開時にバンダイとあんそにいから小鉄とアントニオJr.のぬいぐるみが発売された[55]。あんそにいからミニマスコット、布帛マスコットなども発売された[56]。
- 朝日新聞記者の小原篤によると、『千と千尋の神隠し』(2001年)と『じゃりン子チエ』には「髪の毛をゴムで縛ったあんまり可愛くない女の子が、子どもが働くのはどうかと思える店で、頼りない親のために汗水流して苦労するのです。千尋の父と母は、外見がチエの父母に似ています。湯婆婆とチエのおバァはんも、同じような髪型で、おっかないところがそっくりです」という共通点がある。その他の宮崎アニメと高畑勲監督作品にも符合が見られる[57]。
- 片渕須直監督のアニメーション映画『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年)で実在する有井商店の看板を「竹本商店」にしたのは、『じゃりン子チエ』で「チエちゃん」の隣の店が動画の浦谷千恵の名前をとって「浦谷商店」にしていたのを裏返したものである[58]。
- 渡辺歩監督、西加奈子原作、明石家さんま製作のアニメーション映画『漁港の肉子ちゃん』(2011年)は『じゃりン子チエ』を想起させる作品といわれる[59][60]。渡辺歩監督は「『肉子ちゃん』の制作中、ひとつだけ近い作品を挙げるとすれば『じゃりン子チエ』だね、という話はしていたんですよ」と述べている[61]。小野寺系は内容やお笑い業界とアニメ業界の橋渡しをした点が共通しているとし、「『じゃりン子チエ』は、日本が経済成長を遂げていくなかで見過ごされてしまった人々や、社会的に弱い存在が受ける痛みを、笑いというオブラートに包んだ作品だった」「いま「ポストジブリ」なる存在があるとして、作らなければならないものは、楽しい笑いに溢れるとともに人間を深く描く『じゃりン子チエ』であり、『漁港の肉子ちゃん』ではないのか」と述べている[62]。
出典[編集]
- ↑ Chie the Brat: Downtown Story | 1980s | ALL TITLES TMS ENTERTAINMENT CO., LTD.
- ↑ じゃりン子チエ | 1980年代 | TMS作品一覧 トムス・エンタテインメント
- ↑ a b c d 「じゃりン子チエ」『アニメージュ』1981年5月号
- ↑ 「アニメージュ・レーダー ①チエ」『アニメージュ』1982年4月号
- ↑ a b c d e f g h i j k 氷川竜介「『じゃりン子チエ(劇場版)』に見る高畑勲の映画構築術(PDF)」『アニメーション研究』21巻1号、2020年9月
- ↑ a b c d e f 大山くまお「高畑勲監督「じゃりン子チエ」は大阪下町版「世界名作劇場」1話から3話まで無料公開中で「ルパン」超え」エキサイトニュース、2019年5月22日
- ↑ 三好寛「「日本のアニメーション・スタジオ史」関連レポート 1970年代末から80年代初頭の状況」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2014-2015(PDF)』公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2015年7月
- ↑ a b c d 作品紹介 じゃりン子チエ テレコム・アニメーションフィルム
- ↑ a b c d 小黒祐一郎「アニメ様365日 第76回 『じゃりン子チエ』(劇場版)」WEBアニメスタイル、2009年3月2日
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、256-257頁
- ↑ a b c 高畑勲、小田部羊一、山本二三「特別座談会「チエ」を語る」『100てんランド・アニメコレクション① じゃりン子チエ IN WONDERLAND』双葉社、1981年。佐野亨編『高畑勲――〈世界〉を映すアニメーション』(河出書房新社[文藝別冊 KAWADE夢ムック]、2018年)所収。
- ↑ 加賀谷真澄「『じゃりン子チエ』と釜ヶ崎――地域性が織りなす物語」『文学研究論集』26号、2008年1月
- ↑ a b c d e f g h i j k l 「'81年春PREVIEW-PACK① 映画化決定‼じゃりン子チエ」『アニメージュ』1981年1月号
- ↑ a b c d 藤津亮太「大阪・アクション・生活アニメ」『スタジオジブリ絵コンテ全集 第Ⅱ期 劇場用アニメーション映画 じゃリン子チエ』月報、徳間書店スタジオジブリ事業本部、2003年。藤津亮太『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社、2003年/ちくま文庫、2022年)所収。
- ↑ a b c 大塚康生、小田部羊一、高畑勲、金春智子(司会)「「じゃりン子チエ」の制作を終わった今」『マイアニメ』1981年6月号。高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)所収。
- ↑ じゃりン子チエ | 1980年代 | TMS作品一覧 トムス・エンタテインメント
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、251頁
- ↑ 「解説」『じゃりン子チエ・フリテンくん』東宝株式会社事業部、1981年
- ↑ 「じゃりン子チエ」『ジ・アニメ』1981年1月号
- ↑ a b c d e 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、85-87頁
- ↑ a b c d 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、255-256頁
- ↑ 小田部羊一著、藤田健次聞き手『漫画映画 漂流記――おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一』講談社、2019年、102-103頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、87-88頁
- ↑ アニメ制作の昔話 ー 竹内孝次のインタビュー fullfrontal.moe、2023年3月7日
- ↑ a b c 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、257-258頁
- ↑ 山本二三「『火垂るの墓』の赤い色は降魔色だった。」『ユリイカ2018年7月臨時増刊号 総特集=高畑勲の世界』青土社、2018年
- ↑ a b 山本二三『山本二三背景画集――ART & TECHNIQUE』廣済堂出版、2012年、137頁
- ↑ a b 野崎透「解説 山本二三の背景表現」、山本二三『山本二三 風景を描く』美術出版社[美術出版ライブラリー 技法編]、2013年、211頁
- ↑ a b c 「「じゃりン子チエ」 ユニークな美術背景他」『ジ・アニメ』1981年2月号
- ↑ a b 『100てんランド・アニメコレクション① じゃりン子チエ IN WONDERLAND』双葉社、1981年、43頁
- ↑ 山本二三『山本二三背景画集――ART & TECHNIQUE』廣済堂出版、2012年、126頁
- ↑ 神戸市立博物館学術協力・編集『日本のアニメーション美術の創造者 山本二三展――天空の城ラピュタ、火垂るの墓、時をかける少女』神戸新聞社、2011年、20頁
- ↑ a b 制作デスク竹内氏インタビュー トムス・エンタテインメント
- ↑ a b 小黒祐一郎「アニメ様365日 第89回 『東海道 四谷怪談』」WEBアニメスタイル、2009年3月19日
- ↑ 「ANIME WARS」『マイアニメ』1981年5月号
- ↑ 「「じゃりン子チエ」 ストーリー、アフレコニュース」『ジ・アニメ』1981年3月号
- ↑ 「じゃりン子チエ」『アニメージュ』1981年4月号
- ↑ 英国・フランスにおけるコンテンツ産業調査(PDF)日本貿易振興機構(ジェトロ)、2019年3月
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、93-94頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、182頁
- ↑ 佐藤順一「もっとアニメを観よう2011 第19回 佐藤順一が選んだ「自分が影響を受けたと思われる10本」」WEBアニメスタイル、2010年12月28日
- ↑ 『ももへの手紙』沖浦啓之監督インタビュー 第4回 目指すは劇場版『じゃりン子チエ』 WEBアニメスタイル、2012年4月27日
- ↑ 高瀬康司編著『アニメ制作者たちの方法――21世紀のアニメ表現論入門』フィルムアート社、2019年、64頁
- ↑ 富野由悠季、高畑勲、出﨑統…『君たちはどう生きるか』作画監督・本田雄氏が選ぶ「日本アニメの金字塔」 文春オンライン、2024年11月16日
- ↑ 佐藤忠男「〔連載〕 日本映画月評 「じゃりん子チエ」」『シナリオ』第37巻第6号(通巻395号)、1981年6月
- ↑ 佐藤忠男「東宝映画の行方 “健全娯楽”路線による健全経営」、佐藤忠男、山根貞男責任編集『日本映画 1982』芳賀書店[シネアルバム]、1982年
- ↑ 佐藤忠男「リアリズムの追求、そして社会派的な基調――「おもひでぽろぽろ」への期待」『アニメージュ』1991年6月号
- ↑ 佐藤忠男『12歳からの映画ガイド――生き抜く力を学ぶ!必見50本+150』小学館、2007年、153頁
- ↑ 川崎彰彦「遠近の狸囃子や春の風――いいだもも『にっぽん笑市民派』に触れながら」『新日本文学』第36巻第6号、1981年6月
- ↑ 長部日出雄『映画は世界語――紙ヒコーキ通信』文藝春秋、1983年、57頁
- ↑ 田中小実昌『ぼくのシネマ・グラフィティ』新潮社、1983年、158頁
- ↑ 池田憲章「創刊マル5周年マイナー企画 Look Back 5 Years ⑪「じゃりン子チエ(映画)」より 笑顔が心にしみる傑作」『アニメージュ』1983年7月号
- ↑ じゃりン子チエ 劇場版|スタジオジブリ ディズニー公式
- ↑ サントラ千夜一夜 / 腹巻猫(劇伴倶楽部)第22回 ロックのビートとナイーブさ 〜劇場版 じゃりン子チエ〜 WEBアニメスタイル、2013年11月5日
- ↑ 『100てんランド・アニメコレクション① じゃりン子チエ IN WONDERLAND』双葉社、1981年、48頁
- ↑ 『じゃりン子チエ・フリテンくん』東宝株式会社事業部、1981年
- ↑ 母をたずねて宅急便 じゃりン子チエの神隠し - 小原篤のアニマゲ丼 asahi.com、2008年3月10日
- ↑ アフレコ第2日目(後編) メイキング・オブ・マイマイ新子、2009年12月3日
- ↑ 増田弘道「明石家さんまプロデュース『漁港の肉子ちゃん』が歴史的傑作だった! 渡辺歩監督「すべての条件がハマった」」BANGER!!!、2021年6月11日
- ↑ 藤津亮太「【ゲームとアニメの≒】第24回「漁港の肉子ちゃん」」Gamer、2021年6月30日
- ↑ 宮昌太朗 取材・文「渡辺歩①表現の自由さに打ちのめされた 『アルプスの少女ハイジ』」Febri、2022年7月25日
- ↑ 小野寺系「日本アニメ映画史に刻まれる“傑作” 『漁港の肉子ちゃん』が描く日常におけるファンタジー」Real Sound、2021年6月17日
関連資料[編集]
- 『アニメージュ』1980年11月-1981年5月号
- 『ジ・アニメ』1980年12月-1981年5月号
- 『マイアニメ』1981年4-6月号
- 「アニメを作る女たち」『アニメージュ』1981年10月号
- 藤田真男「日本映画批評 じゃリン子チエ・その一」(『キネマ旬報』第811号、1981年5月/『高畑勲――「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「かぐや姫の物語」まで』キネマ旬報社[キネマ旬報ムック キネマ旬報セレクション]、2013年)
- 田中千世子「日本映画批評 じゃリン子チエ・その二」(『キネマ旬報』第811号、1981年5月)
- 『キネマ旬報』1982年2月下旬決算特別号
- 石子順『映画366日館』(社会思想社[現代教養文庫]、1985年)
- 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)
- CD-ROM『じゃりン子チエ 劇場版 舞台裏コレクション』(東芝EMI、1998年)
- おかだえみこ「実感が実写を超える」(稲川方人、藤川愼編『スタジオジブリととなりの山田くん』キネマ旬報社[キネ旬ムック]、1999年/『高畑勲――「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「かぐや姫の物語」まで』キネマ旬報社[キネマ旬報ムック キネマ旬報セレクション]、2013年)
- 深沢光太郎、赤津さと子、山部のり子編集『アニメチラシ大カタログ 邦画版』(勁文社、2000年)
- 高畑・宮崎作品研究所編『山本二三画文集――輝きは背景の奥に』(RST出版、2000年)
- 大塚康生 語り手、森遊机 聞き手『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』(実業之日本社、2006年、新装版2025年)
- 小田部羊一著、なみきたかし編集『小田部羊一アニメーション画集』(アニドウ・フィルム、2008年、新版2019年)
- 鈴木敏夫『仕事道楽――スタジオジブリの現場』(岩波書店[岩波新書]、2008年、新版2014年)
- 高畑勲『アニメーション、折りにふれて』(岩波書店、2013年/岩波書店[岩波現代文庫]、2019年)
- アニメージュ編集部、TMSアニメ制作50周年記念出版プロジェクト編『「アニメージュ」が見つめたTMSアニメ50年の軌跡』(徳間書店、2015年)
- 石田美紀「他者との交渉――『赤毛のアン』『じゃりン子チエ』『おもひでぽろぽろ』」(『ユリイカ2018年7月臨時増刊号 総特集=高畑勲の世界』青土社、2018年)
- 酒井隆史「『じゃりン子チエ』の心象地図――高畑勲の「ディープサウス」」(『ユリイカ2018年7月臨時増刊号 総特集=高畑勲の世界』青土社、2018年/『通天閣 決定版 上巻』筑摩書房[ちくま文庫]、2026年)
- 山本二三『山本二三百景』(枻出版社、2018年、新装版2019年)
- 『高畑勲展――日本のアニメーションを作った男。』(NHKプロモーション、2019年)
- 伊藤望「日本のアニメーションと大塚康生氏が作ったもの(2部構成 第2部)」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2021-2022(PDF)』(公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2022年)
- 伊藤望「アニメーションの中の線画とデザイン~小田部羊一氏の作画 第二部「小田部氏の作画」」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2024-2025(PDF)』(公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2025年)
外部リンク[編集]
- 『じゃりン子チエ』シリーズ - YouTube
- 映画アニメ じゃりン子チエ (1981) - allcinema
- じゃりン子チエ - MOVIE WALKER PRESS
- じゃリン子チエ - 日本映画データベース
- Jarinko Chie (1981) - IMDb
- 「じゃりン子チエ」アニメ裏話 - 関西じゃりン子チエ研究会
- 大塚康生氏講演「日本のアニメーションに期待すること」(2)2000年2月27日 於 滋賀県立近代美術館 - 高畑勲・宮崎駿作品研究所
- jawp:en:Jarinko Chie (film)