テレコム・アニメーションフィルム
株式会社テレコム・アニメーションフィルム(英語:Telecom Animation Film Co.,Ltd.)は、東京都中野区に本社を置くアニメ制作会社。通称はテレコム、TAF。トムス・エンタテインメントの子会社。
1975年5月19日に藤岡豊が「海外に通用するフル・アニメーションを描けるアニメーターを養成」するため、東京ムービーの子会社として設立した[1]。1976年に東京ムービーは営業部門として東京ムービー新社を設立。「東京ムービー」は企画・営業・海外販売・ファンクラブ担当の東京ムービー新社、制作スタジオの東京ムービー、同じくテレコムの3社に分かれた[2]。テレコムは東京ムービー新社の作品を中心に制作し、80年代初頭以降は海外向け作品の制作を中心とした[3]。
演出家の高畑勲、宮崎駿、アニメーターの大塚康生、小田部羊一、奥山玲子、月岡貞夫、篠原征子、近藤喜文、富沢信雄、田中敦子、美術の山本二三、制作進行の竹内孝次らが所属し、東映動画および同社出身者の多いズイヨー映像/日本アニメーション、エイプロダクション/シンエイ動画の流れを汲む[4]。またオープロダクションから丹内司、友永和秀、山内昇寿郎が参加した[4]。
1977年にウィンザー・マッケイの漫画『リトル・ニモ』の映画化権を取得し、日米合作映画の制作を開始した[5]。『ニモ』の制作は混迷を極め、最終的に波多正美とウィリアム・T・ハーツが監督となり、1988年4月に作画開始、1989年初頭に完成した。日本では1989年7月に『NEMO/ニモ』と題して公開されたが、「55 億円もの制作費が注ぎ込まれ、原作の映画化権取得から完成に至るまで12年もの長い年月をかけた作品としては、興行的には成功」しなかった[4]。アメリカでは1992年8月に『Little Nemo: Adventures in Slumberland』と題して公開された。大塚康生によると、アメリカで「2300の劇場にかけられ、好評を博し、ビデオだけでも4000万本売れてモトはとれ」た[6]。三好寛(公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団事業課学芸係学芸員)によると、アメリカでの「興行は芳しくなく、ビデオは200万本のセールスで成功を収めたものの、その利益は日本には還元されなかったという」[4]。藤岡は1991年に『ニモ』の責任をとって東京ムービーを退社し[4]、1996年に死去した。
『ニモ』は興行的に失敗したものの、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)や高畑勲監督の『じゃりン子チエ』(1981年)など日本のアニメーション史上重要な作品が制作された[4]。宮崎と高畑はテレコム退社後にトップクラフトで『風の谷のナウシカ』(1984年)を制作し、1985年にスタジオジブリを設立した。テレコムは『ニモ』が「海外で認められ、ワーナーをはじめとする海外テレビシリーズ作品を多く手掛けることにな」った[1]。「2000年代からは国内作品のグロス請けや共同制作などを通して国内アニメーションに徐々にシフト」している[1]。
出典[編集]
- ↑ a b c About us テレコム・アニメーションフィルム
- ↑ 草川昭編著『アトムの子らは荒野をめざす――テレビ・アニメ20年史』立風書房、1981年、72-73頁
- ↑ 小黒祐一郎「アニメ様365日 第77回 1981年前後の東京ムービー新社」WEBアニメスタイル、2009年3月3日
- ↑ a b c d e f 三好寛「「日本のアニメーション・スタジオ史」関連レポート 1970年代末から80年代初頭の状況」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2014-2015(PDF)』、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2015年7月
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 増補最新版』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2001年、202頁
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 増補最新版』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2001年、215頁
関連文献[編集]
- 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年)
外部リンク[編集]
- テレコム・アニメーションフィルム オフィシャルサイト
- テレコムアニメーションフィルム公式(@telecom_anime) - 𝕏(旧:Twitter)