テレコム・アニメーションフィルム
株式会社テレコム・アニメーションフィルム(英語:Telecom Animation Film Co.,Ltd.)は、かつて存在したアニメ制作会社。通称はテレコム、TAF。トムス・エンタテインメントの子会社。2026年にトムス・エンタテインメントに吸収合併され、同社の商標・ブランド名として活用される予定。
概要[編集]
1975年に東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)の藤岡豊が海外に通用する劇場用アニメを制作するために同社の子会社として設立した。大塚康生、宮崎駿、高畑勲、貞本義行など著名なクリエイターが在籍していた[1]。戦後日本のアニメ業界のスタジオやスタッフの流れを東映動画系、虫プロ系、タツノコプロ系に大別した場合、シンエイ動画、亜細亜堂、エクラアニマル、ズイヨー映像、日本アニメーション、スタジオジブリなどと並び東映動画系のスタジオに属する[2]。東映動画系スタジオの中でも日本アニメーション(旧・ズイヨー映像)とシンエイ動画(旧・Aプロダクション)の系譜がテレコムに連なっている[3]。
当初は南阿佐ヶ谷の東京ムービー本社(杉並区成田東4-1-26)に隣接するビル内にあった[4]。1979年5月に高円寺と中野の中間にあたる環七・大和陸橋付近の永田ビル内(中野区野方1-38-11)に移転した[5]。1982年に西武新宿線・新井薬師前駅側(中野区上高田5-39-1)に移転した[6]。1991年7月にスタジオを新井薬師から三鷹市の第一清水ビル内(三鷹市下連雀7-16-22)に移転した[7][8]。2012年にトムス・エンタテインメントの本社ビル内(中野区中野3-31-1)に移転した。
トムス・エンタテインメントへの吸収合併前は国内のテレビアニメ制作を中心に活動していた[9]。スタジオジブリと並ぶ[10]名門スタジオとして知られた[1][9]。制作部、CGI制作部、作画部原画室、作画部動画室、美術部を持ち[11]、原画、演出、動画、背景、制作のスタッフを抱えていた[12]。美術部を持つアニメ制作会社は珍しく[12]、特に背景美術に定評があった[1][13][14]。
70年代から80年代に会社が設立された目的である日米合作の劇場用アニメーション映画『NEMO ニモ』(1989年)を制作した。アメリカ側スタッフとしてディズニーのフランク・トーマス、オリー・ジョンストン、プロデューサーのゲイリー・カーツ、SF作家のレイ・ブラッドベリ、イラストレーターのメビウス、日本側スタッフとして宮崎駿、高畑勲、近藤喜文、友永和秀、大塚康生、出﨑統、山本二三らが参加し、構想15年、製作費55億円を費やした[15]。興行的には失敗したものの、制作を通じて高い作画技術がテレコムのスタッフに育まれた[3]。また集められたスタッフによって制作された宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)、『名探偵ホームズ』(1984-1985年)、高畑勲監督の『じゃりン子チエ』(1981年)はテレコムの代表作となった[3][11][16]。大塚康生は『ルパン三世 カリオストロの城』『じゃりン子チエ』『リトル・ニモ パイロットフィルム(近藤喜文・友永和秀版)』『NEMO ニモ』の4本を「私も参加しているので客観的に見ているとはいえませんが、…テレコムが達成した技術的頂点に立つ作品」「日本の長編アニメーションの歴史のひとつの通過点として技術的に見過ごすことの出来ないこの4本」「これらを技術的に超えるのは至難の技」と評している[17]。
歴史[編集]
設立経緯[編集]
1975年5月19日に東京ムービーの藤岡豊が「海外に通用するフル・アニメーションを描けるアニメーターを養成」するため、同社の子会社として株式会社テレコム・アニメーションフィルムを設立した[11]。1976年に東京ムービーは国際放映から独立して藤岡が社長に復帰し、東京ムービー新社を設立した。「東京ムービー」は企画・営業・海外販売・版権などを担当する東京ムービー新社、新人アニメーターの養成と主に劇場用アニメの制作を担当するテレコム、主にテレビアニメ制作を担当する東京ムービーの3社で組織される体制となった[18]。
1977年に藤岡はウィンザー・マッケイの漫画『リトル・ニモ』の映画化権を取得し、日米合作映画『リトル・ニモ』の制作準備を開始した[19]。藤岡は『少年マガジン』編集長の内田勝に『ニモ』の映画化を強力に薦められた[20]。藤岡は小野耕世訳『夢の国のリトル・ニモ』(PARCO出版局、1976年)を読んで『ニモ』に興味を抱き映画化を決定した[21]。1978年3月にテレコムは読売新聞に「長編アニメーター募集」の広告を出し、1000人を超える応募者の中から43人(のち1人退職)がアニメーター養成の第1期生として選ばれ、4月から月岡貞夫が指導にあたった[4]。月岡は短編『おばけちゃん』と『リトル・ニモ』のパイロット版を制作した後に退任した。
『カリ城』と『チエ』[編集]
1979年初頭から大塚康生が42人(うち男性5人[19])の指導にあたった。大塚は経験者の動画家としてシンエイ動画から田中敦子と原恵子、オープロダクションから丹内司を招請した。少し遅れてオープロから友永和秀と山内昇壽郎が出向で参加した[22]。また日本アニメーションから富沢信雄[3][23]、篠原征子[24][注 1]、シンエイ動画から島田明子を招請した[23]。新人アニメーターは『ルパン三世 PART2』(1977-1980年)や『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(1978年)の作画を手伝い[22]、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)、高畑勲監督の『じゃりン子チエ』(1981年)の制作を全面的に担当した。
宮崎駿は1979年4月に日本アニメーションの『赤毛のアン』制作班を離脱し、『カリオストロの城』の準備作業に着手。5月に日本アニメーションを退社し、6月1日にテレコムに移籍した[26]。アニメーターの富沢信雄、篠原征子、仕上げの近藤浩子、美術の山本二三らが『カリオストロの城』に参加した[5]。『カリオストロの城』の準備作業中から『ルパン三世 PART2』の一部の回をテレコムが制作した[27]。テレコムが作画を担当した回は11回あり、ファンから「テレコム担当回」「テレコム回」と呼ばれる[10][28]。その内の第145話「死の翼アルバトロス」と最終回の第155話「さらば愛しきルパンよ」は宮崎駿が「テレコム」に漢字を当てた照樹務の名義で脚本・絵コンテ・演出を担当した。1980年1~2月に制作進行の竹内孝次が日本アニメーションから移籍した。1980年に高畑勲が『じゃりン子チエ』の演出のため日本アニメーションから移籍した。作画監督として小田部羊一、原画の一員として奥山玲子が『じゃりン子チエ』に参加した[27]。
『リトル・ニモ』[編集]
1981年春に消費者金融会社レイクの『ニモ』への出資が決定した[29]。1982年2月頃にジョージ・ルーカスの推薦でゲイリー・カーツがアメリカ側プロデューサーに就任した。藤岡とカーツはアメリカ連邦法による新会社「TMS/キネトグラフィックス」を設立した[30][注 2]。ディズニーの長老であるフランク・トーマスとオリー・ジョンストンを顧問に迎え[29]、シナリオをSF作家のレイ・ブラッドベリ、アメリカ側の演出をアンディ・ガスキルに依頼した[30]。1982年8月に大塚康生、高畑勲、宮崎駿、篠原征子、近藤喜文、友永和秀、富沢信雄、丹内司、丸山晃一、田中敦子、竹内孝次の11名[注 3]が渡米し、フランクとオリーからアニメーションのレクチャーを受けた[29]。1983年2月の製作発表と共同記者会見でレイク創立20周年の記念事業の1つとして公開されたが、後に25周年記念事業に変更された[34]。
『ニモ』の制作はカーツの独裁的な指揮、宮崎駿や高畑勲の降板による演出家不在などによって難航した。日本側演出の宮崎は『ニモ』の代案として『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』の原型となる企画を藤岡に提出したが採用されず、『アニメージュ』1982年2月号から漫画「風の谷のナウシカ」を連載し、1982年11月2日にテレコムを退社した[3][35]。宮崎の後に日本側演出となった高畑勲はゲーリーに提案を拒否され、1983年3月に降板してテレコムを退社した[3][36]。
1983年に藤岡はカーツに「『ニモ』に対する熱意がないことにいらだって、キネトグラフィックスを解消、新たにキネトTMSを設立」し、単独で制作する体制に切り替えた[37][注 4]。カーツとともにガスキルらアメリカ側のスタッフがプロジェクトから離脱した[39]。プロジェクトはバリー・グラッサという無名の作家に書かせたシナリオを中心にして再出発したが[40]、1984年8月に製作費45億円のほとんどが無くなったため一時中断となった[39]。高畑の後に日本側演出となった近藤喜文[41]は1984年9月から12月に友永和秀と共同でパイロット・フィルムを制作し、1985年3月にテレコムを退社した[42]。1984年12月に藤岡は大塚康生を日本側演出に指名したが、アメリカ側スタッフの作業内容を報告するための役割であった[38]。1985年4月にフランク・ニッセンが演出に起用され、イラストレーターのジャン・ジロー(メビウス)とアラン・アルドリッジがスタッフに加わった[38]。3人は1985年夏頃に契約を終了してプロジェクトから離脱した[43]。1985年10月に藤岡は出﨑統を日本側演出に指名したが[43]、1987年6月にパイロット・フィルムを制作して降板した[3]。1988年にレイクから追加資金10億円の投入が決定し、急速にプロジェクトが動き出した[43]。最終的にクリス・コロンバスとリチャード・オッテンが脚本、波多正美が日本側演出、ウィリアム・T・ハーツがアメリカ側演出となり、1988年4月に作画を開始、1989年初頭に完成した。
日本では1989年7月に『NEMO ニモ』、アメリカでは1992年8月に『Little Nemo: Adventures in Slumberland』のタイトルで公開された。日本での興行収入は4億5000万円で、89年邦画ベストテン圏外だった(『キネマ旬報』1990年2月下旬決算特別号)。製作費に55億円を費やしており、興行的には失敗だった[44]。アメリカでは579館で上映され、136万8000ドルの興行収入をあげた[45]。大塚康生によると、アメリカでは「2300の劇場にかけられ、好評を博し、ビデオだけでも400万本売れてモトはとれ」たが[46][注 5]、日本には利益がほとんど還元されなかった[44]。1991年に藤岡は『ニモ』の興行的失敗の責任をとって東京ムービー、テレコムの全ての権利を放棄して退社した[44]。東京ムービーは『ニモ』の興行的失敗がきっかけとなり[47]、1992年にセガグループの資本傘下に入った。
テレコムを退社した宮崎駿と高畑勲は『風の谷のナウシカ』の制作を開始した。当初、宮崎らはテレコムか日本アニメーションを制作母体とすることを考えていたが[48]、断られたため、トップクラフトを制作母体とした。テレコムは『ニモ』の準備で忙しかったが、一部のスタッフが『ナウシカ』の原画をノンクレジットで手伝った[49][50][51]。1984年3月に公開された『ナウシカ』は大ヒットし、1985年6月に宮崎らはトップクラフトを改組してスタジオジブリを設立した。『ニモ』と同時期に公開された宮崎駿監督、近藤喜文作画監督の『魔女の宅急便』は製作費8億円、興行収入約43億円の大ヒット作となった[52]。
この時期にルパン三世シリーズ初のOVA作品『ルパン三世 風魔一族の陰謀』(1987年に劇場公開、1988年にビデオリリース)を制作した。
海外合作作品[編集]
1980年前後には東京ムービー新社の作品を中心に制作していたが、以降は海外合作など海外向け作品の制作が中心となり[53]、1990年代には国内向け作品をほとんど制作しなくなった[54]。1985年のプラザ合意以降は円高でメリットがなくなったため東映動画などは合作を止めたが、東京ムービーとテレコムは合作を続けた[55]。
東京ムービー初の海外合作作品『宇宙伝説ユリシーズ31』(フランス:1981-1982年、日本:1988年)のパイロット版を制作した[56]。藤岡が『ニモ』制作にあたってハリウッドで行っていた『ルパン三世 カリオストロの城』『じゃりン子チエ』の上映会がきっかけとなり、イタリアとの合作『名探偵ホームズ』(1981-1982年に6話をテレコムが制作。1984-1985年に東京ムービーが20話を制作。1984-1985年に日伊で放映)を制作した[29]。1982年のスタッフの渡米後にフランス・アメリカとの合作『リトルズ』(アメリカ:1983-1985年、フランス:1984-1986年)を制作した[55][57]。『ニモ』制作中止の時期にディズニー・プロ初のテレビシリーズ『ワズルス』(1985年)の制作を受注し、東京ムービーの特別班(ディズニー・ジャパンの前身)のスタッフが制作にあたった[58]。この時期に『ワズルス』のほか、『ガミー・ベアの冒険』(1985-1988年)[55]、『ギャラクシー・ハイスクール』(1986年)、『新くまのプーさん』(1988-1991年)などを制作した[19]。
『新くまのプーさん』以降はディズニー作品を断っている[55]。ワーナー・ブラザース初のテレビシリーズ『タイニー・トゥーンズ』(アメリカ:1990-1992年、日本:1991-1992年)の制作を受注し、『ニモ』以降はワーナーの下請けが中心となった[55]。ディズニー、ワーナー、フィルメーションなどからテレビ作品の下請けを受注して、ハリウッドでは「4th floor people」(東京ムービー本社ビルの4Fにあったため)として知られた[19]。1991年に『タイニー・トゥーンズ』(1990-1992年)、1997年に『アニマニアックス』(1993-1998年)、1998年に『The New Batman/Superman Adventures』(1997-2000年)がデイタイム・エミー賞を受賞。1996年に『ピンキー&ブレイン クリスマス スペシャル』(1995年)がプライムタイム・エミー賞を受賞。
国内向け作品へのシフト[編集]
テレコムによると、『ニモ』が「海外で認められ、ワーナーをはじめとする海外テレビシリーズ作品を多く手掛けることにな」ったが、「2000年代からは国内作品のグロス請けや共同制作などを通して国内アニメーションに徐々にシフト」している[11]。トムス・エンタテインメントがカナダのネットワーク・オブ・アニメーション(NOA)と合作した『サイバーシックス』(1998-1999年制作。1999年にカナダ、2000-2001年に日本で放映)はテレコムが実制作の大半を担当し、日本国内で久々に見られるテレコムの作品となった[54]。次いでトムス・エンタテインメントが韓国のココ・エンタープライズなどと合作した『パタパタ飛行船の冒険』(2002年)の制作を担当した。その後、『無人惑星サヴァイヴ』(2003-2004年)、『タイドライン・ブルー』(2005年)、『無敵看板娘』(2006年)、『ピアノの森』(2007年)、『ルパン三世 霧のエリューシヴ』(2007年)[59]、『もやしもん』(2007年)、『二十面相の娘』(2008年)などを制作した[60]。
2010年代以降は『LUPIN THE IIIRDシリーズ』(2014-2025年)、『ルパン三世 PART4』(2015年)、『orange』(2016年)、『ルパン三世 PART5』(2018年)、『つくもがみ貸します』(2018年)、『LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘』(2019年)、『神之塔 -Tower of God-』(2020年)、『ブルーサーマル』(2022年)、『七つの大罪 黙示録の四騎士』(2023-2024年)、『アオのハコ』(2024-2025年)などを制作[1][61][62]。『アイカツ!』(2012-2016年)にアニメーション制作協力として参加。『天気の子』(2019年)、『竜とそばかすの姫』(2021年)、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(2021年)で背景を一部担当[1]。スタジオジブリ作品の作画協力でも知られる[61]。
2023年4月10日に商号を「株式会社テレコム・アニメーションフイルム」から「株式会社テレコム・アニメーションフィルム」に変更した(「イ」を大文字から小文字に変更)[63]。
2024年6月6日に元代表取締役社長の淨園祐が株式会社エレクトリックサーカスを設立[64]。
2026年2月16日付の官報で親会社のトムス・エンタテインメントに吸収合併されることが判明した。トムスがテレコムの権利義務全部を承継し、テレコムは解散する。2025年3月期の決算は最終損失3億4600万円、債務超過だった[62]。2026年2月17日、トムスは4月1日付でテレコムを吸収合併し、グループの制作機能を統合することを発表した。テレコム・アニメーションフィルムの名称は商標・ブランド名として活用していく予定だとしている[65][66][67]。
2026年4月1日にトムス・エンタテインメントに吸収合併され、解散した。
関連人物[編集]
演出家・アニメーター[編集]
- 青木康直(1期生)
- 青山浩行(5期生)[68]
- 赤城博昭
- 板垣伸
- 植田均(2期生)
- 宇田明彦
- うつのみや理(3期生)[68]
- 浦谷千恵(2期生)
- 遠藤正明(2期生)
- 大塚康生
- 奥山玲子
- 小山田桂子(2期生)
- 片渕須直
- 片山一良(2期生)
- 川口隆
- 北川隆之
- 木村豪
- 小田部羊一
- 小林弥生(1期生)
- 近藤喜文
- 貞本義行(6期生)[68]
- 篠原征子
- 柴田由香
- 島田明子
- 末永宏一(6期生)
- 高須美野子
- 高畑勲
- 滝口禎一(6期生)[68]
- 立木康子
- 舘野仁美(4期生)
- 田中敦子
- 田中達之(6期生)[69]
- 田辺厚子(1期生)
- 谷野美穂
- 丹内司
- 塚田洋子(1期生)
- 月岡貞夫
- 辻野芳輝
- 富沢恵子
- 富沢信雄
- 友永和秀
- 中込利恵
- 難波日登志(1期生)[70]
- 西見祥示郎
- 野口寛明(3期生)
- 橋本三郎
- 橋本晋治
- 八崎健二(2期生)
- 林雅子(1期生)
- 二木真希子(2期生)
- 増田敏彦(4期生)
- 丸山晃一
- 道籏義宣(1期生)
- 宮﨑なぎさ
- 宮崎駿
- 森川聡子(3期生)[68]
- 柳沼和良(5期生)[68]
- 矢野雄一郎(4期生)
- 山内昇寿郎
- 横堀久雄(6期生)[68]
色彩設計[編集]
美術[編集]
制作[編集]
- 藤岡豊(創業者、初代社長)
- 加藤俊三(社長)
- 竹内孝次(社長)
- 浄園祐(社長。エレクトリックサーカス代表取締役社長)
- 竹崎忠(社長)
- 伊東耕平(アニメーションプロデューサー、CGI制作部プロデューサー。エレクトリックサーカスCGIプロデューサー)
- 近藤光(制作進行。ユーフォーテーブル代表取締役社長)
- 徳永智広(制作部長。コミックス・ウェーブ・フィルム代表取締役社長)
- 松元理人(会長。スタジオさきまくら代表取締役社長)
- 山路晴久(アニメーションプロデューサー)
書籍[編集]
- テレコム・アニメーションフィルム監修『アニメーション・バイブル――アニメーション制作の教科書』(誠文堂新光社、2009年)
- 与澤桂子、富沢信雄、伊東耕平、大塚康生、竹内孝次著、テレコム・アニメーションフィルム監修『アニメスタジオテクニック――RETAS STUDIOで学ぶアニメの作り方』(ボーンデジタル、2010年)
脚注[編集]
注[編集]
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文春ジブリ文庫、2013年)によると、田中敦子・原恵子・丹内司を招請した後、友永和秀、富沢信雄、篠原征子、山内昇寿郎、仕上げの近藤浩子らが加わり、「とどめ」に宮崎駿が、最後に制作の竹内孝次が加わった[25]。
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年)によると、キネト・TMS[29]。『宣伝会議』によると、東京ムービー新社とキネトグラフィック社による合弁会社<キネト-T·M·S>が設立された[31]。『日本金融新聞』によると、キネトグラフィックス社と東京ムービー新社の合弁会社「キネト-TMS」(サンフランシスコ)が設立された[32]。
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文春ジブリ文庫、2013年)によると、高畑勲、宮崎駿、大塚康生、友永和秀、富沢信雄、丹内司、丸山晃一、田中敦子、近藤喜文、篠原征子、山本二三、竹内孝次の12名[33]。三好寛(公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団事業課学芸係学芸員)によると、大塚康生、高畑勲、宮崎駿、篠原征子、近藤喜文、友永和秀、富沢信雄、丹内司、丸山晃一、田中敦子、道籏義宣、山本二三、竹内孝次(13名)[3]。
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年)によると、1984年12月時点でキネト・TMSの代わりにロサンゼルスTMSが設立されていた[38]。
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年)によると、アメリカのヘムデール社はビデオを200万本売って成功を収めた[44]。
出典[編集]
- ↑ a b c d e アニメ制作の名門!『ルパン三世 カリオストロの城』『つくもがみ貸します』『閃光のハサウェイ』などに携わったテレコム・アニメーションフィルムの歴史と魅力 アニメ!アニメ!、2021年12月27日
- ↑ 原口正宏「歴史編② アニメの3大源流とその系譜 ~東映・虫プロ・タツノコ〜(PDF)」文部科学省 平成24年度「成長分野等における中核的専門人材養成の戦略的推進事業」 アニメ・マンガ人材養成産官学連携事業/アニメ・マンガ人材養成産官学連携コンソーシアム/アニメ分野職域学習システム実証プロジェクト/カリキュラム検討委員会産業論部会、2013年3月
- ↑ a b c d e f g h 三好寛「「日本のアニメーション・スタジオ史」関連レポート 1970年代末から80年代初頭の状況」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2014-2015(PDF)』公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2015年7月
- ↑ a b 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、73頁
- ↑ a b 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、81-84頁
- ↑ 片渕須直「β運動の岸辺で 第19回 最後の畳部屋」WEBアニメスタイル、2010年1月25日
- ↑ 会社概要 テレコム・アニメーションフィルム
- ↑ 作品歴1990年代 テレコム・アニメーションフィルム
- ↑ a b 小田部羊一著、藤田健次聞き手『漫画映画 漂流記――おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一』講談社、2019年、229頁
- ↑ a b 山崎龍「もう見た?『ルパン三世』劇場版最新作『LUPIN THE ⅢRD THE MOVIE 不死身の血族』のクルマとメカをまとめて解説!」Motor-Fan、2025年7月18日
- ↑ a b c d About us テレコム・アニメーションフィルム
- ↑ a b 後藤悠里奈「アニメ制作会社の中って、いったいどうなっているの? アニメ映画『ブルーサーマル』が完成するまでーー「第三回:スタジオ潜入(1)」」超!アニメディア、2022年2月4日
- ↑ 後藤悠里奈「アニメ映画『ブルーサーマル』が完成するまで――「第四回:スタジオ潜入(2)」3Dレイアウトってどういう作業!?」超!アニメディア、2022年2月11日
- ↑ 東映『ブルーサーマル』押切P “映画館で空を飛ぶような体感” 文化通信.com、2022年3月8日
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、1頁
- ↑ アニメ制作会社「テレコム・アニメーションフィルム」潜入取材、「LUPIN THE ⅢRD 峰不二子の嘘」を生み出したスタジオはこんな感じ GIGAZINE、2019年5月30日
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、182頁
- ↑ 辻真先「東京ムービー・組織と人と」『アニメージュ』1980年11月号
- ↑ a b c d 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、230-232頁
- ↑ 清水浩二「思い出のキャラ図鑑 第19回「ロサンゼルスの思い出1 ロイドの藤岡邸とサッちゃん(常田幸子さん)」」NINGYONOIE ARCHIVES*劇団人形の家公式サイト
- ↑ 中条省平「世界の全マンガ史を通じて最高峰『リトル・ニモの大冒険』はやっぱりすごい!|マンガだけでも、いいかもしれない。」幻冬舎plus、2014年9月19日
- ↑ a b 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、77-80頁
- ↑ a b 伊藤望「日本のアニメーションと大塚康生氏が作ったもの(2部構成 第2部)」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2021-2022(PDF)』公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2022年7月
- ↑ 『アニメージュ』1981年2月号
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、236-237頁
- ↑ 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、10、323頁
- ↑ a b 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、85-88頁
- ↑ 小黒祐一郎「アニメ様365日 第12回 『ルパン三世[新]』」WEBアニメスタイル、2008年11月19日
- ↑ a b c d e 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、93-95頁
- ↑ a b 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、278頁
- ↑ 「様変わりする映画産業――消費者金融の大手レイクも進出」『宣伝会議』第30巻第4号(通巻388号)、1983年4月
- ↑ 『日本金融新聞』1983年2月20日付、『日本金融新聞資料版 1984』日本金融新聞、1984年、384-385頁
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、275頁
- ↑ 『写真と証言で見るレイク25年』レイク・広報室制作、1989年、48頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、111-113頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、110頁
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、284頁
- ↑ a b c 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、152頁
- ↑ a b 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、126-128頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、124-125頁
- ↑ 叶精二『日本のアニメーションを築いた人々 新版』復刊ドットコム、2019年、221-222頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、129-130頁
- ↑ a b c 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、157-160頁
- ↑ a b c d 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、179-180頁
- ↑ Little Nemo: Adventures in Slumberland (1992) Box Office Mojo
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、290頁
- ↑ 『オールタイム・ベスト映画遺産 アニメーション篇』キネマ旬報社、2010年、208頁
- ↑ 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、42頁
- ↑ 『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』ふゅーじょんぷろだくと、2001年、60-61頁
- ↑ 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、56頁
- ↑ 尾形英夫『あの旗を撃て!――『アニメージュ』血風録』オークラ出版、2004年、183頁
- ↑ 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、148頁
- ↑ 小黒祐一郎「アニメ様365日 第77回 1981年前後の東京ムービー新社」WEBアニメスタイル、2009年3月3日
- ↑ a b 国内のファンには久々のテレコム作品 『CYBERSIX』 WEBアニメスタイル
- ↑ a b c d e オーラルヒストリー・竹内孝次氏(一般社団法人日本アニメーション教育ネットワーク)第6回 開志専門職大学、2025年12月24日
- ↑ オーラルヒストリー・竹内孝次氏(一般社団法人日本アニメーション教育ネットワーク)第4回 開志専門職大学、2025年11月17日
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、150-151頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、148頁
- ↑ 作品歴 2000年代 テレコム・アニメーションフィルム
- ↑ 怪人二十面相、電影ヲ震撼ス・前編――『二十面相の娘』原作者・小原愼司先生インタビュー ぷらちな
- ↑ a b 『ブルーサーマル』アニメ映画化&2022年3月公開決定!特報&ティザービジュアルが解禁! ファンズボイス、2021年8月26日
- ↑ a b トムス・エンタテインメント、テレコム・アニメーションフィルムを吸収合併 gamebiz、2026年2月16日
- ↑ 株式会社テレコム・アニメーションフィルムの情報 国税庁法人番号公表サイト
- ↑ ELECTRIC CIRCUS
- ↑ 株式会社トムス・エンタテインメント グループ制作体制の強化に向けた組織再編(吸収合併)のお知らせ 株式会社セガ
- ↑ 『ルパン三世』など制作のテレコム・アニメーションフィルムが法人消滅へ 親会社のトムスと経営統合 オタク総研、2026年2月17日
- ↑ トムス・エンタテインメントがテレコム・アニメーションフィルムを吸収合併 コミックナタリー、2026年2月17日
- ↑ a b c d e f g 小黒祐一郎「この人に話を聞きたい 192 青山浩行」『アニメージュ』2017年3月号
- ↑ アニメの作画を語ろう animator interview 田中達之(1) WEBアニメスタイル、
- ↑ 板垣伸「第8回『スケバン刑事(OVA)』~初演出の話・前編」WEBアニメスタイル、2007年3月8日
- ↑ 【東京都:10/19上映】【特別企画】<TV放送40周年記念>「名探偵ホームズ」レア・セレクション上映&トークショー@秋葉原UDXシアター ドリパス
- ↑ 『ジブリ・ロマンアルバム 天空の城ラピュタ』徳間書店、1986年、92頁
関連文献[編集]
- 草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』(徳間書店スタジオジブリ事業本部、2003年)
- 舘野仁美著、平林享子構成『エンピツ戦記――誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社、2015年/中公文庫、2025年)
- 片渕須直『終らない物語』(フリースタイル、2019年)
外部リンク[編集]
- テレコム・アニメーションフィルム オフィシャルサイト
- テレコムアニメーションフィルム公式(@telecom_anime) - 𝕏(旧:Twitter)