シンエイ動画
シンエイ動画株式会社(しんえいどうが)は、東京都西東京市に本社を置くアニメ制作会社。前身は有限会社エイプロダクション(通称:Aプロダクション、Aプロ)。日本動画協会正会員。
エイプロダクション[編集]
東京ムービーの藤岡豊が制作体制の強化を図るため、東映動画の楠部大吉郎に制作会社の設立を要請[1]。1965年12月1日に楠部が有限会社エイプロダクション(Aプロ)を設立[1][2]。東京ムービーと業務提携を結び、東京ムービーが企画や営業など管理部門、Aプロが演出や作画など制作部門を担当[1]。楠部は東映動画から芝山努と小林治を招聘し、後に椛島義夫と森下圭介も入社[3]。1966年に第1期生として中村英一が入社[4]。1969年に大塚康生が東映動画から移籍。1970年に竹内留吉が東映動画から移籍[5]。1971年に高畑勲、宮崎駿、小田部羊一が東映動画から移籍。
東京ムービー作品のテレビアニメ『オバケのQ太郎』(1965-1967、1971-1972)、『巨人の星』(1968-1971)、『ムーミン』(1969-1970)、『アタックNo.1』(1969-1971)、『ルパン三世 PART1』(1971-1972)、『天才バカボン』(1971-1972)、『ど根性ガエル』(1972-1974)、『侍ジャイアンツ』(1973-1974)、『エースをねらえ!』(1973-1974)、『ガンバの冒険』(1975)、『元祖天才バカボン』(1975-1977)などの制作を担当[1][2][6]。
高畑、宮崎、小田部は『長くつ下のピッピ』をアニメ化するためにAプロに移籍したが、原作者から許諾が得られず企画が頓挫したため、劇場用アニメ『パンダコパンダ』(1972)、『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』(1973)を制作(演出:高畑、作画監督:小田部、大塚、原案・脚本・画面設定:宮崎)。1973年に高畑、宮崎、小田部はズイヨー映像に移籍。
その他の東映動画出身のAプロのスタッフには、アニメーターの吉田茂承、美術の小山礼司、仕上げの近藤浩子(山浦浩子)、保田道世などがいる[1]。新人採用されたAプロのスタッフには、アニメーターの近藤喜文、青木悠三、河内日出夫、仕上げの小山明子などがいる[1]。
シンエイ動画[編集]
1976年9月9日に東京ムービーとの業務提携を解消して独立し、シンエイ動画株式会社に改組[2][7]。楠部三吉郎によると、Aプロダクションは東京ムービーが「国際放映の傘下から抜け出し、再び独立するために用意していた会社」だった。藤岡豊と国際放映が独立問題で対立した際、楠部大吉郎・三吉郎は藤岡から「責任を被ってくれ」「裏で、いくらでも保証するから」と言われたが、これを拒否して東京ムービーから独立した[8]。楠部はシンエイ動画について「東京ムービーと揉めて独立したという経緯の会社」「東京ムービーの裏切り者」とも述べている[9]。
グロス請けがメインの小さな会社としてスタート[7]。1977年に初作品『草原の子テングリ』を発表。1979年に初めての元請作品として受注したテレビシリーズ『ドラえもん』が放送開始[2]。1992年にテレビシリーズ『クレヨンしんちゃん』が放送開始[2]。2007年に初のオリジナル劇場用長編アニメ『河童のクゥと夏休み』を発表[6]。2009年4月にテレビ朝日の連結子会社化[2]。2010年10月にテレビ朝日の100%子会社化[2]。
代表作にテレビアニメ『ドラえもん』(1979-)[2][10]、『オバケのQ太郎』(1985-1987)[10]、『美味しんぼ』(1988-1992)[10]、『クレヨンしんちゃん』(1992-)[2][10]、『あたしンち』(2002-2009)[11]、劇場用アニメ『ドラえもん』シリーズ(1980-)、『クレヨンしんちゃん』シリーズ(1992-)など。
1978年に芝山努、小林治、山田みちしろらが独立して亜細亜堂を設立[1][12]。1982年に真田芳房、本多敏行、福冨博、徳田悦郎、木上益治、鈴木信一、奈須川充が独立してあにまる屋(のちエクラアニマル)を設立[13]。
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年)や『河童のクゥと夏休み』を監督した原恵一は1982年から2007年まで在籍していた。
関係会社[編集]
- 株式会社テレビ朝日 - 親会社
- 有限会社SynergySP - 子会社
- ギャザリングホールディングス株式会社 - グループ会社
テレコム・アニメーションフィルムとの関係[編集]
テレコム・アニメーションフィルムは東映動画(現・東映アニメーション)および同社出身者の多い日本アニメーション(旧・ズイヨー映像)、シンエイ動画(旧・Aプロダクション)の系譜に連なる[1]。Aプロとテレコムに在籍した人物には、大塚康生、高畑勲、宮崎駿、小田部羊一、近藤喜文、近藤浩子がいる。シンエイ動画とテレコムに在籍した人物には、大塚康生、田中敦子、原恵子、島田明子、近藤喜文、近藤浩子がいる。この内、大塚、高畑、宮崎、小田部、近藤浩子は東映動画に、大塚(シンエイ動画から出向)、高畑、宮崎、小田部、近藤喜文は日本アニメーションに在籍していた。
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g h 三好寛「「日本のアニメーション・スタジオ史」関連レポート 1970年代末から80年代初頭の状況」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2014-2015(PDF)』、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2015年7月
- ↑ a b c d e f g h i 会社情報 シンエイ動画
- ↑ 南正時『昭和のアニメ奮闘記――伝説のアニメーターたちが若かりし頃の物語』天夢人、発売:山と溪谷社、2021年、70頁
- ↑ 南正時『昭和のアニメ奮闘記――伝説のアニメーターたちが若かりし頃の物語』天夢人、発売:山と溪谷社、2021年、77頁
- ↑ 南正時『昭和のアニメ奮闘記――伝説のアニメーターたちが若かりし頃の物語』天夢人、発売:山と溪谷社、2021年、79頁
- ↑ a b 第8回 出﨑 統さん(アニメーション監督)その4 練馬アニメーションサイト
- ↑ a b 伊藤望「日本のアニメーションと大塚康生氏が作ったもの(2部構成 第2部)」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2021-2022(PDF)』、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2022年7月
- ↑ 楠部三吉郎『「ドラえもん」への感謝状』小学館、2014年、14-15頁
- ↑ 楠部三吉郎『「ドラえもん」への感謝状』小学館、2014年、26-27頁
- ↑ a b c d デジタル大辞泉プラス 「シンエイ動画」の解説 コトバンク
- ↑ 楠部三吉郎『「ドラえもん」への感謝状』小学館、2014年、6頁
- ↑ 会社概要 亜細亜堂
- ↑ 会社概要 エクラアニマル
関連項目[編集]
関連文献[編集]
- 『アニメージュ』1985年1月号
- 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年)
- 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文藝春秋[文春ジブリ文庫]、2013年)
外部リンク[編集]
- シンエイ動画
- シンエイ動画【公式】(@shin_ei_ani) - 𝕏(旧:Twitter)
- シンエイアニメーション【公式】 - YouTubeチャンネル
- シンエイアニメーション【公式】YouTubeチャンネル(@shinei_youtube) - 𝕏(旧:Twitter)
- シンエイ動画 - アニヲタWiki(仮)