瑞鷹 (アニメ制作会社)
瑞鷹株式会社(ずいよう)は、アニメ制作会社[1]。ズイヨー映像の後身[2]。
1969年4月に日本テレビジョン株式会社が株式会社ティ・シー・ジェー(TCJ)と改称。アニメ制作部門の動画部を独立させ、子会社として株式会社ティ・シー・ジェー動画センター(1973年にTCJから独立して株式会社エイケンと改称)を設立[3][4]。TCJ動画部企画室長の高橋茂人はこれを機に退社し、アニメの企画マネジメント会社「瑞鷹エンタープライズ」を設立[4]。フジテレビ系列の「カルピスまんが劇場」の枠で放送された『ムーミン』(1969-1970年)を企画。東京ムービーが制作を担当。第3クールからは東京ムービーが『ルパン三世』の制作を決定していたため、虫プロダクションに制作会社を変更[5]。『新ムーミン』(1972年)や『小さなバイキングビッケ』(1972-1974年)の制作を依頼していた虫プロの経営が思わしくないため、1972年に高橋はアニメ制作スタジオ「ズイヨー映像」を設立[6]。本橋浩一が代表取締役に就任[7]。「カルピスまんが劇場」の5作目『山ねずみロッキーチャック』(1973年)、6作目『アルプスの少女ハイジ』(1974年)を制作。
1975年6月3日[8]に本橋浩一らが日本アニメーションを設立。ズイヨー映像の社屋とスタッフをほぼそのまま継承した[9]。なおズイヨー映像株式会社は日本アニメーション本社スタジオと同一の所在地に法人格は存続している[10]。有楽町のオフィスで版権窓口の業務に明け暮れ、年の3分の1は海外で売り込みをしていた高橋と、過酷な環境にいた現場スタッフの間に距離ができていたことが、この事態に繋がった[11]。1974年初夏に高橋は『ハイジ』の次回作として『ウィリアム・テル』を企画したが、スポンサーのカルピス会長は『フランダースの犬』を希望し、広告代理店やズイヨー経営陣内の意見は二分したが、最終的にスポンサーの意見が通された[12]。そのような中で高橋の海外出張中にスタジオが新会社に移管された[12]。高橋は『ハイジ』の制作中に表舞台から身を引いた[12]。
高橋の瑞鷹エンタープライズは『アルプスの少女ハイジ 劇場版』(1979年)を企画・制作。『ピュア島の仲間たち』(1983年)でアニメ制作を再開した[13]。『森のトントたち』(1984-1985年)を経て、「瑞鷹」として『フォックスウッドものがたり』(1991-1992年)、『妖精ディック』(1992年)、『ポピーザぱフォーマー』(2000-2001年)を企画・制作。
出典[編集]
- ↑ アルプスの少女ハイジ[公式]の2023年7月25日のツイート
- ↑ アルプスの少女ハイジ[公式]の2022年8月26日のツイート
- ↑ COMPANY TCJ - Television Corporation of Japan
- ↑ a b ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、43-45頁
- ↑ ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、49-52頁
- ↑ ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、55頁
- ↑ INZA TAILOR オフィス訪問 VOL.22 銀座テーラー
- ↑ 会社概要 | 会社案内 日本アニメーション
- ↑ 三好寛「「日本のアニメーション・スタジオ史」関連レポート 1970年代末から80年代初頭の状況」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2014-2015(PDF)』、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2015年7月
- ↑ ズイヨー映像株式会社の情報 国税庁法人番号公表サイト
- ↑ ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、120-121、138頁
- ↑ a b c ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、139-140頁
- ↑ ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、141頁