佐藤昭司
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佐藤 昭司(さとう しょうじ、1938年 - )は、アニメーション映画プロデューサー[1]。日本アニメーション取締役企画部長。
経歴[編集]
東京生まれ[1]。日本大学芸術学部映画学科を経て[1]、テレビ動画(現・フジテレビ・エンタプライズ)に勤務[2]。遠藤政治や石黒昇らとアニメ制作ユニット「動画技術研究所」を組んで活動[3]。1972年に大学時代からの友人である中島順三に誘われ、遠藤とともにズイヨー映像に移籍[3]。『山ねずみロッキーチャック』(1973年)、『アルプスの少女ハイジ』(1974年)の制作デスクなどを担当。遠藤の提案で東映動画にいた森やすじにズイヨー映像へと移籍するよう働きかけた[4]。また『ハイジ』の監督に高畑勲を起用することを提案した[5]。
1975年6月にズイヨー映像のスタッフが離脱・独立して日本アニメーションを設立。同社で取締役企画部長を務めた[1]。1977年にNHKが初めて放送するテレビアニメシリーズの制作会社に日本アニメーションが選ばれ、日本アニメーションは世界名作劇場に近い企画を提案。企画の佐藤が用意した原作の中からアレグザンダー・ケイの『残された人々』が選ばれ、『未来少年コナン』(1978年)が生まれた[6]。『赤毛のアン』(1979年)、『シートン動物記 りすのバナー』(1979年)、『トム・ソーヤーの冒険』(1980年)、『小公女セーラ』(1985年)、『愛の若草物語』(1987年)などの企画を担当。『青春アニメ全集』(1986年)、映画『ちびまる子ちゃん』(1990年)などのプロデューサーを担当。
東京アニメアワードフェスティバル2020(TAAF2020)アニメ功労部門顕彰者[7]。
著書[編集]
- 『にほんアニメばなし』(伊丹堂書店、2009年)
- 『「赤毛のアン」がテレビアニメになった日』(扶桑社、2010年)
出典[編集]
- ↑ a b c d 「赤毛のアン」がテレビアニメになった日 扶桑社
- ↑ 三好寛「「日本のアニメーション・スタジオ史」関連レポート 1970年代末から80年代初頭の状況」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2014-2015(PDF)』、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2015年7月
- ↑ a b ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、57-58頁
- ↑ ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、58-59頁
- ↑ ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、62頁
- ↑ 叶精二「宮崎駿監督が猛烈に働いて作った『未来少年コナン』」論座、2020年11月10日
- ↑ これまでの顕彰者 東京アニメアワード
関連文献[編集]
- 石黒昇、小原乃梨子『テレビ・アニメ最前線――私説・アニメ17年史』(大和書房、1980年)
- ちばかおり『世界名作劇場シリーズ メモリアルブック アメリカ&ワールド編』(新紀元社、2009年)
- ちばかおり『世界名作劇場シリーズ メモリアルブック ヨーロッパ編』(新紀元社、2010年)
- 中島順三「テレビアニメーションが到達したひとつの頂上 『アルプスの少女ハイジ』とその時代」(全7回、『熱風』11巻7号(通号127号)-12巻2号(通号134号)、2013年7月-2014年2月)
- 『世界名作劇場ぴあ――40周年記念!シリーズ全26作を大特集!!』(ぴあ[ぴあMOOK]、2015年)