赤毛のアン

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赤毛のアン(あかげのあん)は、カナダの作家ルーシー・モード・モンゴメリ(モントゴメリー)の少女向け小説『グリーン・ゲイブルズのアン』の日本での翻訳題

多くの翻訳があるがすべて「赤毛のアン」である。最初の翻訳は村岡花子が戦後、三笠書房から出したもので、「赤毛のアン」という邦題は編集者からの提案で、村岡は反対したが押し切られた。評判がよく、続編まであわせて十冊、村岡が翻訳し、のち新潮文庫に入った。はじめは背表紙が白だったが、1980年ころにピンクに統一されて心あるファンの嘆きを呼んだ。なお、村岡の足跡は連続テレビ小説花子とアン』放送時に見直された。ほかに角川文庫版の中村佐喜子訳、旺文社文庫版の神山妙子訳などがあった。

しかし日本で「赤毛のアン」の人気が高まったのは、1979年にフジテレビ系列の「世界名作劇場」で高畑勲の演出によるアニメが放映されてからである。このアニメが角川文庫版を原作として指定していたのは、村岡訳が、マシュウの死後、マリラがアンを「娘のように思っていた」と告白する場面が削除されていたせいである。アンの容姿は近藤喜文が高畑の助言でミア・ファローをモデルに作った。作中ではアンは12歳から17歳になるが、それをアニメゆえシームレスに描くことができた。アンの声をあてた山田栄子も評判が良かったが、レイアウト(クレジットは場面設定・画面構成)を担当していた宮崎駿は、原作通りの展開にあきたらず、途中で離脱して『ルパン三世 カリオストロの城』の制作に向かった。宮崎の後任は櫻井美知代が務めた(クレジットは場面構成)。アンの養父ともいうべきマシュウの声を当てたのは槐隆二で、その「そうさのう」という決まり台詞はファンの間で人気をもたらした。高畑のアニメの影響は海外にも及び、その後二度ほど映画化もされている。

作家の松本侑子は『赤毛のアン』の完訳を出した上(1993)、村岡に続くシリーズ全巻の翻訳に着手し、2023年に『アンの娘リラ』までを訳している。同作品に現れる英文学へのリファレンスの研究も行った。東大教授の山本史郎も翻訳を行ったが、男でこの作品を訳したのは山本だけである。日本では東大卒の女性の間では「アン」の人気はそれほどでもなく、そこそこの学歴の女性に人気があるという(小谷野敦『聖母のいない国』)。

アニメに関する文献[編集]

  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)
  • 松本正司香織ほか『やっぱり赤毛のアンが好き』(世界文化社、1994年)
  • 河出書房新社編集部 編『世界名作劇場「赤毛のアン」メモリアル・アルバム』(河出書房新社、2005年)
  • 佐藤昭司『「赤毛のアン」がテレビアニメになった日』(扶桑社、2010年)