丹内司

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丹内 司(たんない つかさ、1954年3月6日[1] - )は、アニメーター

経歴[編集]

タカ・プロで『ルパン三世 PART1』(1971-1972年)、『ゲゲゲの鬼太郎』(1971-1972年)などの動画を担当[1]オープロダクションで『デビルマン』(1972-1973年)、『ど根性ガエル』(1972-1974年)、『ミクロイドS』(1973年)、『元祖天才バカボン』(1975-1977年)の原画を担当[1]

『アニメージュ』1981年2月号によると、オープロを経て、1979年2月にテレコム・アニメーションフィルムに入社[2]。『アニメージュ』1982年1月号によると、フリーを経て、テレコムに入社[1]大塚康生によると、大塚は新人ばかりのテレコムに経験者の動画家が必要となり、オープロから丹内を招請した[3][4]叶精二によると、オープロから『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(1978年)に参加後、大塚に直訴してテレコムに移籍した[5]。叶のツイートによると、オープロから『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)に参加し、直後に山内昇寿郎とともにテレコムに移籍した[6]

テレコムで『鉄人28号』(1980-1981年)、『じゃりン子チエ』(1981年)の原画[2]、『ルパン三世 PART2』第145話「死の翼アルバトロス」(1980年)[7]、第155話「さらば愛しきルパンよ」(1980年)[8]、『花王名人劇場 東海道四谷怪談』(1981年)の作画監督を担当[9]。1982年8月に大塚康生、高畑勲宮崎駿篠原征子近藤喜文友永和秀富沢信雄丸山晃一田中敦子道籏義宣山本二三竹内孝次とともに渡米し、ディズニーフランク・トーマスオリー・ジョンストンからアニメーションのレクチャーを受けた[10]

「テレコムの日米合作に方向性の違いを感じてフリー」となり、山内とともに『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)に参加し、直後に山内とともにぎゃろっぷに移籍した[6]。『名探偵ホームズ』(1984-1985年)の作画監督[11]、『風の谷のナウシカ』(1984年)の原画[12]、『天空の城ラピュタ』(1986年)の作画監督[13]、『となりのトトロ』(1988年)の筆頭原画[14]、『キテレツ大百科』(1988-1996年)の作画監督・総作画監督、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(1996-2004年)のキャラクターデザイン・総作画監督・作画監督を担当。

出典[編集]

  1. a b c d 『アニメージュ』1982年1月号
  2. a b 『アニメージュ』1981年2月号
  3. 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、80頁
  4. 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、236頁
  5. 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、22頁
  6. a b 叶精二のツイート
  7. 『アニメージュ』1980年10月号
  8. 『アニメージュ』1980年12月号
  9. 作品紹介 テレコム・アニメーションフィルム
  10. 三好寛「「日本のアニメーション・スタジオ史」関連レポート  1970年代末から80年代初頭の状況」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2014-2015PDF』、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2015年7月
  11. 名探偵ホームズ | 1980年代 | TMS作品一覧 トムス・エンタテインメント
  12. 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、55頁
  13. 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、95頁
  14. 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、119頁

外部リンク[編集]