名鉄ク2320形電車
ク2320形電車(ク2320がたでんしゃ)とは、名古屋鉄道(名鉄)が運用していた電車である。ここでは同じ出自を持つク2300形についても記述する。
概要[編集]
この車両は名鉄の前身の愛知電気鉄道(愛電)が製造した16m級半鋼製車体の電車である電7形に出自を持つ。
電7形は1927年(昭和2年)に形式称号をデハ3080形へと改め、愛電が名岐鉄道と合併して現・名古屋鉄道へと引き継がれた。戦後に形式をモ3200形へと改めて主に本線系統で運用されていたが、1950年代後半頃より木造車の急速な置き換えに迫られ、木造車の機器を新造した全金属車体と組み合わせた新車の3700系への更新が開始された。この更新にあたって、主電動機の非力さを補うために初期製造グループは全電動車とすることにしたため、流用元の機器類が不足。木造車と同等の機器類を積んでいた3200形のうち3両に白羽の矢が立って電装品や台車を3700系へと供出した。余った車体は機器供出対象から外れた木造車の廃車発生品である旧式台車を流用して制御車へと改造された。これがク2300形である。
ク2300形に改造されなかった7両は引き続き運用されていたが、1960年代中盤になると車体の疲弊、接客設備の陳腐化、手動扉車が高速運転を行うことに対するリスクなどから置き換えが検討され始める。そこで電装品や台車を3700系の改良型である3730系の製造に役立てることとし、余った車体は廃車発生品の旧式台車を装着して制御車化し、支線区に残っていた木造車の淘汰に用いることとした。この時改造された車両群は形式をク2320形へと改めた。
運用[編集]
改造当初[編集]
当初はHL車の他形式と編成を組んで本線系統で運用されていた。
瀬戸線時代[編集]
他線区と繋がっておらず、近代化の遅れていた瀬戸線には1960年代になっても老朽化した小型車や木造車が残存していた。老朽車の中には走行中にドアが開閉可能な手動扉車が残っており、安全面でも問題を抱えていた。
そこで本線系で余剰化していたク2300・2320形を瀬戸線へと転出させ、老朽車両の淘汰に用いることとした。こうして1965年(昭和40年)から翌年にかけて全車両が瀬戸線へと転出し、知多鉄道由来のモ900形と編成を組む形で運用された。なおク2300・2320形は全10両存在するのに対してモ900形は7両のみの存在のため、余る3両はモ700形と編成を組んでいた。
瀬戸線に特急列車が新設された際にはモ900形3両とク2300形3両が特急車に指定され、車体塗装の名鉄スカーレットへの変更、座席の転換クロスシート化、正面への逆富士型行先表示板(7000系パノラマカー同等品)の設置を行った。なお特急予備車としてモ904 - ク2324のペアには車体色の名鉄スカーレット化のみ施工された。
瀬戸線特急は好評で、1968年(昭和43年)の増発に際しては特急予備車のモ904 - ク2324を含むモ900形とペアを組むク2320形が特急車に指定され、前述の改装が施された。なお客室の転換クロスシートへの改装はク2324のみが対象となり、特急車指定された全車が転換クロス化されたモ900形とは対照的になっている。
特急車改装では車体への白帯の追加やミュージックホーンの取り付け、客用扉の自動化、車内照明の蛍光灯化も実施されている。
揖斐・谷汲線時代[編集]
特急車に指定されて華々しい活躍を送る一方、1973年(昭和48年)より瀬戸線の車両体質改善のため本線系から3700系10両が電気機器の降圧改造を施して転入。この時ク2325・2327の2両が揖斐・谷汲線へと転出した。
その後、瀬戸線の栄町駅乗り入れに先行して1978年(昭和53年)3月19日に行われた架線電圧の1500V昇圧により瀬戸線を追われる身となった。昇圧後、ク2300形3両全車とク2321・2322・2324の合計6両が廃車され、廃車の対象から外れたク2323・2326の2両はク2325・2327のいる揖斐・谷汲線へと転出した。
揖斐・谷汲線へ送られた4両は主にモ700・750形と組んで2両編成を組成。ワイパーの自動化や前照灯のシールドビーム化などの近代化改装も施されて運用され続けたが、冷房装備・VVVF制御のモ780形が1997年(平成9年)に登場するとこれに置き換えられ、同年4月にさよなら運転を実施。翌5月に残存していた全4両が廃車されて形式消滅した。廃車後、全車両が解体されて現存しない。
なおク2320形全廃の前年となる1996年に3730系が全廃されている。3730系は前述の通りク2320形の前身となるモ3200形から機器を流用して製造されており、結果として機器供出元の車両が1年程度だが供出先の車両よりも長生きするという珍しい状況となった。
名鉄岐阜線(600V線区) |