顕密体制論

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顕密体制論(けんみつたいせいろん)は、顕密仏教(南都六宗と平安二宗、いわゆる旧仏教)が中世仏教の中心だとする学説で、黒田俊雄が『日本中世の国家と宗教』(岩波書店、1975年)所収の論文「中世における顕密体制の展開」[注 1]で提唱した[1]。黒田によると、延暦寺、興福寺、東大寺などの有力寺院(顕密仏教)は平安時代後期から衰退・退廃していったとする通説とは異なり、12世紀末には荘園領主(権門寺院)として再生した。これらの権門寺院は単に分立していたわけではなく、密教を統合の原理として共存の秩序を形成した[1]。黒田は「密教を統合の原理とした顕密仏教の併存体制」を「顕密主義」、「顕密主義を基調とする諸宗が国家権力と癒着した形で宗教のあり方を固めた体制」を「顕密体制」と命名した[1]。黒田によると、9世紀の密教による全宗教の統合の段階、10世紀の「天台宗の自己主張の所産たる浄土教の発展の段階」を経て、11世紀の王法仏法相依論の成立の段階によって、国家権力との癒着結合が成立した。これまで中世仏教の主役とされてきた鎌倉新仏教に関しては、「新仏教・旧仏教」という区分は近世以降の宗派を基準としたものであるとして採用せず、顕密仏教を「正統」派、法然・親鸞・日蓮・一遍・道元など新仏教を「異端」派、明恵や叡尊など旧仏教の新しい動きを「改革」派と位置付けた。顕密体制は応仁の乱の時期に一向一揆・法華一揆・きりしたん一揆などの宗教一揆によって崩壊し、最終的に宗教一揆を弾圧した織豊政権によって打撃を与えられた。

顕密体制論は家永三郎や井上光貞が形成した鎌倉新仏教中心史観を覆して中世仏教史研究を一変させるなど[1]、黒田が提唱した権門体制論とともに中世史のみならず宗教史・思想史・日本文学研究などにも大きな影響を与えた[2]。顕密体制論を継承した研究として佐藤弘夫『日本中世の国家と仏教』(吉川弘文館[中世史研究選書]、1987年/吉川弘文館[歴史文化セレクション]、2010年)、『神・仏・王権の中世』(法藏館、1998年)、平雅行『日本中世の社会と仏教』(塙書房、1992年)[1][3][4]、『鎌倉仏教と専修念仏』(法藏館、2017年)などがある。顕密体制論に批判的な研究として佐々木馨『中世国家の宗教構造――体制仏教と体制外仏教の相剋』(吉川弘文館[中世史研究選書]、1988年)、松尾剛次『鎌倉新仏教の成立――入門儀礼と祖師神話』(吉川弘文館[中世史研究選書]、1988年、新版1998年)、末木文美士『日本仏教思想史論考』(法藏館、1993年)、『鎌倉仏教形成論――思想史の立場から』(法藏館、1998年)などがある[1]。

平雅行によると、顕密八宗の統合が自律的なものではなく国家の媒介によって達成されたこと、密教よりも「呪術」の概念が適当であること、密教が浸透しなかった興福寺の位置づけが困難になることから、多くの研究者が黒田の密教統合論には否定的である。顕密体制論にとって「平安中後期に古代仏教の中世化を措定する考え方」以外の議論は不可欠な要素ではなく、多様な顕密体制論があるべきである[5]。

神道論[編集]

黒田は顕密体制論の応用編として独自の神道論を展開した[6]。固有信仰論を批判し、神道は中世後期に成立したとした。また神道は顕密仏教を中心とする宗教世界の「構造的な一部分、本来的には下部の周縁的な部分」に過ぎず、明治維新期の神仏分離まで独自の宗教としての独立性を有していなかったとした( 「鎮魂の系譜――国家と宗教をめぐる点描」『歴史学研究』第500号、1982年1月[注 2])[6][7]。黒田の神道論には「「神道」の語義」(『日本思想大系月報』57、大隅和雄校注『日本思想大系 19 中世神道論』岩波書店、1977年[注 3])、「中世宗教史における神道の位置」(家永三郎教授東京教育大学退官記念論集刊行委員会編『家永三郎教授東京教育大学退官記念論集』三省堂、1979年[注 4])、「「神道」史研究の背景―今日の思想状況との関連のなかで―」(『歴史科学』第80号、1979年[注 5])、「日本宗教史上の「神道」」( ”Shinto in the history of Japanese religion” Journal of Japanese Studies 7/1:1-21,1981年[注 6])などがある。黒田の顕密体制論を継承した神道の研究者には井上寛司(『日本の神社と「神道」』校倉書房、2006年)[8]、伊藤聡(『神道の形成と中世神話』吉川弘文館、2016年)[9]などがいる。黒田の見解はとりわけ国外の神道研究者に大きな影響を与えている[10]。

脚注[編集]

注[編集]

  1. ↑ 『黒田俊雄著作集 第2巻 顕密体制論』(法藏館、1994年)所収。
  2. ↑ 『日本中世の社会と宗教』(岩波書店、1990年)、『黒田俊雄著作集 第3巻 顕密仏教と寺社勢力』(法藏館、1995年)所収。
  3. ↑ 『歴史学の再生――中世史を組み直す』(校倉書房、1983年)所収。
  4. ↑ 『日本中世の社会と宗教』(岩波書店、1990年)、『黒田俊雄著作集 第4巻 神国思想と専修念仏』(法藏館、1995年)所収。
  5. ↑ 『歴史学の再生――中世史を組み直す』(校倉書房、1983年)、『黒田俊雄著作集 第4巻 神国思想と専修念仏』(法藏館、1995年)所収。
  6. ↑ 『王法と仏法――中世史の構図』(法藏館、1983年)、『黒田俊雄著作集 第4巻 神国思想と専修念仏』(法藏館、1995年)所収。

出典[編集]

  1. ↑ a b c d e f 佐藤弘夫「中世仏教研究と顕密体制論(PDF)」『日本思想史学』第33号、2001年
  2. ↑ 黒田日出男「選評 全体史をめざした画期的大著」(『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会刊) | 第33回(2011年) | 顕彰事業 | 公益財団法人角川文化振興財団)
  3. ↑ 佐藤眞人「書評 佐藤弘夫著『神・仏・王権の中世』(PDF)」『日本思想史学』第31号、1999年
  4. ↑ 顕密体制論 新纂浄土宗大辞典
  5. ↑ 大久保良峻、佐藤弘夫、末木文美士、林淳、松尾剛次編著『日本仏教34の鍵』春秋社、2003年、106-107頁
  6. ↑ a b 林淳「高取正男の神仏隔離論(PDF)」『人文学報』第113号、2019年
  7. ↑ 阪本是丸「研究史 「国家神道」研究の四〇年(PDF)」『日本思想史学』第42号、2010年
  8. ↑ 白山芳太郎「書評 井上寛司著『日本の神社と「神道」』(PDF)」『日本思想史学』第39号、2007年
  9. ↑ 藤田大誠「書評と紹介 伊藤聡・斎藤英喜編『神道の近代 : アクチュアリティを問う』(PDF)」『宗教研究』97巻3輯、2023年
  10. ↑ 井上順孝『神道入門――日本人にとって神とは何か』平凡社新書、2006年、56頁

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • 原田正俊『日本中世の禅宗と社会』(吉川弘文館、1998年)
  • John Breen, Mark Teeuwen (editors) , Shinto in History: Ways of the Kami, London: Routledge, 2000.
  • 大塚紀弘『中世禅律仏教論』(山川出版社[山川歴史モノグラフ]、2009年)
  • 袴谷憲昭「顕密体制論と正統異端の問題」(『駒澤短期大學佛教論集』第2巻、2014年)
  • 白川琢磨『顕密のハビトゥス――神仏習合の宗教人類学的研究』(木星舎、2018年)

外部リンク[編集]