末法思想
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末法思想(まっぽうしそう)は仏教の釈迦の死後から一定の時期になると仏の教えが重視されない末法の時代が来て社会が大混乱に陥るという歴史思想である。
概要[編集]
仏教では、釈迦の死後の時代を3区分し、正法、像法、末法の三つに分けている。中国の南北朝時代に仏教弾圧があったことから、仏教が衰退し、社会が乱れる末法の時代が来ると予言された。6世紀の慧思は554年から末法に入ったと提唱した。日本では平安時代中期から末法思想が広まり、1052年が末法の開始時期とされた。背景事象として、平安時代中期の疫病の流行、天災、貴族社会の腐敗、武士の台頭があったとされる。これらは社会不安を引き起こし、現世の苦しみを逃れて、来世の救いを求める傾向が生まれた。
末法思想の展開[編集]
僧源信の著した『往生要集』は地獄の怖さと極楽浄土の楽しさや快適さを説き、念仏「南無阿弥陀仏」を実践することによって、死後は極楽浄土に往生できると理論化した。井上光貞によれば、日本では「身分・階級の如何をとわず自覚された社会観」と指摘する[1]。 浄土教は中国で創始され、末法になっても念仏を唱えることにより極楽浄土に往生できると教示した。関白藤原頼通が宇治の平等院に阿弥陀堂を1052年に建立したのは、末法思想の表れである。鎌倉時代にかけて法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)などによる新宗派が登場した。栄西、道元なども末法思想を意識している。末法思想の解決策として鎌倉新仏教が生まれ、現在まで続く主要な仏教宗派が登場することになった。
参考文献[編集]
- ↑ 井上光貞(1956)『日本浄土教成立史の研究』山川出版社