権門体制論

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権門体制論(けんもんたいせいろん)は、日本中世の国家機構が公家(天皇家・摂関家など)、寺社(南都北嶺などの大寺社)、武家(幕府)など複数の権門勢家の相互補完と競合対立の上に成り立っていたとする学説で、黒田俊雄が『岩波講座日本歴史6 中世2』(岩波書店、1963年)所収の論文「中世の国家と天皇」[注 1]で提唱した。それ以前の代表的な中世国家論である石母田正の領主制論、佐藤進一の東国国家論に対し、「幕府機構をもって中世の国家機構とみなし、朝廷の意義を積極的には評価しない古典的通念」を批判した[1]。権門勢家は国家権力を職能的に分担したが、いずれも門閥的勢力であり、荘園公領制を経済的基礎とし、政所など家政機関と家司を持ち、下文や奉書などの文書を発給し、私的武力を備えていた。朝廷は諸権門の競合対立を調整する場であり、天皇は天皇家という権門の一員であるとともに、諸権門の頂点に立つ国王の地位にあった。権門体制は国政の主導権を掌握した権門の交替によって、院政期、鎌倉期、室町期の3段階に分けられ、平安中期の摂関政治期は律令体制から権門体制への過渡期、戦国期は権門体制から幕藩体制への過渡期と位置づけられる[2]。

権門体制論は黒田が提唱した顕密体制論とともに中世史のみならず宗教史・思想史・日本文学研究などにも大きな影響を与えた[3]。東国国家論と権門体制論は双方に支持者が多く、評価が割れており、関東系研究者が前者、関西系研究者が後者の学説を推しているという見方もある[4]。今谷明は権門体制論が平泉澄の『中世に於ける社寺と社会との関係』(至文堂、1926年)からの剽窃であると主張しているが、定説にはなっていない。兵藤裕己[5][6]、佐藤雄基[7]は黒田が慈円の『愚管抄』から権門体制論の着想を得たのではないかと推測している。

批判[編集]

領主制論に立脚する永原慶二は鎌倉時代の公家と武家がブロック権力を形成していることを承認しながら、両者が階級的に異質であることを強調した[1]。東国国家論を提起した佐藤進一は権門体制論を「京都の朝廷側の論理でありむしろ願望である」と批判した[8]。東国国家論に立脚する石井進は権門体制論に対し近代的「国家権力」観を前時代に持ち込んでいると批判した[9]。本郷和人は石井の『中世武士団』(小学館、1974年)を「在地の武士たちが中央の権力から自立していた姿が浮かび上がる。その意味で、意図したものでないかもしれないが、結果として先の「権門体制論」に対する痛烈な批判にもなっているのだ」と評している[10]。

今谷明は黒田の死後、「平泉澄の皇国史観とアジール論」(1995年)[注 2]で権門体制論は平泉澄の『中世に於ける社寺と社会との関係』(至文堂、1926年)からの「悪質な剽窃」であると主張した[11]。「平泉澄」(1997年)[注 3]では権門体制論は『中世に於ける社寺と社会との関係』における公家・武家・寺社の三大勢力の鼎立論をほぼそのまま引き継いでいるが、黒田は自説の源流が平泉にあることを決して認めなかったと主張した[11]。「平泉澄と権門体制論」(2001年)[注 4]では黒田が皇国史観を憎悪して平泉の引用を忌避したと主張した[11]。黒田の教えを受けた若井敏明は「一学生ですら、平泉と黒田氏の諸説には類似性が感じられるものだったわけである。にもかかわらず、今谷氏が指摘されるまでは誰もそのことを公然と言わなかった」(『平泉澄――み国のために我つくさなむ』ミネルヴァ書房、2006年)と述べている[12]。一方、久野修義は『日本中世の寺院と社会』(塙書房、1999年)で三大勢力の鼎立論は戦前において独創的な見解ではないこと、今谷が双方の学説を誤読していることを指摘して今谷を批判している[11]。細川涼一は「黒田俊雄『日本中世の国家と宗教』」(2010年)で黒田の権門体制論・顕密体制論と平泉の社寺勢力論は別個であるとし、黒田が「中世寺院史と社会生活史」(1988年[注 5])で平泉の『中世に於ける社寺と社会との関係』を引用して「社会との関係に着目したすぐれた業績」と言及していることなども指摘して今谷の黒田批判は成り立たないとしている[11]。

脚注[編集]

注[編集]

  1. ↑ 黒田『日本中世の国家と宗教』(岩波書店、1975年)、『黒田俊雄著作集 第1巻 権門体制論』(法藏館、1994年)所収。
  2. ↑ 『創造の世界』第95号、小学館、1995年。今谷明『天皇と戦争と歴史家』(洋泉社、1998年)所収。
  3. ↑ 今谷明、大濱徹也、尾形勇、樺山紘一編『20世紀の歴史家たち(1)日本編 上』(刀水書房、1997年)所収。
  4. ↑ 上横手雅敬編『中世の寺社と信仰』(吉川弘文館、2001年)所収。
  5. ↑ 中世寺院史研究会編『中世寺院史の研究 上』(法藏館、1988年)。『黒田俊雄著作集 第3巻 顕密仏教と寺社勢力』(法藏館、1995年)所収。

出典[編集]

  1. ↑ a b 近藤成一「中世天皇の国制上の位置をめぐって」、峰岸純夫編『争点日本の歴史 第4巻 中世編』新人物往来社、1991年
  2. ↑ 改訂新版 世界大百科事典 「権門体制」の意味・わかりやすい解説 コトバンク
  3. ↑ 黒田日出男「選評 全体史をめざした画期的大著」(『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会刊) | 第33回(2011年) | 顕彰事業 | 公益財団法人角川文化振興財団)
  4. ↑ 谷口雄太『分裂と統合で読む 日本中世史』山川出版社、2021年、109頁
  5. ↑ 川合康、阿部泰郎、兵藤裕己「座談会 歴史の語り方をめぐって」『文学』第3巻第4号、2002年
  6. ↑ 兵藤裕己『物語の近代――王朝から帝国へ』岩波書店、2020年
  7. ↑ 佐藤雄基「鎌倉時代における天皇像と将軍・得宗(PDF)」『史学雑誌』129編10号、2020年
  8. ↑ 佐藤進一「武家政権について」『弘前大学國史研究』第64・65号、1976年3月。佐藤『日本中世史論集』(岩波書店、1990年)所収。
  9. ↑ 石井進『日本中世国家史の研究』岩波書店、1973年
  10. ↑ 歴史研究家・本郷和人氏が選ぶ「元寇」等中世史の名著6冊 NEWSポストセブン、2019年2月6日
  11. ↑ a b c d e 細川涼一「黒田俊雄『日本中世の国家と宗教』」『日本史研究』第574号、2010年6月。細川『日本中世の社会と寺社』思文閣出版、2013年所収。
  12. ↑ 白山芳太郎「書評 井上寛司著『日本の神社と「神道」』(PDF)」『日本思想史学』第39号、2007年

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • 田中文英『平氏政権の研究』(思文閣出版、1994年)
  • 川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ――治承・寿永内乱史研究』(講談社[講談社選書メチエ]、1996年/講談社[講談社学術文庫]、2010年)
  • 元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2004年)
    • 『保元・平治の乱――平清盛勝利への道』(角川学芸出版[角川ソフィア文庫]、発売:角川グループパブリッシング、2012年)
  • 前田雅之『記憶の帝国――〈終わった時代〉の古典論』(右文書院、2004年)
  • 新田一郎『中世に国家はあったか』(山川出版社[日本史リブレット]、2004年)
  • 岡野友彦『院政とは何だったか――「権門体制論」を見直す』(PHP研究所[PHP新書]、2013年)
  • 保立道久編『ブックガイドシリーズ基本の30冊 日本史学』(人文書院、2015年)
  • 谷口雄太、山田徹、木下竜馬、川口成人『鎌倉幕府と室町幕府――最新研究でわかった実像』(光文社[光文社新書]、2022年)
  • 細川重男『鎌倉幕府抗争史――御家人間抗争の二十七年』(光文社[光文社新書]、2022年)
  • 東島誠『「幕府」とは何か――武家政権の正当性』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2023年)

外部リンク[編集]