ルパン三世 カリオストロの城
『ルパン三世 カリオストロの城』(ルパンさんせい カリオストロのしろ)は、1979年のアニメーション映画。通称『カリ城』。
概要[編集]
1979年12月15日公開。上映時間100分。『ルパン三世』の劇場版第2作目。宮崎駿の劇場映画初監督作品。製作は東京ムービー新社(現・トムス・エンタテインメント)。配給は東宝。アニメーション制作はテレコム・アニメーションフィルム。作画監督は『旧ルパン』(1971-1972年)や『未来少年コナン』(1978年)の作画監督である大塚康生。この頃は宮崎より大塚の方が知名度が高く、『コナン』や『カリオストロ』は大塚の作品として認識されることも少なくなかった[1]。
作風は「明朗な漫画映画タッチ」で、宮崎が高畑勲と「Aプロダクション演出グループ」名義で演出を担当した『旧ルパン』後半の路線に近い[2]。『旧ルパン』前半や劇場版第1作目『マモー編』(1978年)は「アダルトでハード」[3]、当時放映中だった『新ルパン』(1977-1980年)はファミリー向けでコメディ色の強い路線をとっている[4]。『新ルパン』や『マモー編』はルパンに赤色のジャケットを着せているが、本作は『旧ルパン』と同じ青色のジャケットを着せ、以降の作品の方向性を判断する目印となる「青ジャケ」「赤ジャケ」という概念が生まれた[3]。『旧ルパン』前半や『マモー編』のルパンはベンツSSKに乗っているが、本作のルパンは『旧ルパン』後半と同じフィアット500に乗っている[2]。キャラクターデザインは『新ルパン』や『マモー編』と比較すると大塚が作画監督・キャラクターデザインを担当した『旧ルパン』に近い[2]。
第34回毎日映画コンクール・大藤信郎賞受賞。公開当時の興行成績は芳しくなかったが、徐々に評価され、名作として知られるようになった[2]。同年に高畑勲監督の『赤毛のアン』、富野喜幸総監督の『機動戦士ガンダム』、りんたろう監督の『銀河鉄道999』、出﨑統監督の『エースをねらえ!』などが公開され、1979年は本作を含めアニメ史に残る重要な作品が複数生まれた年として知られる[5][6][7]。
スタッフ[編集]
- 製作:藤岡豊
- プロデューサー:片山哲生
- 原作:モンキー・パンチ(週刊漫画アクション連載・双葉社刊)
- 脚本:宮崎駿、山崎晴哉
- 音楽:大野雄二
- 主題歌「炎のたからもの」(コロムビア・レコード)
- 作詞:橋本淳
- 作曲:大野雄二
- 唄:ボビー
- 選曲:鈴木清司
- 作画監督:大塚康生
- 美術:小林七郎
- 撮影:高橋宏固
- 録音:加藤敏
- 編集:鶴渕允壽
- 原画:篠原征子、友永和秀、河内日出夫、富沢信雄、丹内司、山内昇壽郎、丸山晃二、真鍋譲二、田中敦子、新川信正
- 動画:青木康直、大里美和子、尾崎真佐美、小野昌則、川中京子、柏田涼子、熊本由美子、小林弥生、小島順子、佐野英代、桜井陽子、下崎ジュン子、島津佳子、柴田春美、志田欣弘、鈴木幸雄、田辺厚子、高木美和子、堤純子、塚田洋子、道籏義宣、難波日登志、原田俊介、林雅子、浜田幸子、浜畑雅代、橋本三郎、平間久美子、比留間敏之、藤村和子、本多薫、望月理江子、吉村洋子、亜細亜堂、OHプロ
- 背景:小林プロダクション 青木勝志、石垣努、大野広司、水谷利春、工藤美由紀、松岡聡、小倉宏昌、海保甚三郎、林裕美子、藤江優子 テレコム 山本二三
- 撮影:高橋プロダクション 宮内征雄、高橋宣久、細野正、斉藤佳三、大田勝美、平山昭夫、中村喜則、鈴木卓夫
- 仕上:スタジオ古留美 岡嶋國敏 シャフト 加藤紀子 イージーワールド 林直哉 スタジオ、タージ 塩谷典子 スタジオ、キリー 岩切紀親
- 助監督:吉田茂承
- 整音:飯塚秀保
- 効果:東洋音響(倉橋静男)
- ネガ編集:高橋和子
- タイトル:藤井敬康
- 動画検査:原恵子、島田明子
- 色彩設計:近藤浩子
- 仕上検査:山本雅世、砂川千里
- 録音:東北新社
- 現像:東京現像所
- 製作担当:齋藤壽男
- 製作進行:吉田力雄、柳内一彦、岩田幹宏
- 製作協力:テレコム・アニメーションフィルム
- 監督:宮崎駿
メインキャスト[編集]
製作[編集]
『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)の興行的成功によって生まれた劇場用長編ミニ・ブームの流れで成立した企画[8]。1978年12月公開の『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(通称『マモー編』)の好評を受け、『ルパン三世』の劇場版第2作目の製作が決定した[9]。東京ムービー新社の藤岡豊社長は日米合作映画『リトル・ニモ』のために設立したテレコム・アニメーションフィルムに練習代わりとして制作させることにし、テレビシリーズ『新ルパン』のシナリオを監修している鈴木清順のチームにシナリオを、『旧ルパン』の作画監督だった大塚康生に演出を依頼した[9][10]。1979年3月にシナリオが完成した[10]。『リトル・ニモの野望』(2004年)によると、大塚は自分に演出はできないと宮崎駿に相談したが、つれない返事だった。しかし、それから数日たった3月のある日に宮崎から電話があり、『未来少年コナン』で借りができたから演出をやると言われ[9]、宮崎が監督をすることになった。『作画汗まみれ 改訂最新版』(2013年)によると、大塚が悩んでいたときに宮崎から「大塚さん、『ルパン』をやるんだって、演出やるの?」「ぼくがやろうか……」という電話があった。宮崎は高畑勲監督の『赤毛のアン』のレイアウトを担当していたが、約1週間後に高畑と話がついたらしく、宮崎から「大塚さん、ぼくがやるよ!」との連絡が入り[11]、宮崎が監督をすることになった。大塚は作画監督をすることになった。
宮崎駿によると、『赤毛のアン』を降板し、日本アニメーションを退社した後に大塚康生から『ルパン』の話を聞いたのであり、『カリオストロの城』をやるために『赤毛のアン』を途中降板したというのは誤りである。
ある日、大塚(康生)さんが訪ねてきて、「今度『ルパン』をやらなきゃいけないんだけど、これなんだよ」と、シナリオを置いていったんです。「これがひどくて」と大塚さんが言ったんですが、それ以上はずるいから言わないんです。で、僕も読んでみて「確かにひどいね」と言ったら、大塚さん「僕がやらなきゃいけないんだよ」言うんです。
ちょうど僕はテレビシリーズ「赤毛のアン」を降りて、日本アニメーションを辞めた時だったので、時間が空いていたんです。それでお城を描いて、最初の俯瞰図も描いてみたんです。細かいことは何も決まっていなかったけれど、これさえ描ければできると思っていました。そういうことで大塚さんに「僕がやろうか?」と、言ったんです。そうしたら「うん、そうする?」と言って、それでおしまいです。それがいつのまにか、「宮さんは『カリオストロ』をやりたいために、『赤毛のアン』を辞めてきた」となってしまっていたけれど、それは絶対大塚さんがでっち上げたとしか思えない(笑) — 宮崎駿【インタビュー】「途切れることのない通俗文化の大きな流れ」『熱風』2015年7月号
宮崎は鈴木清順のシナリオは使用せず、1979年4月から10月までの4ヶ月間にストーリーラインからコンテ、作画チェックまでをこなした[12]。原画には『未来少年コナン』から篠原征子、丹内司、富沢信雄、友永和秀らが加わった。篠原は「宮崎が執着する清楚な美少女を苦手とする」大塚に代わり、実質的な“クラリス作監”を担当した[13]。シンエイ動画からテレコムに移籍した田中敦子はルパンと次元がスパゲッティを奪い合うシーン、ルパンが大屋根を駆け下りて別の屋根に飛び移るシーンなどを担当した[14]。作画枚数は3万5000枚[15][16]。作画期間は1979年7月から10月中旬までの4.7ヶ月で[17]、大塚は「質の高さ/制作期間比では日本の長編アニメーション史上最短の制作期間記録」ではないかとしている[12]。
反響・評価[編集]
テレコム[編集]
テレコム・アニメーションフィルムは続いて劇場長編2作目として高畑勲監督の『じゃりン子チエ』(1981年)を制作した。『カリオストロの城』と『じゃりン子チエ』はテレコムの初期の代表作、日本のアニメーション史上重要な作品の一つであると評価される[18]。ディズニーは『カリオストロの城』のプリントをすぐに取り寄せて全スタッフが見て研究の対象にした[19]。藤岡豊(東京ムービー新社、テレコム社長)は日米合作映画『リトル・ニモ』の制作時、名刺代わりとして『カリオストロの城』と『じゃりン子チエ』の特注の英語字幕入りのフィルムを用意し、ハリウッドの映写室を借りてしばしばミニ上映会を開いた。ディズニーその他のプロダクションから多くの人が招待されて参加し、2本の作品は藤岡の信用度を上げることに貢献した[20]。ジョン・ラセター、ブラッド・バード、ジェリー・ルイスらは『カリオストロの城』を観て興奮した様子だったという[21]。ただし藤岡は『カリオストロの城』が前作『マモー編』に比べて興行成績が悪かったことで正当な評価ができず[22]、宮崎は1980年から1983年の間はペンネームで『ルパン三世 PART2』の第145話「死の翼アルバトロス」と第155話「さらば愛しきルパンよ」の2本を監督しただけで不遇な地位に置かれた[1]。
手塚治虫[編集]
手塚治虫は小野耕世との対談で「「カリオストロの城」は僕はあまりおもしろいとは思わなかったなあ。手塚先生はおもしろいと思われました?」と聞かれ、「僕はおもしろいと思った。うちの連中もみなおもしろがって見ていた」と答えている[23]。大塚康生によると、テレコムが『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980年)を手伝った際、手塚がテレコムを訪れて「私はまだ『カリオストロ』は見てません」と言ったが、「手塚プロの人によると実際には試写室でくり返しご覧になっていたそうです」とのことである[24]。
論評[編集]
大塚康生は「私も参加しているので客観的に見ているとはいえませんが、「カリオストロの城」、「じゃりン子チエ」、近藤・友永版「ニモ」パイロット、「リトル・ニモ」本編はテレコムが達成した技術的頂点に立つ作品です」「日本の長編アニメーションの歴史のひとつの通過点として技術的に見過ごすことの出来ないこの4本」「これらを技術的に超えるのは至難の技」と評している[25]。
森卓也は「一つの映画を、くりかえし見ることは、めったにない。ましてや『ルパン三世・カリオストロの城』のように、もう上映も終ろうという一週間の間に、三回見たなどというのは、ざっと三十年ぶりのことになる」と絶賛している[26]。五味洋子によると、「森さんはこれによって宮崎アニメに目を開き遡る形で作品を辿っていったそうです」とのことである[27]。
ロリコン[編集]
ヒロインのクラリスは美少女キャラクターとして人気を集めた。本作の中には「妬かない、妬かない、ロリコン伯爵!」というルパンのセリフがあり、「ロリコン」という言葉の普及に一役買った。1981年3月にアニメ専門誌『アニメック』が「“ろ”は、ロリータの“ろ”」という特集を組み、5分の1をクラリスに関する記事が占めた[28]。この特集を契機にマイナーだったロリコン同人誌が増加し、アニメブームやコミケと重なったことが80年代前半のロリコンブームにつながったとされる[29]。アニメ専門誌『アニメージュ』1982年4月号の付録は「ロリコントランプ」と称する女性キャラクターを絵札にしたトランプで、エースが4枚ともクラリスになっていた。
出典[編集]
- ↑ a b 小黒祐一郎「アニメ様の七転八倒 第68回 宮崎駿と判官びいきのやり過ぎ」WEBアニメスタイル、2006年8月15日
- ↑ a b c d 小黒祐一郎「編集長のコラム 第14回「『ルパン三世』の話(4) 『旧ルパン』のその後の物語」」WEBアニメスタイル、2000年
- ↑ a b 小黒祐一郎「アニメ様365日 第26回 『ルパン三世 カリオストロの城』」WEBアニメスタイル、2008年12月10日
- ↑ 小黒祐一郎「アニメ様365日 第12回 『ルパン三世[新]』」WEBアニメスタイル、2008年11月19日
- ↑ 小黒祐一郎「アニメ様365日 第23回 1979年」WEBアニメスタイル、2008年12月5日
- ↑ 細田守監督、最も影響された作品は「赤毛のアン」 1979年は「アニメの世界で革命的な年」 サンスポ、2018年7月16日
- ↑ 藤津亮太「1979年、映画『銀河鉄道999』『エースをねらえ!』『ルパン三世 カリオストロの城』が「アニメの古典」となり得た理由」QJWeb クイック・ジャパン ウェブ、2022年2月3日
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、251頁
- ↑ a b c 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、81-82頁
- ↑ a b 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、240頁
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、241-242頁
- ↑ a b 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、245頁
- ↑ 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、22頁
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、243-244頁
- ↑ 「タブチくんとじゃりン子チエ」『アニメージュ』1980年12月号
- ↑ 氷川竜介「『じゃりン子チエ(劇場版)』に見る高畑勲の映画構築術(PDF)」『アニメーション研究』21巻1号、2020年9月
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、84頁
- ↑ 三好寛「「日本のアニメーション・スタジオ史」関連レポート 1970年代末から80年代初頭の状況」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2014-2015(PDF)』公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2015年7月
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、292頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、93-94頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、106-107頁
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、292頁
- ↑ 「小野耕世の連続対談 手塚治虫《不死鳥を追い求めて…》」『SFアニメ大全集』奇想天外社[奇想天外別冊]、1980年5月
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫、2013年、141頁
- ↑ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2004年、182頁
- ↑ 森卓也『シネマ博物誌――エノケンからキートンまで』平凡社、1987年、98頁
- ↑ 五味洋子「アニメーション思い出がたり その105 1979年の思い出」WEBアニメスタイル、2011年4月15日
- ↑ 大山くまお「ロリコンブームの火付け役?『ルパン カリ城』クラリス人気の熱狂ぶり…宮崎駿監督「僕には無関係のこと」」マグミクス、2023年5月5日
- ↑ 大山くまお「ロリコンブームの火付け役?『ルパン カリ城』クラリス人気の熱狂ぶり…宮崎駿監督「僕には無関係のこと」(2/2 ページ)」マグミクス、2023年5月5日
関連文献[編集]
- 『映画 ルパン三世 カリオストロの城』(東宝株式会社事業部、1979年)
- 『100てんランド・アニメコレクション③ ルパン三世 カリオストロの城』(双葉社、1981年)
- 復刻版『ルパン三世 カリオストロの城 アニメコレクション』(双葉社[双葉社スーパームック]、1999年)
- アニメック編集部編『ルパン三世 カリオストロの城 大事典』(ラポート[ラポート デラックス]、1982年)
- アニメージュ編集部編『あれから4年…クラリス回想』(徳間書店[アニメージュ文庫]、1983年)
- 『BSアニメ夜話vol.1 ルパン三世 カリオストロの城』(キネマ旬報社[キネ旬ムック]、2006年)
小説版[編集]
フィルムコミック[編集]
- モンキー・パンチ原作、宮崎駿、山崎晴哉脚本『映画 ルパン三世 カリオストロの城(全2巻)』(双葉社[アクションコミックスアニメ版]、1980年)
- モンキー・パンチ原作、宮崎駿監督『映画 ルパン三世 カリオストロの城(全4巻)』(改訂版、双葉社[アクションコミックスアニメ版]、1981年)
- モンキー・パンチ原作、宮崎駿監督『ルパン三世 カリオストロの城(全6巻)』(双葉社[双葉社アニメ文庫]、1984年)
- モンキー・パンチ原作、宮崎駿監督・脚本『ルパン三世 カリオストロの城――アニメ版・オールカラー(全4巻)』(双葉社[双葉文庫名作シリーズ]、1996年)
- モンキー・パンチ原作『アニメ版 ルパン三世 カリオストロの城(全3巻)』(中央公論社、1992年)
- モンキー・パンチ原作、宮崎駿監督『ルパン三世 カリオストロの城』(徳間書店[徳間アニメ絵本]、2000年)
- モンキー・パンチ原作、宮崎駿監督、宮崎駿、山崎晴哉脚本、トムス・エンタテインメント製作・著作『シネマ・コミックEX ルパン三世 カリオストロの城』(文藝春秋[文春ジブリ文庫]、2019年)
絵コンテ[編集]
- 『ルパン三世 カリオストロの城 宮崎駿 絵コンテ集』(双葉社、1984年)
- モンキー・パンチ原作、トムス・エンタテインメント製作・著作、宮崎駿監督『スタジオジブリ絵コンテ全集第Ⅱ期 劇場用アニメーション映画 ルパン三世 カリオストロの城』(徳間書店スタジオジブリ事業本部、2003年)
外部リンク[編集]
- ルパン三世 カリオストロの城 | ルパン三世 | TMS作品一覧 - トムス・エンタテインメント
- [本編プレビュー] ルパン三世 カリオストロの城 |"LUPIN THE 3RD: THE CASTLE OF CAGLIOSTRO"(1979) - TMSアニメ公式チャンネル