漫画サンデー

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漫画サンデー』(まんがサンデー)は、実業之日本社が発行していた青年向け漫画雑誌[1]

週刊漫画サンデー』として、1959年8月11日に週刊の青年向け漫画雑誌として創刊された[1]2012年6月から第1・第3火曜日発売の月2回刊行雑誌になり、タイトルも『漫画サンデー』に変更された。2013年2月に休刊となった[1]

連載されていた漫画作品を自社単行本にした際には「マンサンコミックス」のレーベルを用いている。

歴史[編集]

創刊編集長の峯島正行は、『週刊漫画サンデー』以前には『週刊小説』(実業之日本社)で創刊編集長を務めている[1]。実業之日本社は経済誌『実業之日本』から始まった出版社でるため、マンガ出版部は社内においては亜流の立ち位置でもあった[1]

創刊当時の『週刊漫画サンデー』は、「漫画集団」に属する小島功加藤芳郎杉浦幸雄鈴木義司らが主として執筆していた[1]ナンセンスマンガ、コント、コラムなどを中心とする「総合娯楽雑誌」的な色合いも強かった[1]

続いて、手塚治虫赤塚不二夫藤子不二雄たちが起用されるようになり、1967年から1968年に連載された手塚治虫の『人間ども集まれ!』は、大人向け漫画としては初の長編ストーリー漫画であり、高い評判となった[1]

1970年前後の日本の出版界は「劇画」を看板とした青年コミック誌が続々と創刊される時代だった[1]。その中で『週刊漫画サンデー』は出遅れたとも言え、新興の青年コミック誌に追いつくたね、読者の若返りを図って試行錯誤を行った[1]。連載陣の一新を図るべく、つげ義春を起用。自伝的漫画作品『義男の青春』(1974年)、『庶民御宿』(1975年)、『退屈な部屋』(1975年)を発表すると共に、村野守美辰巳ヨシヒロといった寡作でありながらも、熱心な漫画ファンを持つ描き手たちの作品を掲載した[1]。このため、本誌を「大衆的な『ガロ』」と呼ぶ読者もいた[1]

この当時は、他誌で描いている漫画家に『週刊漫画サンデー』で描いてもらうように依頼することのほうが多く、司敬渡辺みちおなどが該当する[1]。司は『ガクラン維新伝 竜馬翔ける』(1985年-1987年)、『まるごし刑事』(1986年-2001年、原作:北芝健)などで雑誌を牽引する漫画家となった[1]。一方で『まんだら屋の良太』(1979年-1989年)を描いた畑中純は、『週刊漫画サンデー』に漫画原稿を持ち込んだことが起用の発端となっている[1]。『まんだら屋の良太』は爆発的な人気にならなかったが、糸井重里など文化人や同業編集者のあいだでの評判が非常に高く、1986年2月にはNHKでドラマ化もされた[1]

このように1980年前後になって「『週刊漫画サンデー』らしさ」が完成したと言える[1]

畑中の紹介によって、1983年11月15日号では杉浦日向子の代表作となる『百日紅』の連載が始まる[1]。1984年5月8日号では近藤ようこが「団地に暮らす人々の人間模様」を描く連作短編『見晴らしガ丘にて』の掲載をスタートするなど、これまでの『週刊漫画サンデー』連載陣とは異なる描き手が登場することで、誌面の幅も広がった[1]。なお、『見晴らしガ丘にて』は1986年度の日本漫画家協会賞優秀賞を受賞している[1]

休刊当時連載されていた作品[編集]

五十音順。※は週刊誌時代からの連載

過去の掲載作品[編集]

あ行[編集]

か行[編集]

さ行[編集]

た行[編集]

な行[編集]

は行[編集]

ま行[編集]

や行[編集]

ら行[編集]

わ行[編集]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 中野晴行 (2020年2月12日). “マンガ雑誌の黄金時代――1985~95年の編集部を語る 第7回 実業之日本社「週刊漫画サンデー」元編集長・上田康晴 前編”. メディア芸術カレントコンテンツ. 2026年3月13日確認。