東映アニメーション

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東映アニメーション株式会社(とうえいアニメーション、英語:TOEI ANIMATION CO., LTD.)は、東京都中野区に本社を置くアニメ制作会社東映の連結子会社。日本動画協会正会員。略称は東映アニメ東アニ。旧社名は東映動画株式会社。東証スタンダード上場。

1948年1月に山本早苗政岡憲三らが日本動画株式会社を設立。1952年8月に東宝図解映画株式会社を吸収合併し、日動映画株式会社へ商号変更。1956年7月に東映株式会社が日動映画株式会社を買収、東映動画株式会社へ商号変更。1957年1月にスタジオを東京都新宿区原町から練馬区東大泉へ移転。1958年10月に日本初のカラー長編漫画映画『白蛇伝』を公開。以降、長編アニメーション映画を中心に制作。1963年から東映動画初のテレビアニメシリーズ『狼少年ケン』を公開。70年代以降は漫画原作のテレビアニメ制作と版権事業を中心とする。この間、1961年9月に東映動画労働組合が結成された。1965年から1991年まで正規社員を採用せず[1]契約社員や外部スタジオへの委託によってコスト削減を図った[2]。60年代末から70年代初頭に労使対立が激化し、1972年にロックアウトと指名解雇に至った[2]。この前後に高畑勲宮崎駿小田部羊一森康二ら著名なアニメーターや演出家が退社した[3]。1998年10月に東映アニメーション株式会社へ商号変更。代表作は『魔法使いサリー』『ゲゲゲの鬼太郎』『マジンガーZ』『銀河鉄道999』『Dr.スランプ アラレちゃん』『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『美少女戦士セーラームーン』『ONE PIECE』『プリキュア』など。戦後日本のアニメ業界のスタジオやスタッフの流れは東映動画系(シンエイ動画亜細亜堂スタジオジブリなど)と虫プロ系(オフィス・アカデミーサンライズなど)に大別され[4][5]、東映動画はフルアニメーション、虫プロはリミテッドアニメーションを流儀にしたと言われることがある[6]

出典[編集]

  1. 沼子哲也「事例報告「東映動画労組の歴史と労働者としての権利」」第112回労働政策フォーラム「アニメーターの職場から考えるフリーランサーの働き方」(2020年12月15日)
  2. a b 木村智哉初期東映動画における映像表現と製作体制の変革PDF」『同時代史研究』第3号、2010年
  3. 木村智哉「残された人びと――「それ以降」の東映動画PDF」『千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書』第305巻、2016年3月
  4. 小黒祐一郎「アニメ様の七転八倒 第67回 虫プロブームとマイナーだった宮崎アニメ」WEBアニメスタイル、2006年8月11日
  5. 自著 「アニメ作家としての手塚治虫」 津堅信之のアニメーション研究資料図書室、2008年5月21日
  6. 3DCG の夜明け 〜日本のフル CG アニメの未来を探る〜 第13回:月岡 貞夫 氏(アニメーション作家) AREA JAPAN、2016年9月16日

関連文献[編集]

  • 東映十年史編纂委員会編『東映十年史――1951年-1961年』(東映、1962年)
  • 東映動画編、杉山卓文・構成『東映動画長編アニメ大全集(上・下)』(徳間書店、1978年)
  • 『魔女っ子大全集 東映動画篇』(バンダイ、1993年)
  • 日本アニメーション学会研究委員会企画・編集『アニメーション研究資料vol.1 東映動画の成立と発達』(日本アニメーション学会、2002年)
  • 叶精二『日本のアニメーションを築いた人々』(若草書房、2004年/新版、復刊ドットコム、2019年)
  • 50周年実行委員会、50周年事務局、50年史編纂チーム編纂『東映アニメーション50年史――1956-2006 走り出す夢の先に』(東映アニメーション、2006年)
  • 栗山富郎『デラシネ――わたくしの昭和史』(ボイジャー、2009年)
  • 森下孝三『東映アニメーション演出家40年奮闘史――アニメ『ドラゴンボールZ』『聖闘士星矢』『トランスフォーマー』を手がけた男』(一迅社、2010年)
  • 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文藝春秋[文春ジブリ文庫]、2013年)
  • 津堅信之『ディズニーを目指した男 大川博――忘れられた創業者』(日本評論社、2016年)
  • 木村智哉『東映動画史論――経営と創造の底流』(日本評論社、2020年)
  • 『太陽の王子ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界』(双葉社[双葉社スーパームック]、2023年)

外部リンク[編集]