東映アニメーション
東映アニメーション株式会社(とうえいアニメーション、英語:TOEI ANIMATION CO., LTD.)は、東京都中野区に本社を置くアニメ制作会社。略称は東映アニメ、東アニ。旧社名は東映動画株式会社。東映の連結子会社。テレビ朝日の持分法適用関連会社。日本動画協会正会員。東証スタンダード上場。
歴史[編集]
1956年8月に東映初代社長の大川博が「東洋のディズニー」を目指して発足させた。母体は日動映画株式会社。1947年2月に山本早苗と政岡憲三が日本漫画映画株式会社[注 1]を退社し[2]、1947年6月に日本動画社を設立[3]。1948年1月23日に日本動画株式会社を設立[4]。1952年8月に東宝の傍系会社(東宝教育映画株式会社[注 2]の子会社[7])で既に解散していた東宝図解映画株式会社[注 3]の人員および機材を引き受け[注 4]、日動映画株式会社へ商号変更[3]。
東映は1954年10月23日に16ミリ映画部を設置し、1955年6月17日に教育映画部に改称[9]。1955年3月25日に漫画映画自主製作研究委員会を設置[10]。東映教育映画部は第1作『うかれバイオリン』(1955年10月完成)の製作を日動映画に委託[7]。同作の好評を受け[7]、東映は1956年1月25日に漫画映画自主製作研究委員会を廃止し、漫画映画製作研究委員会を設置[11]。
1956年8月1日に東映が日動映画を買収、東映動画株式会社へ商号変更[7]。1957年1月にスタジオを東京都新宿区原町から練馬区東大泉へ移転。1957年5月に初作品として短編アニメーション『こねこのらくがき』が完成。1958年10月に日本初のカラー長編アニメーション映画『白蛇伝』を公開。以降は長編アニメーション映画を中心に制作。1963年に東映動画初のテレビアニメシリーズ『狼少年ケン』が日本教育テレビで放送。この頃にテレビアニメ時代の開始と映画界の斜陽により、東映の撮影所から勝間田具治、田宮武、明比正行など大量の助監督が移籍[12]。70年代以降は漫画原作のテレビアニメ制作と版権事業を中心とする。この間、1961年9月に東映動画労働組合が結成された。1965年から1991年まで正規社員を採用せず[13]、契約社員や外部スタジオへの委託によってコスト削減を図った[14]。60年代末から70年代初頭に労使対立が激化し、1972年にロックアウトと指名解雇に至った[14]。この前後に高畑勲、宮崎駿、小田部羊一、森康二ら著名なアニメーターや演出家が退社した[15]。1979年に映画『銀河鉄道999』が大ヒットし[16]、アニメブームを牽引。1981年に第1期、1986年に第2期の研修生を採用し[13]、佐藤順一、貝澤幸男、西尾大介、芝田浩樹、梅澤淳稔、幾原邦彦などのアニメーターや演出家が入社[12]。1998年10月に東映アニメーション株式会社へ商号変更。
戦後日本のアニメ業界のスタジオやスタッフの流れは東映動画系と虫プロ系の2つ[17][18]、もしくはこれにタツノコプロ系を加えた3つの潮流に大別することができる[12]。東映動画系は1950~60年代の長編時代の東映動画出身者やその流れを汲むスタジオを指す[17]。特徴として東映動画はフルアニメーション、虫プロはリミテッドアニメーションを流儀にしたと言われる[19]。ただし虫プロ設立に関わった者の多くは東映動画出身者であり、東映動画労組の活動を嫌って虫プロに移籍した者が多かった[20]。東映動画出身の虫プロのアニメーター・演出家には紺野修司、ひこねのりお、坂本雄作、平田敏夫、杉井ギサブロー、りんたろう、月岡貞夫[19]、中村和子、勝井千賀雄[21]、石井元明、杉山卓[22]などがいる。またテレビ時代以降の東映動画はテレビアニメに合った作画の省力化や外部スタジオへの委託を行っており[17]、いわゆる「リミテッドアニメ」が中心である[19]。シンエイ動画、亜細亜堂、エクラアニマル、ズイヨー映像、日本アニメーション、テレコム・アニメーションフィルム、スタジオジブリなど東映動画系のスタジオに長編時代の東映動画の作画尊重主義や画風が引き継がれている[12]。
代表作[編集]
東映動画の初期の長編アニメーション映画は「東映長編」と呼ばれる[23][24]。その中で『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)、『長靴をはいた猫』(1969年)は「東映動画3大長編」と呼ばれる[25]。これに『どうぶつ宝島』(1971年)を加えて「4大長編」[25]、「4大傑作」[26]と呼ぶこともある。『長靴をはいた猫』の主人公ペロは社のシンボルマークとなっている。
テレビアニメの代表作には『魔法使いサリー』『ゲゲゲの鬼太郎』『マジンガーZ』『一休さん』『銀河鉄道999』『Dr.スランプ アラレちゃん』『北斗の拳』『キン肉マン』『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『美少女戦士セーラームーン』『SLAM DUNK』『おジャ魔女どれみ』『デジモン』『ONE PIECE』『プリキュア』などがある[27][28][29]。『魔法使いサリー』(1966-1968年)は日本初の少女を主人公としたテレビアニメ、魔法少女アニメであり、東映アニメの「魔女っ子シリーズ」の第1作とされる。
関連人物[編集]
演出家[編集]
※生年順
- 藪下泰司(演出家)[21]
- 田宮武(演出家)
- 芹川有吾(演出家)[21]
- 池田宏(演出家)[30]
- 矢吹公郎(演出家)[21]
- 白川大作(演出家)[21]
- 高畑勲(演出家)[30]
- 黒田昌郎(演出家)[30]
- 設楽博(演出家)[30]
- 明比正行(演出家)[30]
- 杉山卓(アニメーター・演出家)
- 勝井千賀雄(アニメーター・演出家)[21]
- 勝間田具治(演出家)[30]
- 平田敏夫(アニメーター・演出家)[30]
- 杉井ギサブロー(アニメーター・演出家)[21]
- りんたろう(アニメーター・演出家)
- 芝山努(アニメーター・演出家)[30]
- 宮崎駿(アニメーター・演出家)[30]
- 葛西治(演出家)[30]
- クニトシロウ(アニメーター・演出家)[30]
- 佐々木勝利(演出家)[30]
- 辻伸一(アニメーター・演出家)[30]
- 小林治(アニメーター・演出家)[30]
- 森下孝三(演出家)[30]
- 早川啓二(演出家)[30]
- 西尾大介(演出家。第1期研修生)[30]
- 佐藤順一(演出家。第1期研修生)[30]
- 貝澤幸男(演出家。第1期研修生)[30]
- 梅澤淳稔(演出家。第1期研修生)[30]
- 芝田浩樹(演出家。第1期研修生)[30]
- 志水淳児(演出家)[30]
- 幾原邦彦(演出家。第2期研修生)[30]
- 今村隆寛(演出家)[30]
- 五十嵐卓哉(演出家)
- 宇田鋼之介(演出家)[30]
- 細田守(アニメーター・演出家)[30]
- 小坂春女(演出家)[30]
- 境宗久(演出家)[30]
- 長峯達也(演出家)[30]
- 地岡公俊(演出家)[30]
- 橘正紀(演出家)[30]
- 松本理恵(演出家)[30]
- 坂本雄作(アニメーター・演出家。生年不明)
アニメーター[編集]
※生年順
- 山本早苗(アニメーター)[21]
- 熊川正雄(アニメーター)[21]
- 大工原章(アニメーター)[21]
- 古沢日出夫(アニメーター・演出家)[21]
- 森康二(アニメーター)[21]
- 大塚康生(アニメーター)[21]
- 吉田茂承(アニメーター)
- 中村和子(アニメーター)[21]
- 島村達雄(アニメーター)[21]
- 紺野修司(アニメーター・演出家)
- 楠部大吉郎(アニメーター)[31]
- 奥山玲子(アニメーター)[32]
- 永沢詢(アニメーター)[21]
- 小田部羊一(アニメーター)[21]
- ひこねのりお(アニメーター)[21]
- 児玉喬夫(アニメーター)[21]
- 大田朱美(アニメーター)
- 角田紘一(アニメーター)
- 月岡貞夫(アニメーター)[21]
- 羽根章悦(アニメーター)
- 篠原征子(アニメーター)
- 椛島義夫(アニメーター)[31]
- 高橋信也(アニメーター)
- 小松原一男(アニメーター)
- 林静一(アニメーター)[21]
- 大橋学(アニメーター)
- 山下高明(アニメーター)[33]
- 石井元明(アニメーター・演出家。生年不明)
- 菊池貞雄(アニメーター。生年不明)
- 喜多真佐武(アニメーター。生年不明)[34]
- 竹内留吉(アニメーター。生年不明)[31]
- 濱洲英喜(アニメーター。生年不明)[33]
- 森下圭介(アニメーター。生年不明)[31]
仕上げ[編集]
美術[編集]
編集[編集]
制作[編集]
脚注[編集]
注[編集]
- ↑ 『東映十年史』によると、1945年12月に新日本動画社が発足。約1年あまりで分裂し、山本早苗、政岡憲三らの日本動画社と、村田安司らの日本漫画映画株式会社となった[1]。『日本アニメーション映画史』によると、1945年10月に山本早苗、政岡憲三らが新日本動画社を設立。1945年11月に村田安司、荒井岩五郎らが加わり、日本漫画映画株式会社に改組[2]。
- ↑ 写真化学研究所(PCL)の製作部から出発し、戦前の東宝文化映画部、東宝航空教育資料製作所、戦後の東宝教育映画部として続いてきたとされる。1948年12月に東宝争議の解決条件の一つとして東宝教育映画部が東宝教育映画として独立。1952年5月に事実上解散。1952年暮れに株式会社日本映画社を合併し、東宝文化映画株式会社へ商号変更[5]。1958年1月25日に関東土地建物、福岡東宝劇場、東海土地とともに千代田土地建物に合併された[6]。
- ↑ 大石線画研究所から出発し、PCLと東宝映画の動画部門として続いてきたとされる[1]。1951年12月に東宝教育映画の漫画線画映画部門を中心に東宝図解映画が発足[8]。
- ↑ 東宝図解映画と合併したともされる[1][7]。
出典[編集]
- ↑ a b c 東映十年史編纂委員会編『東映十年史――1951年-1961年』東映、1962年、239頁
- ↑ a b 山口且訓、渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』有文社、1978年、46-47頁
- ↑ a b 東映十年史編纂委員会編『東映十年史――1951年-1961年』東映、1962年、242頁
- ↑ 沿革 東映アニメーション
- ↑ 関口敏雄「戦後十年の歩み 東宝教育映画の回想」『視聴覚教育』100号、1956年3月
- ↑ 東宝不動産株式会社編『東宝不動産50年史』東宝不動産、1997年
- ↑ a b c d e 山口且訓、渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』有文社、1978年、60頁
- ↑ 「時報」『視聴覚教育』48号、1952年2月
- ↑ 東映十年史編纂委員会編『東映十年史――1951年-1961年』東映、1962年、540、542頁
- ↑ 山口且訓、渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』有文社、1978年、58頁
- ↑ 東映十年史編纂委員会編『東映十年史――1951年-1961年』東映、1962年、544頁
- ↑ a b c d 原口正宏「歴史編② アニメの3大源流とその系譜 ~東映・虫プロ・タツノコ〜(PDF)」文部科学省 平成24年度「成長分野等における中核的専門人材養成の戦略的推進事業」 アニメ・マンガ人材養成産官学連携事業/アニメ・マンガ人材養成産官学連携コンソーシアム/アニメ分野職域学習システム実証プロジェクト/カリキュラム検討委員会産業論部会、2013年3月
- ↑ a b 沼子哲也「事例報告「東映動画労組の歴史と労働者としての権利」」第112回労働政策フォーラム「アニメーターの職場から考えるフリーランサーの働き方」(2020年12月15日)
- ↑ a b 木村智哉「初期東映動画における映像表現と製作体制の変革(PDF)」『同時代史研究』第3号、2010年
- ↑ 木村智哉「残された人びと――「それ以降」の東映動画(PDF)」『千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書』第305巻、2016年3月
- ↑ 貴重な資料でアニメ産業をふり返る展覧会「練馬とアニメーション アニメ製作のいまむかし」が開催中 映像文化のまち ねりま
- ↑ a b c 小黒祐一郎「アニメ様の七転八倒 第67回 虫プロブームとマイナーだった宮崎アニメ」WEBアニメスタイル、2006年8月11日
- ↑ 自著 「アニメ作家としての手塚治虫」 津堅信之のアニメーション研究資料図書室、2008年5月21日
- ↑ a b c 3DCG の夜明け 〜日本のフル CG アニメの未来を探る〜 第13回:月岡 貞夫 氏(アニメーション作家) AREA JAPAN、2016年9月16日
- ↑ まつもとあつし、津堅信之「アニメ業界は手塚治虫から何を学べるか? (5/5)」ASCII.jp、2011年9月28日
- ↑ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u JESPA編『やさしいアニメーションのはなし』蜻蛉舎、発売:文久書林、1978年
- ↑ 草川昭編著『アトムの子らは荒野をめざす――テレビ・アニメ20年史』立風書房、1981年、34、44頁
- ↑ 小黒祐一郎「アニメ様365日 第28回 『龍の子太郎』」WEBアニメスタイル、2008年12月12日
- ↑ 小黒祐一郎「アニメ様365日 第492回 東映長編を追いかけた」WEBアニメスタイル、2011年3月23日
- ↑ a b 五味洋子「アニメーション思い出がたり[五味洋子] その33 『わんぱく王子の大蛇退治』16ミリ上映会から」WEBアニメスタイル、2008年6月27日
- ↑ 『東映名作アニメ絵本 全5巻セット(宮崎駿 森康二 大塚康生 小田部羊一 高畑勲 ほか)』 販売ページ 復刊ドットコム
- ↑ 「日本の企業がわかる事典2014-2015 「東映アニメーション」の解説」「デジタル大辞泉プラス 「東映アニメーション」の解説」(コトバンク)
- ↑ 津堅信之「定番を誠実に、 そしてその先を切り拓く ~東映アニメーションの現在とこれから~」映像文化のまち ねりま
- ↑ 東映アニメ創立60周年企画 YouTubeでドラゴンボールやデジモンなど名作アニメ無料配信 アニメ!アニメ!、2016年5月10日
- ↑ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 増田弘道「なぜ空洞化でアニメーターが足りないという声が生まれるのか:アニメビジネスの今・アニメ空洞化論(3/4 ページ)」ITmedia ビジネスオンライン、2012年11月07日
- ↑ a b c d 南正時『昭和のアニメ奮闘記――伝説のアニメーターたちが若かりし頃の物語』天夢人、発売:山と溪谷社、2021年
- ↑ 叶精二『日本のアニメーションを築いた人々』若草書房、2004年
- ↑ a b 第13回 細田 守さん(アニメーション映画監督)その2 練馬アニメーションサイト
- ↑ a b 草川昭編著『アトムの子らは荒野をめざす――テレビ・アニメ20年史』立風書房、1981年、42-44頁
- ↑ a b c 第18回 東映動画初期劇場作品を作った人々 その1 練馬アニメーションサイト
- ↑ a b c 第43回 佐藤順一監督 前編 映像文化のまち ねりま
関連文献[編集]
- 東映動画編、杉山卓文・構成『東映動画長編アニメ大全集(上・下)』(徳間書店、1978年)
- 『魔女っ子大全集 東映動画篇』(バンダイ、1993年)
- 『魔女っ子マテリアル』(銀河出版[マテリアルシリーズ]、1999年)
- 日本アニメーション学会研究委員会企画・編集『アニメーション研究資料vol.1 東映動画の成立と発達』(日本アニメーション学会、2002年)
- 50周年実行委員会、50周年事務局、50年史編纂チーム編纂『東映アニメーション50年史――1956-2006 走り出す夢の先に』(東映アニメーション、2006年)
- 栗山富郎『デラシネ――わたくしの昭和史』(ボイジャー、2009年)
- 森下孝三『東映アニメーション演出家40年奮闘史――アニメ『ドラゴンボールZ』『聖闘士星矢』『トランスフォーマー』を手がけた男』(一迅社、2010年)
- 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文藝春秋[文春ジブリ文庫]、2013年)
- 『タイムスリップ! 東映アニメーション 80s~90s GIRLS』(東映アニメーション、2016年)
- 『ヒストリー 東映アニメーション 80s~90s BOYS』(東映アニメーション、2016年)
- 津堅信之『ディズニーを目指した男 大川博――忘れられた創業者』(日本評論社、2016年)
- 木村智哉『東映動画史論――経営と創造の底流』(日本評論社、2020年)
- 『太陽の王子ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界』(双葉社[双葉社スーパームック]、2023年)
- 原口正宏『ゲゲゲのアニメ――『鬼太郎』60年史と70人の言霊』(徳間書店、2026年)