エルトン・ジョン

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エルトン・ジョン(Sir Elton Hercules John CH CBE、出生名:レジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)、1947年3月25日 - )は、イギリスシンガーソングライターピアニストである。

数々の世界的ヒット曲を持ち、「ピアノマン」の愛称で親しまれる。20世紀後半から21世紀初頭にかけて最も成功したアーティストの一人として知られ、そのキャリアを通じて3億枚以上のレコードを売り上げている。

略歴[編集]

エルトン・ジョンは、ミドルセックスピナーで生まれた。幼い頃からピアノに触れ、類まれな音楽的才能を発揮する。1962年、友人とバンド「ブルースロジー・クァルテット」を結成し、地元のパブなどで演奏活動を開始する。

1967年、作詞家のバーニー・トーピンと出会い、ソングライティング・パートナーとしての活動を始める。彼らの共作は、その後のエルトン・ジョンの音楽キャリアの基礎となる。

1969年、ファースト・アルバム『エンプティ・スカイ』でデビュー。1970年にリリースされたセカンド・アルバム『エルトン・ジョン』に収録された「ユア・ソング」がヒットし、一躍注目を集める。

1970年代を通じて、「ロケット・マン」、「クロコダイル・ロック」、「僕の瞳に小さな太陽」、「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」、「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」など、数多くのヒット曲を連発し、世界的なスターの地位を確立する。特に、派手な衣装とステージパフォーマンスは彼のトレードマークとなった。

1980年代以降も、「アイム・スティル・スタンディング」や「サクリファイス」などのヒットを飛ばし、第一線で活躍し続ける。

1994年ディズニーのアニメーション映画『ライオン・キング』の音楽を担当し、主題歌の「愛を感じて」でアカデミー歌曲賞を受賞した。

1997年、親交の深かったダイアナ妃事故死に際し、自身の代表曲「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」をダイアナ妃に捧げる形に歌詞を改変し、「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」として発表。このチャリティ・シングルは全世界で3,300万枚以上を売り上げ、史上最も売れたシングルとなった。

1998年エリザベス2世女王よりナイトの称号を授与され、サーの敬称を得た。

2018年、長期にわたる Farewell Yellow Brick Road Tour の開始を発表し、自身のツアー活動からの引退を示唆した。

人物[編集]

エルトン・ジョンは、自身のセクシュアリティを公にしている数少ない著名なアーティストの一人であり、LGBTの権利擁護活動にも積極的に取り組んでいる。エイズ啓発活動にも尽力しており、エイズ研究エイズ患者支援のための「エルトン・ジョン・エイズ基金」を設立している。

2005年に長年のパートナーであるデヴィッド・ファーニッシュシビル・パートナーシップを結び、2014年同性婚が合法化された後、結婚した。2人の養子がいる。

ディスコグラフィ[編集]

豆知識[編集]

  • エルトン・ジョンという芸名は、ブルースのサックス奏者エルトン・ディーンと、ロング・ジョン・ボールドリーにちなんで名付けられた。
  • 彼のトレードマークである奇抜なメガネは、ステージでのパフォーマンスのために数多く所有している。
  • 彼の楽曲「ロケット・マン」は、SF作家レイ・ブラッドベリの短編小説集『刺青の男』に収録されている「ロケット・マン」にインスパイアされたと言われている。
  • 彼はワトフォードFCの熱心なファンであり、かつては会長を務めていたこともある。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Philip Norman, Elton John, Pan Macmillan, 2001.
  • Elton John, Me, Henry Holt and Company, 2019.