1970年代

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1970年代とは、1970年から1979年までの10年間を指す。

日本国内の出来事[編集]

社会[編集]

1970年に日本国民の総人口が一億人を突破する。大阪で万国博覧会が開かれ「月の石」が話題となる。同時期、公害が問題化し田子の浦ではヘドロが蓄積し都市部では光化学スモッグが発生した。赤軍派が日本航空の飛行機よど号乗っ取って北朝鮮へ。三島由紀夫が自衛隊基地でクーデターを呼び掛けるも拒否されて割腹自殺を遂げた。鉄道では蒸気機関車が姿を消し始めて呼応するかのようにSLブームが起きた。プロ野球界では八百長絡みの黒い霧事件が話題となる。追放者も何人か出た。ベストセラーとしていざという時のための慌てない本。塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』である。

1971年には大久保清が女性を絵のモデルに誘って強姦し、殺害するというシリアルキラー事件が起きる。相撲界では大鵬が引退した。「巨人・大鵬・卵焼き」と並び称された人気者だった。航空界では飛行機ばんだい号の激突事故や自衛隊機と全日空機の雫石での衝突などの飛行機事故が相次いだ。過激派の活動は活発化し小包爆弾事件が相次いで起き警視庁の土田警務部長の家族が犠牲に。ムツゴロウがどうぶつ王国のために北海道へ移住したのもこの年。美濃部スマイルでお馴染み革新系の都知事が北朝鮮金日成と会談する。マクドナルドが東京上陸を果たす。この年のヒット曲は小柳ルミ子の『私の城下町』と加藤登紀子の『知床旅情』だった。

1972年札幌オリンピックで日本人三人が金銀銅を独占。日の丸飛行隊の雄姿を見せた。あさま山荘事件では赤軍派の内ゲバで多くの人が総括されて死んだ。日中国交正常化パンダのカンカンとランランがお目見え。大阪では千日デパートの火災が起き7階のアルバイトサロンも火に包まれ118人が死亡する大惨事となった。作家の川端康成がガス自殺。沖縄がついに日本の本土に復帰した。田中角栄内閣総理大臣になり庶民派宰相として人気が出るが後年あんなことになろうとは当時の国民は思いもよらなかったであろう。ミュンヘンオリンピックでは前代未聞のテロ事件が起きる。ジャングルに取り残された日本兵・横井庄一が日本に帰還する。彼はその後は野営評論家として生きていく。12月に日本共産党国会衆議院で大躍進し38議席を獲得。ベストセラーは老人介護問題を先取りした問題作。有吉佐和子の『恍惚の人』だった。

1973年は石油危機が起きてトイレットペーパーの日本で最初の買い占めが始まった。韓国では金大中氏の誘拐事件が起きて彼にとって最大のピンチだった。よくぞ後年に国政に返り咲けたものである。大相撲は中華人民共和国で興行を開く。江崎玲於奈がノーベル賞受賞。この頃、超能力とか日本沈没とか怪しいものがブームになる。

1974年佐藤栄作元首相にノーベル平和賞が送られた。大企業の爆破事件が相次いだ。多摩川が決壊し狛江の住宅が流される事態になった。中日ドラゴンズが20年ぶりに優勝し巨人の連勝を止めた。そして巨人軍の人気者、長嶋茂雄が引退した。フィリピンのルバング島から小野田寛郎(少尉)が帰国。物価高が凄いことになる。コインロッカーに次々と子供が捨てられる嫌な時代になる。ストーリーキングという男女が全裸で街を走り抜けるという訳の分からない行為が流行する。

1975年は、歌舞伎役者坂東三津五郎フグを食べて死んでしまった。東海道新幹線は岡山から博多まで開通してついに九州上陸である。そしてあの長かったベトナム戦争がアメリカ側の負けで終了した。台湾の総統だった蒋介石がお亡くなりになる。以後、台湾と中華人民共和国(中国)の対立という禍根を残す。沖縄で海洋博覧会が始まって観光客が詰めかける。この頃の博覧会は目新しい未来の技術がてんこ盛りだった。独特の絵柄の版画作家である練方志功が亡くなる。彼に対してはビートたけしがとんでもないギャグを言っていたがとても書けない。

1976年は、ロッキード事件が起きて政界が荒れる。田中角栄(元首相)は吊し上げを食らうがどこ吹く風である。そんな自民党に嫌気がさしたのか河野洋平が自民党を離党して新自由クラブを立ち上げる。その後、田中角栄(元首相)は逮捕された。ベトナムでは社会主義の国家が設立され、今では日本と技能実習生を巡って微妙な関係にある。 ミグ25ソ連戦闘機が函館に亡命目的でやってきてかなりの騒ぎになった。

1977年は、カーター大統領が就任して農家の跡取り息子キャラでピーナツジーンズで印象付けられた。200カイリが話題となる。漁師さんも戦々恐々である。この時代は相手の領海に船がちょっとでもはみ出すと拿捕されていたのだ。有珠山が噴火して車なんて火山灰だらけで大変だった。そして巨人の王選手国民栄誉賞を授与した。そりゃああれだけホームラン打ったらやらなきゃしょうがない。

1978年は、テンポイントという人気のある競馬馬がいて、レース中に骨折した。そして「普通の女の子に戻りたい」との言葉を胸にキャンディーズが解散コンサートを行った。でもみんな芸能界に戻ってきたのは娑婆で働けなかったのか?あれだけ建設でもめた成田空港が無事開設した。良書を発行している事で有名な筑摩書房が倒産する。王選手が打つも打ったり通算800号である。新球団の西武ライオンズができ、田淵幸一が移籍する。大映の人気俳優だった田宮二郎が独立してから事業の苦戦のせいなのか、猟銃で自殺した。

1979年、大阪でとんでもない銀行強盗事件が起きる。犯人の梅川はギャングのいでたちで立てこもり女性行員を裸にひん剥いたとか。江川卓がゴネにゴネて巨人に無理やり入団する。共通一次試験が始まった。数学が弱い文系人にとっては地獄のテストである。スキャンダル雑誌に書かれて問題となった「芸能界交歓図」の裁判が始まる。天才騎手の名をほしいままにした福永洋一が、レース中に落馬して意識不明となる。アメリカの原子力発電所で事故が起こり後日映画のネタと化す。イギリスでは鉄の女ことサッチャー女史が首相に。以後イギリスは暗黒の10年を迎える。東京で各国の主要人物を招いてサミットが行われる。パンダのランランが死んでしまい同日に亡くなった落語家の三遊亭円生は新聞に小さく「円生も」と書かれ、以後三遊亭一門は今に至るまでネタにしている。

音楽[編集]

1977年以降洋楽中心にディスコブームが起きて、KC&ザ・サンシャインバンドヴィレッジ・ピープルの楽曲がヒットする。テレビでも取り上げられディスコのチャンピオンを決める大会が開かれた。

同時期、フォーク・ソングの流れをくむ、ニュー・ミュージックがブームになりNSPイルカ松山千春らがヒットを飛ばした。

スポーツ[編集]

プロレス[編集]

1970年はじめにかけて、イギリスから来た英国紳士のビル・ロビンソンが人間風車を武器に国際プロレスで一躍スターとなる。外国人側の人気者が出るのは前代未聞の出来事だった。1971年の年末にアントニオ猪木日本プロレスから追放される事件が起きる。猪木は翌年、新日本プロレスを旗揚げする。遅れてジャイアント馬場全日本プロレスを旗揚げし、アマレスオリンピック代表の鶴田友美を迎え入れる。1973年柔道世界一のアントン・へ―シンクがプロレス転向。1974年にジャイアント馬場がジャック・ブリスコを倒してNWA世界王者になる。なお短期間の王座移動であった。1976年10月に大相撲天龍源一郎が髷を結ったままプロレス入り。12月にパキスタンでアントニオ猪木は地元の英雄、アクラム・ペールワンを倒す。1977年にラグビー世界選抜FWの原進が国際プロレスに入団する。1978年に全日本・国際・韓国の金一道場の三軍団対抗戦が行われる。1979年自民党二階堂進が日本のプロレス団体のコミッショナーに推薦されるがジャイアント馬場は否定。1979年にジャイアント馬場がハリー・レイスを破って世界王者になるもすぐに取りかえされ三日天下に終わる。

フィクションのできごと[編集]

  • 後半 - 宇宙人「オーバーロード」が地球に来訪。巨大な宇宙船が世界各地の都市上空に飛来し、その6日後にオーバーロードの地球総督カレルレンが全世界に向けて、電波による音声のみの自己紹介を行う。(小説『幼年期の終り』)[注 1][1][2]
  • 末 - に初めての恒久的コロニーが建造される。また、火星に着陸したロボット車が、のちに「放浪石」と呼ばれるようになる生命と太陽の湖で接触する。(小説『2001年宇宙の旅』第一稿)[3]
  • ソヴィエトの天体物理学者ゲオルギ・モヤシュカ博士が、地球の周りを巡る地球外知性体の人工衛星から放たれた意図的な超高周波の無線信号を電波望遠鏡で受信。この「アラムチェック衛星」の写真を撮影すべく偵察衛星が打ち上げられるが、偵察衛星の自爆によってアラムチェック衛星は失われる。(小説『アルベマス』)[4]
  • 高等研究所のソウル・ラッパポート博士が、パロマ天文台ニュートリノ転化装置が記録していた雑音が、小熊座α星の方向から反復して放たれているニュートリノ・レーザーの搬送波と見られることを発見。これは未知の地球外文明が発信した「メッセージ」だと判断され、全面的な研究と解読を目的とした「マスターズ・ヴォイス計画」(MAVO計画)が、アイヴァー・バロイン教授を科学部門の最高責任者として秘密裏に開始される。(小説『天の声 (小説)』)[5]
  • 人工知能に類する存在によってケンタウルス系から放たれた通信が8年間に渡り記録されるが、この時点では誰にも気づかれずに終わる。(小説『ニューロマンサー』)[6]

脚注[編集]

  1. アーサー・C・クラーク 『幼年期の終り』 早川書房1979年、12-18,23,28-30。ISBN 978-4-15-010341-5
  2. アーサー・C・クラーク 『幼年期の終わり』 光文社2007年、9,20-22,450。ISBN 978-4-334-75144-9
  3. アーサー・C・クラーク 『失われた宇宙の旅2001』 早川書房、2000年、11,16-19。ISBN 978-4-15-011308-7
  4. フィリップ・K・ディック 『アルベマス』 東京創元社1995年、107,109,293-295,333-341,346,354,362。ISBN 978-4-488-69613-9
  5. スタニスワフ・レム『天の声』サンリオ、1982年、6・35・42・62 - 75・86・89・99・130 - 133・206 - 211・329頁。NCIDBA58553778
  6. ウィリアム・ギブスン 『ニューロマンサー』 早川書房、1986年、121,122,435。ISBN 978-4-15-010672-0

注釈[編集]

  1. 新版では21世紀前半の出来事に書き直されている。

参考文献[編集]