後藤浩輝

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後藤 浩輝
基本情報
国籍 日本
出身地 神奈川県相模原市
生年月日 1974年(昭和49年)3月19日
死没 2015年(平成27年)2月27日
身長 157cm
体重 50kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 フリー
初免許年 1992年(平成4年)
免許区分 平地
騎手引退日 2015年(平成27年)2月27日(死亡)
重賞勝利 53勝
G1級勝利 5勝
経歴
所属 オスカープロモーション

後藤 浩輝 (ごとう ひろき、1974年3月19日 - 2015年2月27日) は日本中央競馬会 (JRA) に所属していた騎手である。タレントの湯原麻利絵は妻。

経歴[編集]

少年時代は空手や新体操を習っていた。競馬界とは無縁の家庭で、騎手になろうとする前はフランス料理の料理人になることを考えていた。しかし母親がたまたまJRA競馬学校に関するドキュメンタリー番組を視聴しており、騎手になることを薦められた。

1992年(平成4年)、美浦・伊藤正徳厩舎所属でデビュー。デビュー戦は3月1日の中山第1競走のエンシュードラゴンで、16頭立ての6着。初勝利は同年4月4日の中山第4競走。
師匠の伊藤は競馬界にコネのない後藤に対して敢えて厳しく接したが、その真意は伝わらず1995年(平成7年)に厩舎を出てフリーとなる。翌年にはアメリカへ半年間の武者修行に出て158戦7勝の成績を上げる。帰国した1997年(平成9年)は勝利数を前年の21勝から46勝に伸ばし、1998年(平成10年)には更に勝利数を伸ばして年間63勝し、初の関東リーディング6位に入る。

1999年(平成11年)8月19日、美浦トレセン内の騎手寮で後輩の吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働いて負傷させる不祥事を起こす。当時の吉田は主戦を務めていたメジロドーベルの大成功で天狗になっていたのと、勝負にならない馬でも最初から飛ばしてハイペースにし、レースを壊してしまう悪い癖が出ており、他の騎手からも苦情が出ていた。仮に後藤が事件を起こさなくても誰かが他にやっていただろうという証言もあったが、道具を使ったのが悪く、一歩間違えば干される事態になっていた。しかし師匠の伊藤が各方面へ謝罪したことで4ヶ月の騎乗停止で競馬界に留まる事ができた。これを知った後藤は伊藤と和解する。

2000年(平成12年)に初めての年間100勝を達成。ゴールドティアラに騎乗したマイルチャンピオンシップ南部杯で統一GIながらGI初勝利を挙げる。

2002年(平成14年)6月2日、アドマイヤコジーンで安田記念を制し、中央GI初勝利を達成する。同年はイギリスにも修行へ出た。2004年(平成16年)12月12日、マイネルレコルトで朝日杯フューチュリティステークスを制し、JRA GI2勝目を挙げる。2006年(平成18年)11月25日、アロンダイトでジャパンカップダートに勝利し、JRA GI3勝目を達成。

2007年(平成19年)、中央競馬の関東リーディングジョッキーとなる。

2010年(平成22年)6月6日、ショウワモダンで安田記念を制し、JRA GI4勝目を達成。翌年5月22日、エリンコートで優駿牝馬を制し、JRA GI5勝目と初のクラシック勝利を達成した。

2012年(平成24年)5月6日、NHKマイルカップに出走したシゲルスダチに騎乗するが、最後の直線コースで岩田康誠騎乗のマウントシャスタが斜行したことで馬が転倒し、落馬。頸椎骨折の疑い、頸髄不全損傷と診断され、4ヶ月の休養を余儀なくされた。9月8日に復帰するが、同日の中山第3競走の馬場入場時に落馬。同日は騎乗したが、17日に首の不調を訴えて検査を受けると第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断され入院。今度の休養はおよそ1年に及んだ。
2013年(平成25年)10月5日に復帰。10月14日には復帰後初の重賞となるマイルチャンピオンシップ南部杯に出走するエスポワールシチーに騎乗。同レースで勝利し、復帰後重賞初制覇を達成する。

しかし翌年の2014年(平成26年)4月27日、東京第10競走でジャングルハヤテに騎乗したが、岩田康誠の騎乗するリラコサージュが斜行したことで落馬。再び頚椎骨折の怪我を負い、半年以上の休養を余儀なくされた。休養中、一時は引退も考えたが復帰を果たした。

2015年(平成27年)2月27日、茨城県内の自宅の脱衣所で死亡しているのを妻に発見された。40歳没。4月5日、中山競馬場パドックで最終レース後に開かれたメモリアルセレモニーにはファンおよそ2000人が集まり、師匠の伊藤正徳、同期で競馬学校教官に転じていた小林淳一、後輩で家族ぐるみの付き合いのあった三浦皇成らが思い出を語り、両親と妻が弔辞を述べた。

人物[編集]

  • 勝利騎手インタビューでパフォーマンスをすることがあった。
    このうち2003年(平成15年)クイーンカップをチューニーで制した際、肩にひよこのフィギュアを乗せ、語尾に「ベイベッ」とつけてインタビューに答えた様子はフジテレビ系トリビアの泉で競馬の勝利ジョッキーインタビューで笑いを取ろうとして変な感じになった騎手がいるという形で紹介されている。
  • 渡辺美奈代の大ファンで、中学生の時には親衛隊に入っていた。
  • 日本騎手クラブ ファンサービス委員会委員長を自称し、レース終了後のイベントに力を入れていた。自身プロデュースのイベントも度々行われていた。
  • 怪我による療養中はテレビ東京系ウイニング競馬、フジテレビみんなのKEIBAでゲスト解説を務めるなど競馬マスコミでの活動をメインとしていた。騎手を引退していなかったため、競馬法で禁じられている予想行為はせず、レース解説に徹した。

注[編集]