メジロドーベル

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メジロドーベル
欧字表記 Mejiro Dober
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1994年5月6日
メジロライアン
メジロビューティー
母の父 パーソロン
生国 日本国旗.png日本北海道伊達市
生産 メジロ牧場
馬主 メジロ商事
調教師 大久保洋吉 (美浦)
競走成績
生涯成績 21戦10勝
獲得賞金 7億3342万2000円

メジロドーベルは、日本の元競走馬・繁殖牝馬である。

現役時代[編集]

父・メジロライアンは1991年の宝塚記念覇者で、ドーベルはライアンの初年度産駒にあたる。母メジロビューティーは2戦した後に故障のため引退して繁殖入りした。

1996年8月、新潟開催の新馬戦でデビュー。デビュー3年目の若手騎手吉田豊を鞍上に迎えて勝利する。続く新潟3歳ステークスでは競走中の不利もあって5着に沈んだが、サフラン賞、いちょうステークスと連勝し、阪神3歳牝馬ステークスでは2着に2馬身差を付けた上に1分34秒6のレコードを残した。これを以て1年目を終えた。

2年目の1997年はチューリップ賞より始動するも3着。桜花賞ではキョウエイマーチの2着に敗れ、優駿牝馬では騎手との折り合いで不安視されたが、2番人気に支持されてそれに応える形で2着ナナヨーウイングに2馬身半差をつけて優勝。夏の休養を経てオールカマーへ出走。ここで年上の牡馬相手に逃げ切り勝ちする。秋華賞も勝利を収め、牝馬二冠を達成。年末の有馬記念にもファン投票で3位に支持されて出走したが、8着に沈んだ。

3年目は産経大阪杯より始動しエアグルーヴの2着。目黒記念宝塚記念と連続して5着になり休養。秋の府中牝馬ステークスより再始動し、58kgの負担重量を背負って勝利。次走に選んだエリザベス女王杯は2番人気に支持されこれに勝利。牝馬史上初のGⅠレース4勝目を挙げて大きな話題を呼んだ。この年もファン投票で有馬記念に出走するも9着に沈んだ。

4年目の1999年は中山牝馬ステークスより始動するも9番人気のナリタルナパークに敗北。更に怪我のために長期休養入りし、秋の毎日王冠で復帰するも6着。しかしエリザベス女王杯に向けて調子が良くなっていき、同レースで勝利。エリザベス女王杯初の連覇を達成した。このエリザベス女王杯を最後に現役を引退。繁殖入りした。

繁殖牝馬時代[編集]

繁殖入り後はサンデーサイレンススペシャルウィークアグネスタキオンキングカメハメハディープインパクトなど名だたる種牡馬が付けられたが、産駒からは目立った活躍馬は出なかった。2011年4月にはメジロ牧場が業績不振により解散。設備・資産を引き継いだレイクヴィラファームに繋養され、2015年まで繁殖牝馬として活躍した。

2016年に繁殖からも引退。以後は離乳した当歳馬を率いるリードホースとして余生を送っている。