国鉄C60形蒸気機関車

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国鉄C60形蒸気機関車
C60形1号機.jpg
西公園にて静態保存されている1号機。
運用者日本国有鉄道
種車C59形
改造所国鉄浜松工場郡山工場
改造年1953年~1961年
製造数47両
引退1971年(定期運用からは1970年に引退)
車軸配置2C2[注 1]
軌間1067mm
全長21360mm(戦前形)
21575mm(戦後形)
全高3980mm
機関車重量82.90t(戦前形)
81.59t(戦後形)
総重量139.82t(戦前形)
136.47t(戦後形)
動輪径1750mm
軸重15.00t(第2動輪、戦前形)
14.80t(第2動輪、戦後形)
シリンダ数単式2気筒
シリンダー(直径×行程)520mm×660mm
弁装置ワルシャート式弁装置

国鉄C60形蒸気機関車は、1953年から1961年にかけてC59形から改造された幹線旅客用テンダー式蒸気機関車

戦後形からの改造車はC62形よりも全長が僅かに長く(そりゃその種車からの改造車だからね)、当形式の種車であるC60形と並び(戦後形に限ってみれば)日本最長の蒸気機関車である。

概要[編集]

東海道本線山陽本線などの幹線が電化されたことにより、C59形は他の路線に転じることになったが、特甲線用だったために軸重が大きすぎて、他の路線には入ることができなかった。そこで、従台車を1軸から2軸に変更して軸重を軽減し、運用可能線区を拡大させた。この改造したC59形は、新形式であるC60形となった。

C59形からの改造[編集]

全車が国鉄向けとして、国鉄が保有していた2つの会社[注 2]から47両が改造された。

種車の相違[編集]

旧戦前形(0番台)
1号機~39号機までが該当し、1953年~1961年の間に改造された。
18号機~22号機のみ郡山工場で、それ以外が浜松工場で改造された。
旧戦後形(100番台)
101号機~108号機までが該当し、1960年~1961年の間に改造された。
全車浜松工場で改造された。
照合表
新号機番号
(C60形)
旧号機番号
(C59形)
改造所   改造年 
1号機~4号機 27号機、62号機、59号機、41号機 浜松工場 1953年
5号機~16号機 54号機、21号機、49号機、61号機、46号機、
23号機、58号機、34号機、65号機、69号機、
4号機、50号機
浜松工場 1954年
17号機 86号機 浜松工場 1955年
18号機~22号機 78号機、100号機、16号機、70号機、48号機 郡山工場 1960年
23号機~33号機 17号機、38号機、76号機、40号機、47号機、
10号機、91号機、18号機、60号機、81号機、
68号機
浜松工場 1960年
34号機~39号機 26号機、13号機、39号機、5号機、89号機、98号機 浜松工場 1961年
101号機~105号機 130号機、178号機、128号機、168号機、101号機 浜松工場 1960年
106号機~108号機 113号機、165号機、173号機 浜松工場 1961年

運用[編集]

軸重がC59形よりも軽くなったため、比較的多くの路線で使われた。
主な路線として、東北本線(主に白河駅以北)、常磐線奥羽本線(秋田駅以北)、鹿児島本線(主に鳥栖駅以南)・長崎本線佐世保線など、輸送量が比較的大きな反面、電化が遅れている線区が挙げられる。
種別に関しては、普通列車から特急列車荷物列車と柔軟に運用されていた。

東北地区[編集]

1953年に改造された1号機~3号機を皮切りに、最高で36両が配属された。[注 3]

東北本線・常磐線
盛岡駅以北の区間などでは、C61形D51形と、重連または三重連などで、旅客列車や荷物列車、特急・急行貨物列車を牽引した。
青森機関区では1960年10月のダイヤ改正時に初めて配置され、老朽化が著しかったC51形を淘汰した。
奥羽本線
1960年10月から運用が始まり、1960年代前半まで青森機関区に配置された一部のC61と共通運用だった。また、急行「日本海」などの秋田駅青森駅間の牽引も担当し、その後も1967年10月のダイヤ改正まで、C61との共通運用で秋田駅以北の区間にて普通列車や荷物列車を牽引した。

その後、1968年10月に東北本線が全線複線電化されたことにより、引退。1号機は静態保存用として仙台市に移管。16号機~18号機は九州に転属(鹿児島本線熊本駅以南にて転用された)。それ以外は全て解体された。

九州地区[編集]

1960年~1961年に、23号機を皮切りに11両が配置。[注 4]

鹿児島本線
主に鳥栖駅以南を拠点に、急行列車などの牽引を行った。[注 5]また、1961年に、門司駅博多駅の区間にて気動車化が目前であった特急かもめの牽引の代走を行ったこともある(本来はC59形が充当される)。
長崎本線
優等列車として寝台特急「さくら」、「あかつき」を牽引した。

その後、1970年10月に鹿児島本線が全線電化されたことにより、引退。1971年には全ての車両が解体された。

脚注[編集]

  1. 日本国鉄式分類の表記。ホワイト式分類では4-6-4、アメリカ式分類ではハドソン(Hudson)、バルティック(Baltic)。
  2. 浜松工場、郡山工場(現・郡山総合車両センター)。
  3. 後に無煙化の進展により、1963年1968年に8両が九州に転属。
  4. 後に先述の理由から余剰となった8両が転属してきた。
  5. もっとも、特急の運用はなかったのだが…。

関連項目[編集]