高坂正堯

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高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年5月8日 - 1996年5月15日)は、国際政治学者。京都大学大学院法学研究科教授。高坂正顕の次男。猪木正道の弟子。

人物[編集]

佐藤栄作三木武夫大平正芳中曽根康弘といった歴代総理のブレーンだった[1]。大平正芳首相はブレーン・トラストをつくるため、1978年に官邸内に補佐官室を新設し、大蔵省の長富祐一郎、通産省の照山正夫、外務省の内田勝久を補佐官に任命。大平は長富に政策研究グループの人選を指示し、長富は石井威望公文俊平浅利慶太飯田経夫公文俊平、高坂正堯、香山健一佐藤誠三郎山崎正和らに相談[2]。1979年1月以降、首相の私的諮問機関として9つの政策研究グループからなる「大平総理の政策研究会」が発足し[2][3][4]、176人の学者が参加した[2][3]。高坂は「総合安全保障研究グループ」(議長・猪木正道)の政策研究員・幹事、「環太平洋連帯研究グループ」(議長・大来佐武郎)の政策研究員、「対外経済政策研究グループ」(議長・内田忠夫)の政策研究員を務めた[4]。1979年8月に刊行された自民党の“政策バイブル”とされる「自由民主党研修叢書」(全12冊、自由民主党編、自由民主党広報委員会出版局発行)は、香山健一、佐藤誠三郎、公文俊平、高坂正堯の4人が共同執筆したとされる[5][注 1]。また自民党の理論誌『月刊自由民主』に掲載された「編集部の提言」も4人が内容を発案したとされる[6][注 2]。1980年の大平首相の急死後、香山、佐藤、公文、高坂らは研究グループの報告書を大平の霊前に供えるとともに、自民党の各実力者に配布したが、中曽根康弘(鈴木善幸内閣の行政管理庁長官。1982年に首相に就任)以外は興味を示さなかった[3]。高坂は1983年8月に発足した中曽根首相の私的諮問機関「平和問題研究会」の座長を務め、1984年に同研究会は防衛費1%枠と防衛計画大綱の見直しを提言する報告書を提出した[7]。財団法人平和・安全保障問題研究所(理事長・猪木正道)の研究員[8]、理事[9]、理事長(1986-1992年)、副会長(1993年-)[10]、イギリスの国際戦略研究所の理事も務めた[9]

民社党同盟金属労協などの安保・防衛問題のブレーンでもあった[9]民主社会主義研究会議(民社研)の理事を20年以上務め[11][12]、1994年に政策研究フォーラムに改称後も理事を務めた。社会思想研究会会員[13]

脚注[編集]

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  1. 高坂以外の3人は社会工学研究所(社長・牛尾治朗)の所員。上西朗夫毎日新聞記者)の『ブレーン政治』(講談社現代新書、1985年)によると、「自由民主党研修叢書」は4人と社工研メンバーの共同作業である[6]
  2. 毎日新聞政治部『自民党-転換期の権力』(角川文庫、1986年)によると、「編集部の提言」は香山、佐藤、公文の3人が執筆している部分があるとされる[5]

出典[編集]

  1. 服部龍二「なぜ島田紳助がリスペクト? 国際政治学者・高坂正堯の意外な一面――佐藤栄作ノーベル賞工作にも一役買った“学者”の素顔」文春オンライン、2018年12月9日
  2. a b c 上西朗夫『ブレーン政治』講談社現代新書、1985年、41-42頁
  3. a b c 毎日新聞政治部『自民党-転換期の権力』角川文庫、1986年、28-29頁
  4. a b 青木慧『タカ派知識人――組織と人脈五〇〇人』汐文社、1983年、228-234頁
  5. a b 毎日新聞政治部『自民党-転換期の権力』角川文庫、1986年、22頁
  6. a b 上西朗夫『ブレーン政治』講談社現代新書、1985年、109頁
  7. 上西朗夫『ブレーン政治』講談社現代新書、1985年、149-151頁
  8. 毎日新聞政治部『自民党-転換期の権力』角川文庫、1986年、55-56頁
  9. a b c 青木慧『タカ派知識人――組織と人脈五〇〇人』汐文社、1983年、55-56頁
  10. 西原正平和・安全保障研究所の歩み―創立43年を振り返って―PDF」一般財団法人平和・安全保障研究所、2021年10月20日
  11. 『改革者』第147号、1972年6月
  12. 田久保忠衛「高坂正堯さんのこと」『改革者』第37巻第8号(通巻433号)、1996年8月
  13. 【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)(1/4ページ) 産経ニュース、2016年12月10日