静岡高校野球部

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静岡高校野球部(しずおかこうこうやきゅうぶ)は、日本高等学校野球連盟(高野連)に加盟する、静岡市にある高校野球のチーム。静岡県立静岡高等学校野球部。通称は、静高野球部(しずこうやきゅうぶ)。

概要[編集]

1896年(明治29年)創部[1]。1926年(大正15年)第12回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)優勝[1]。準々決勝では延長19回を制した(静岡中対前橋中延長19回参照)。1930年(昭和5年)5月29日、昭和天皇が行幸。静中校庭において天覧試合(対静岡商)が行われた。両校ではこれを記念し、翌1931年より毎年5月に定期戦を開催。1949年(昭和24年)第4回国民体育大会高等学校野球競技(硬式の部)優勝。

静岡県における全国大会最多出場校。全国高等学校野球選手権大会出場26回、優勝1回、準優勝2回(1960年[1]、1973年[1])、選抜高等学校野球大会(春の甲子園)出場17回、明治神宮野球大会(高校の部は1973年から開催)出場4回(2021年8月末現在)。2017年(平成29年)秋は全国ベスト4、2015年(平成27年)春は選抜ベスト8[1]。

セ・パ両リーグ12球団全てにプロ野球選手を輩出する他、OBは、プロ野球球団運営関係者、社会人野球/大学野球 選手・監督・コーチ、高校野球 監督・コーチ、野球解説者など、日本の野球界で広く活躍する。

静岡県では公立高校入試で学区制が廃止された2008年(平成20年度)に学校裁量枠が導入され、各校が裁量により選抜割合を決めている。静高では定員の3%程度を「野球(男)における実績、適性、活動意欲」により選抜する。

略年譜[編集]

全国大会出場と近年の戦績[編集]

2015年以降の甲子園出場は、2015年(平成27年)選抜ベスト8、2017年(平成29年)秋(明治神宮)全国ベスト4、2021年(令和3年)夏。

※記録はいずれも2022年8月末現在。
  • 最新の試合結果[7]

校名の変遷[編集]

1878年(明治11年)静岡師範学校内に中等科を開設し創立された。校名は20世紀だけでも、1901年(明治34年)静岡中学校、1948年(昭和23年)静岡第一高等学校、1949年(昭和24年)静岡城内高等学校、1953年(昭和28年)静岡高等学校へと変遷を重ねた[8]。

静高野球部は、1915年(大正4年)に全国中等学校野球大会(のちの全国高等学校野球選手権大会)が開催され始めてから、これら全ての校名で全国大会出場を果たしており、公式記録で「静岡中」、「静岡一(高)」、「静岡城内(高)」、「静岡(高)」と表記されるが、全て同じチームを指している。

歴代監督[編集]

戦 後
鈴木(八木) 芳太郎 48期 1947年 - 1953年 甲子園出場4回
田口 一男 ー 1953年 - 1969年 甲子園出場6回
野島 譲 ー 1969年 - 1982年 甲子園出場5回
船川 誠 84期 1982年 - 1993年 甲子園出場2回
八木 道政 ー 1993年 - 1998年 甲子園出場なし
鈴木 祥充 ー 1998年 - 2002年 甲子園出場2回
畑田 裕視 91期 2002年 - 2008年 甲子園出場1回
栗林 俊輔 ー 2008年 - 2021年 甲子園出場7回
池田 新之介 112期 2021年 - 甲子園出場1回

2008年監督に就任した栗林俊輔は、2019年1月時点で春夏計6度の甲子園出場などが評価され「平成30年度文部科学大臣優秀教職員表彰」を受賞した[9]。

静岡高校野球部部則[編集]

甲子園から遠ざかり、不振が続く1957年(昭和32年)秋、監督・田口一男は、主将・蒔田稀彦(75期)に状況打開の指示を出し、その結果、部則が生み出された。1991年(平成3年)4月、部則碑が建立・除幕。現在は三塁側ファウルグラウンドにある。[10]

一、我々は伝統ある静高野球部員である。
一、我々は野球を通して人格形成に努力する。
一、我々は野球と勉学に努力・精進する。
一、我々は目標を甲子園優勝とする。
一、我々は礼儀を重んじる。
一、我々は常に主将を中心としてチームワークを強固にする。
一、我々は試合・練習に於いて闘志・熱を持つ。
一、我々は日常生活を規律正しく行う。
一、我々は他人に迷惑をかけない。
一、我々は部室の清潔・整頓に心掛ける。

定期戦(対静岡商業高校)[編集]

1930年(昭和5年)5月29日、昭和天皇が行幸。静中校庭において天覧試合(対静岡商)が行われた[注釈 1]。両校ではこれを記念し、翌1931年(昭和6年)より毎年5月に定期戦を開催。中断2回[注釈 2]、対外試合自粛3回[注釈 3]、中止1回[注釈 4]を挟み、1931年(昭和6年)以降の戦績は44勝27敗(2022年5月末)。

ユニフォーム[編集]

岡田源三郎(明大野球部監督時代)

ユニフォームは白色に濃紺色でロゴは「Shizuoka」の英字筆記体表記。帽子は濃紺色、帽章は白抜きで「S」。

  • 1910年卒の黒田太郎(25期)が明治大学へ進学したのをきっかけに、両校の関係が深まった[11]。静中が主導で第1回県大会が行われた1918年にはゴシック体で「SEICHU」と表記されていた[11]。この大会を機に選手指導の徹底を図ろうと岡田源三郎(のち明治大学監督)ら明大部員から指導を受け受ける機会が増え、1922年、明治大学のユニフォームに倣って筆記体のロゴ「Seichu」が採用された[11]。1948年、新制・静岡第一高校になった際、「Shizuoka」に変更された[11]。

1996年、創部100年を迎えたのを機にマイナーチェンジが行われ、1926年夏に全国制覇を成し遂げた時のデザインに戻された[11]。上着の襟を濃紺色に、ストッキングも濃紺色の3本ラインが復活した[11]。他校では両袖に校章や都道府県名を入れることが一般的だが、創部以来無地[11]。

学校裁量枠制度による選抜[編集]

静岡県では公立高校入試で学区制が廃止された2008年(平成20年度)、学校の特色を鮮明にするため学校裁量枠が導入された。各校が裁量により選抜割合を決めている。静岡高校では定員(320人)の3%程度を「野球(男)における実績、適性、活動意欲」(調査書の9教科の評定合計が一定水準に達し、学力検査の結果に著しく問題のある者を除く[12])により選抜する。同枠で静岡県内から例年9名前後が入学[注釈 5]。選手は共通枠で入学した者と合わせ、ひと学年平均13名ほど。

名勝負[編集]

1926年(大正15年)8月18日に阪神甲子園球場で行われた、第12回全国中等学校優勝野球大会の準々決勝第3試合、神静代表静岡県立静岡中学校対北関東代表群馬県立前橋中学校は、それまでの大会記録である延長16回(第6回大会の松山商対慶應普通部)を上回る延長19回に及んだ[13][14]。この記録は第19回大会における中京商対明石中の延長25回の試合によって破られるまで続いた[13]。

詳細は「静岡中対前橋中延長19回」を参照

その他の甲子園での記録[編集]

  • 初試合(甲子園のこけら落とし・対北海中 1924年夏)
  • 初得点(同上)
  • 1号ホームラン(同上) 同ホームランは、同時に選手権大会史上初の満塁ホームラン。打った人:田中市太郎[15](40期)
  • 初延長試合(同上)
  • 初逆転サヨナラ負け(同上)
  • 初ナイター試合(対伊那北 1956年夏)
  • 初披トリプルスチール(対習志野 2011年夏)
  • 初四元号出場(2019年(令和元年)夏 ※同時達成 広島商、米子東、高松商)
  • 選手権四元号出場(同上)

主なOB[編集]

135期

村松開人(プロ野球選手、中日内野手)

134期

池谷蒼大(プロ野球選手、DeNA投手)

133期

鈴木将平(プロ野球選手、西武外野手)

132期

堀内謙伍(プロ野球選手、楽天捕手)

121期

黒田祐輔(元阪神タイガース外野手)

120期

川口盛外(王子硬式野球部マネージャー、元広島東洋カープ投手)

119期

増井浩俊(元オリックス投手)

118期

深田拓也(元読売ジャイアンツ投手)

116期

高木康成(読売ジャイアンツ編成本部長補佐、元近鉄・オリックス・ジャイアンツ投手)

115期

寺田祐也(元阪神タイガース・フィオレンティーナ・ベースボール内野手)

109期

西村亮(JR東日本東北監督、元駒澤大学野球部監督・JR東日本東北捕手)

107期

山﨑一玄(元阪神タイガース・近鉄バファローズ投手)

105期

天野義明(山岸ロジスターズ監督、第21回日米大学野球選手権大会日本代表)
赤堀元之(元近鉄バファローズ投手、多球団でコーチ・監督)
梶山義彦(元野球日本代表・2000年シドニーオリンピック代表)

103期

望月一(望月秀通 : 元広島東洋カープ・福岡ダイエーホークス投手)

99期

大久保学(如水館高校硬式野球部監督、元南海ホークス投手)

90期

植松精一(元阪神タイガース外野手、第5・6回日米大学野球選手権大会日本代表)

86期

大橋功男(元日本石油投手)

83期

望月充(元阪神タイガース・南海ホークス外野手、後、コーチ)

82期

服部敏和(元近鉄バファローズ・日本ハムファイターズユーティリティープレイヤー)
小田義人(元ヤクルトアトムズ・日本ハム・南海・近鉄、後、スカウト、コーチ)
佐藤竹秀(元近鉄バファローズ・ヤクルトスワローズ外野手)

81期

長倉春生(高校野球解説者、元大昭和製紙捕手・監督)

79期

塩沢誠(元日本楽器内野手・ヤマハ発動機コーチ・静岡産業大学野球部監督)

77期

石山建一(元読売ジャイアンツ編成本部長補佐、元プリンスホテル・早稲田大学野球部監督)

75期

植野浩史(元大洋ホエールズ内野手)

73期

赤池彰敏(赤池満 : 元国鉄スワローズ内野手)

72期

種茂雅之(元東映フライヤーズ ・阪急ブレーブス捕手、後、コーチ・監督、ゴールデングラブ賞など)

71期

近藤晴彦(元大洋ホエールズ外野手)

68期

宗野徳太郎(元全藤倉内野手・静高野球部専任コーチ・OB会長、立教大学野球部在籍時長嶋茂雄を指導)

48期

鈴木芳太郎(八木芳太郎 : 元南海軍投手、静高野球部監督)

46期

宇佐美一夫(元国鉄スワローズ捕手、内野手)

44期

上野精三(第12回選手権(夏の甲子園)優勝投手、元日本石油・慶應義塾大学野球部監督)

36期

鈴木万平(元参議院議員、三共第四代社長)

34期

下山定則(初代国鉄総裁、運輸次官 / のち津中学校へ)下山事件参照

33期

宮幡靖(元通商産業政務次官(第3次吉田内閣)、税理士)

32期

田中三郎(映画雑誌『キネマ旬報』創刊)
守屋富次郎(航空工学、元防衛庁技術研究所本部長、元日本航空学会会長、元東京帝国大学教授)

31期

山家亨(元陸軍大佐、宣撫工作「山家機関」、川島芳子の初恋の相手、李香蘭を満映にスカウト)

16期

加藤周蔵(第12回選手権(夏の甲子園)優勝監督)
松田巻平(元陸軍中将・第1船舶輸送司令官)

15期

6代目鈴木與平(鈴与創業、元静岡県議会議長、元貴族院議員)

14期

置塩章(宮崎県庁舎、旧茨城県庁舎、大阪砲兵工廠化学分析場など設計、藍綬褒章)

13期

三橋四郎次(元衆議院議員(帝国議会)、元貴族院議員、茶業の発展改良に尽力)

12期

柴田善三郎(元朝鮮総督府学務局長・大阪府知事・内閣書記官長・貴族院議員)

スタッフ[編集]

  • 大村政夫(野球部長、1960年代から1970年代前半の静高野球部の黄金期を支えた)

野球部に所属しなかったが、高校野球に顕著な功績があった静岡高校OB[編集]

関係者[編集]

  • 丸尾晋(静中野球部中興の人物、加藤周蔵とともに本格的な育成指導に携わり、1926年の全国優勝への起点となった)

関連人物[編集]

  • 佐藤あゆみ:NHKアナウンサー。静高在学中に吹奏楽部員として、甲子園でテナーサックスを吹いた。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ↑ 「静岡の野球界にとって、1930年5月29日は記念すべき日となっている。同年に昭和天皇が静中に行幸され、学校授業のほか野球、剣道、弓道、水泳を天覧された。野球(対静岡商)は静中の校庭で執り行われ、予定時間の3分を大きく10分もオーバーする13分のご覧戦となった。」–『静岡高校野球部』ベースボール・マガジン社 2015年 23頁。
  2. ↑ 1936年〜1939年,1943年〜1955年
  3. ↑ 静高1回(1967年)、静商2回(1976年,1977年)
  4. ↑ 2020年(令和2年)第62回。新型コロナウイルス蔓延防止措置のため
  5. ↑ 「近年、静岡県の県立高校には「学校裁量枠」という特別入学枠が認められるようになった。スポーツに限らず、芸術や科学研究分野などで高い成績を収めた中学生を一般入試枠とは別に入学させる制度だ。それを利用していまでは静高でも毎年10人程度の野球部員を入学させている。」–『地方公立名門校』おおたとしまさ 朝日新書 2018 74頁。

出典[編集]

  1. ↑ a b c d e 高校野球ドットコム コラム 静岡(静岡)編「今も昔も歴史に名を刻む静岡高校のつながり」2016.04.21
  2. ↑ SPORTS BULL バーチャル高校野球 甲子園の戦績 第12回 全国中等学校優勝野球大会
  3. ↑ 阪神甲子園球場 高校野球情報 歴代優勝校
  4. ↑ 皇太子/昭和天皇裕仁の野球観戦-1922~30年- 坂上康博
  5. ↑ SPORTS BULL バーチャル高校野球 甲子園の戦績 第42回全国高校野球選手権大会
  6. ↑ SPORTS BULL バーチャル高校野球 甲子園の戦績 第55回全国高校野球選手権大会
  7. ↑ SPORTS BULL バーチャル高校野球 静岡(静岡)
  8. ↑ 小林哲夫『「旧制第一中学」の面目 全国47高校を秘蔵データで読む』NHK出版新書 2022 100頁。
  9. ↑ "静岡高・栗林監督に優秀教職員表彰「大変光栄」" 日刊スポーツ(2019年1月15日)。2023年5月6日閲覧。
  10. ↑ 『静岡高校野球部』ベースボール・マガジン社 2015 8頁。
  11. ↑ a b c d e f g 『静岡高校野球部』ベースボール・マガジン社 2015 12頁。
  12. ↑ (付属資料3)学校裁量枠において重視する観点及び選抜方法の概要等
  13. ↑ a b 神田順治、森岡浩(2020年6月23日)"高校野球 記録・話題"『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク。2023年5月7日閲覧。
  14. ↑ SPORTS BULL バーチャル高校野球 大会アーカイブ 第12回 全国中等学校優勝野球大会静岡中―前橋中(準々決勝)
  15. ↑ 第10回大会(1924年)の開幕戦。五回表1死満塁から本塁打を放ち、生還した静岡中の田中市太郎。

参考文献[編集]

  • 『静中静高百年史』 静中静高百年史編纂委員会編 静岡県立静岡高等学校同窓会 1978
  • 『静中静高野球部百年史』 静中静高野球部OB会 1996
  • 『静岡高校野球部 : 誇り高き文武両道 Since 1896』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK 1170. 高校野球名門校シリーズ 8〉、2015年。ISBN 9784583622613。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]