徳田虎雄
徳田虎雄(とくだ とらお)1938年(昭和13年)2月17日生- 2024年(令和6年)7月10日没。は、日本の医師(外科医)。政治家。医療法人 徳洲会」の創立者。兵庫県高砂市で生まれ、鹿児島県徳之島町で育った。
経歴
1938年(昭和13年)2月17日に兵庫県高砂市で生まれ、鹿児島県徳之島町で育った。鹿児島県立徳之島高等学校に入学したが大阪大学の大学受験を目指して大阪府立今宮高等学校に転校し卒業。
2浪して大阪大学医学部に入学・卒業した。大学卒業後は、大阪大学病院の第二外科で研修医を務めた。その後、大阪府にある公立病院の勤務医として勤めた。徳田氏が医師を目指したのは、幼い頃に一番下の弟が急病で亡くなったから病気の患者を助けたいという理由があったから。
その後、徳田氏の「理想の病院」の開設を目指して、1973年(昭和48年)に大阪府松原市に「徳田病院」を開業した。1975年(昭和50年)に「医療法人 徳洲会」を創立して徳田氏が「医療法人 徳洲会」の理事長となる。
「医療法人 徳洲会」が経営する「徳田病院」は「生命だけは平等だ」や「いつでも、どこでも、誰でも最善の医療サービスを受けられる病院」などの理念を掲げている。
「医療法人 徳洲会」の「徳田病院」は、地域住民から信頼を得て患者が増加して病院経営は安定するようになる。
日本の各地域にも病院を開設して「医療法人 徳洲会」理事長の徳田氏は「日本の病院王」とまで呼ばれるようになった。
しかし、既得権益を守りたい日本医師会や医療関係者からは徳田氏のワンマンで強引な病院経営の手法は反発を受ける事もあった。
衆議院議員となる
日本の医療業界や医療制度改革の必要性を感じて、1983年(昭和58年)に衆議院議員総選挙に鹿児島県の奄美群島選挙区から無所属で立候補したが落選した。 1990年(平成2年)に再び、衆議院議員総選挙に無所属で立候補して初当選して衆議院議員(1期目)となった。保守系議員とともに自由連合を結成した。
1993年(平成5年)に衆議院議員総選挙に立候補して2期目の当選したが、当選後に自民党に入党したが、自民党の支援団体の日本医師会などの医療関係者からの反発を受けて3日で自民党を追放された。
その後、1996年(平成8年)の衆議院選挙に落選。2000年(平成12年)の衆議院選挙に少数政党の自由連合から復活当選(3期目)。2003年(平成15年)の衆議院選挙にも少数政党の自由連合から当選(4期目)。
病気療養
2002年(平成14年)4月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症して、2004年(平成16年)頃からは衆議院議員として国会の審議に出席できない程に病気が悪化したために、2005年(平成17年)の衆議院総選挙には立候補せずに政界引退を表明した。
2005年(平成17年)の衆議院総選挙には、息子(次男)の徳田毅が立候補して当選した。長男の徳田毅は当選後に自民党に入党した。
晩年の徳田氏は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の病気が悪化して手足が不自由になり車椅子だった「医療法人 徳洲会」が経営する病院の専用病室に入院していた。2013年(平成25年)まで「医療法人 徳洲会」の理事長を務めていた。2013年(平成25年)に「医療法人 徳州会」理事長を辞任後も「病院の創設者」として死去直前まで病院の専用病室から病院職員に指示を出していたという。
2024年(令和6年)7月10日に神奈川県にある徳州会病院で86歳で死去。
備考
- 2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥(京都大学教授)は徳田虎雄の著書「生命だけは平等だ」を読んで感銘を受けて医師を目指すようになったという。
- 「医療法人 徳洲会」は病院ぐるみの選挙運動などが一部で問題視されていた。
家族
兄弟
- 一番上の弟の友助は京都大学医学部附属病院の麻酔科医などを経て医療法人徳洲会の副理事長を務めた。
- 二番目の弟の孝徳は宮崎医科大学卒業の外科医で、医療法人聖山会理事長、徳田診療所院長などを務める。
- 三番目の弟の千代吉は奈良県立医科大学の内科医などを経て徳田診療所副院長を務める
妻と子供たち
妻の徳田秀子の職業は薬剤師で、医療法人徳洲会の副理事長や社会福祉法人の理事長を務める。子供は男子が2人、女子が5人。子供は全員で7人いる。
- 長男の哲は2浪して入学した埼玉医科大学卒業の医師で、医療法人徳洲会の副理事長、一般社団法人徳洲会の副理事長を務める。
- 長女の徳美は東海大学医学部卒業の医師で、徳洲会グループの病院に勤務後、千代田区麹町にある医薬品販売会社の「株式会社徳洲会」の社長として医療法人徳洲会グループの人事権を取り仕切った。千代田区の高級マンションでワンフロアを所有して、徳洲会グループの職員に高級車を運転させて生活していた。配偶者の夫は税理士で、株式会社徳洲会の副会長、千代田区麹町の医療用品卸売会社の「(株)インターナショナルビジネスサービス」で副社長などを務める。
- 次女の美千代は眼科医で、1992年(平成4年)に金沢医科大学卒業後に沖永良部島、奄美大島、喜界島など僻地医療を経て、医療法人徳洲会理事、GPホールディングス社長、大阪市北区梅田で不動産賃貸と管理業の「インテグレード・メディカル・システム」社長、大阪市北区梅田で徳洲会グループ保険代理店の「インターナショナル・ホスピタル・サービス株式会社」社長、東京都の港区赤坂で「眼科のスターアイクリニック」を経営する医療法人社団星英会の理事長を務めて医療法人徳洲会グループの資金面を統括していたという。配偶者の夫は外国人の医師で、徳洲会東京本部海外プロジェクト代表執行役員を務める。
- 三女の真理は産婦人科医で、医療法人徳洲会理事、一般社団法人徳洲会理事などを務める。
- 次男の毅は帝京大学法学部に入学するが、大学中退後に「株式会社インターナショナル・ビジネスサービス」社長、一般社団法人徳洲会の副理事長を経て、2005年(平成17年)から自民党の衆議院議員を務めた。配偶者は「株式会社インターナショナルビジネスサービス」で社長を務める。
徳田家の親族で病院経営
- 徳田家の親族のほとんどは医者であり、「医療法人 徳州会」の関連会社の会社役員などを務めており、徳田家の親族で役職(人事)を固めて病院経営している。
- 妻と子供たちには、病院での仕事中には「理事長」と呼ばせていたという。