B-29 スーパーフォートレス
B-29 スーパーフォートレス(B-29 Superfortress)は、第二次世界大戦中にアメリカのボーイング社が開発・製造した戦略爆撃機である。その開発コードネーム「スーパーフォートレス(Superfortress、超空の要塞)」が示す通り、従来の爆撃機を凌駕する性能と航続距離を持ち、特に太平洋戦争における日本本土空襲で多用され、その名を世界に知らしめた。
概要[編集]
B-29の開発は、第二次世界大戦の勃発とドイツのヨーロッパにおける優勢を背景に、長距離を飛行し、敵国本土を直接爆撃できる爆撃機の必要性から始まった。1939年にアメリカ陸軍航空隊(当時)は、従来のB-17 フライングフォートレスの後継となる新型爆撃機の開発要求を各航空機メーカーに提示。これに応募したボーイング社の案が採用され、XB-29として開発がスタートした。
B-29は、当時としては画期的な高高度性能と長大な航続距離、そして重武装を備えていた。機体は与圧されたコックピットと後部座席を持ち、乗員の疲労軽減に貢献した。防御武装としては、リモートコントロール式の銃塔を多数搭載し、機体各所から集中して火力を指向できるシステムを採用した。これにより、従来の爆撃機に比べて防御力が大幅に向上した。
しかし、その革新的な設計ゆえに開発は難航し、初飛行は1942年9月21日と、当初の予定より遅れた。量産体制の構築も困難を極め、機体の複雑さ、製造部品の多さ、そして戦時下における急速な増産要求が重なり、製造ラインでは多くの問題が発生した。それでも、1944年には実戦配備が開始され、インドおよび中国を拠点とする「XX爆撃軍団」により、日本への最初の爆撃作戦が実行された。
特徴[編集]
B-29の最大の特徴は、その卓越した性能と先進的な設計思想にあった。
高度性能と航続距離[編集]
B-29は、高高度を高速で飛行することが可能であり、多くの敵戦闘機の迎撃を困難にした。最大上昇限度は1万メートルを超え、これは当時の日本軍の戦闘機が到達しにくい高度であった。また、燃料搭載量が多く、最大で6,000キロメートルを超える長大な航続距離を誇った。これにより、遠く離れた基地から敵国本土への往復爆撃を可能にした。
与圧キャビン[編集]
乗員の快適性と疲労軽減のために、B-29は世界で初めて本格的な与圧キャビンを導入した。コックピット、爆撃手席、そして後部銃座が与圧され、高高度飛行における酸素欠乏や低温から乗員を保護した。これは、長時間の任務において乗員の集中力を維持するために非常に重要な要素であった。
リモートコントロール銃塔[編集]
防御武装として、B-29は画期的なリモートコントロール銃塔システムを採用した。機体各所に配置された銃塔は、乗員が透明なドーム型の照準器から標的をロックオンし、電動で銃塔を遠隔操作して射撃を行う方式であった。これにより、各銃塔に銃手が配置される従来の方式に比べて、乗員の配置を効率化し、防御火力を集中させることが可能となった。
レーダー搭載[編集]
初期のB-29には、爆撃目標の探知や航法支援のためにレーダーが搭載された。特に、悪天候や夜間における爆撃精度向上に貢献し、視界に頼らない精密爆撃を可能にした。
運用史[編集]
B-29の運用は、主に第二次世界大戦における対日戦に集中した。
太平洋戦争における運用[編集]
B-29は、1944年から本格的に太平洋戦争に投入された。当初は中国の成都を拠点とし、日本の九州や満州、朝鮮半島を爆撃する「オペレーション・マッターホルン」が実施された。しかし、中国からの補給ルートの困難さ、そして航続距離の制約から、本格的な日本本土爆撃には不十分であった。
1944年中盤以降、マリアナ諸島のサイパン島、テニアン島、グアム島がアメリカ軍によって攻略され、B-29の新しい出撃拠点となった。これにより、日本本土のほぼ全域がB-29の行動圏内に入り、本格的な日本本土爆撃が開始された。
カーチス・ルメイ少将が指揮を執る「第20空軍」は、1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに、日本各地の都市への無差別爆撃を開始した。特に、焼夷弾を用いた低高度からの夜間爆撃は、日本の木造家屋密集地帯に壊滅的な被害をもたらした。これらの爆撃は、日本の産業基盤と士気に大きな打撃を与えた。
原子爆弾投下[編集]
B-29は、第二次世界大戦の終結を決定づける原子爆弾投下任務にも使用された。1945年8月6日、ポール・ティベッツ大佐が操縦するB-29「エノラ・ゲイ」が広島市に、そして8月9日にはチャールズ・スウィーニー少佐が操縦するB-29「ボックスカー」が長崎市に、それぞれ原子爆弾を投下した。この二度の原爆投下は、日本の降伏を早める決定的な要因の一つとなった。
戦後の運用[編集]
第二次世界大戦終結後も、B-29はアメリカ空軍の主要な戦略爆撃機として運用された。朝鮮戦争では、北朝鮮や中国軍に対する爆撃任務に従事した。しかし、ジェット機時代の到来により、その性能は陳腐化し、1960年代には後継機であるB-50やB-36、そしてB-47、B-52などにその座を譲り、第一線から退役した。一部の機体は、空中給油機や偵察機などに改修され、しばらく運用が続けられた。
派生型[編集]
- XB-29: 試作機。
- B-29A: 主翼の再設計、機首機銃の増強など、細部の改良が施された生産型。
- B-29B: 後部銃塔を撤去し、爆撃能力を重視した型。
- B-29C: エンジンを改良した型。計画のみ。
- B-29D: エンジン換装型。後にB-50として制式化。
- KB-29: 空中給油機型。
- WB-29: 気象観測機型。
豆知識[編集]
- B-29は、その巨大さから「空飛ぶ工場」と呼ばれたこともあった。
- 非常に複雑な機体であったため、整備に多くの時間と人員を要した。
- 「エノラ・ゲイ」は、機長のポール・ティベッツの母親の名前から名付けられた。
- B-29の愛称「スーパーフォートレス」は、「フライングフォートレス(空飛ぶ要塞)」の発展型であることを示している。
- 日本では「P-29」と誤って認識されることがあった。これは、B-29の「B」が「爆撃機(Bomber)」を表すのに対し、「P」は「戦闘機(Pursuit)」を表すため、全く異なる種類の航空機を指すことになる。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 『世界の傑作機 No.108 B-29 スーパーフォートレス』文林堂、2005年。
- 『B-29の日本空襲』工藤洋三、光人社NF文庫、2004年。
- 『第二次世界大戦ブックス 13 B-29』太平洋戦争研究会、学習研究社、1997年。