第一次宗門問題

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第一次宗門問題(だいいちじしゅうもんもんだい)は、1977年(昭和52年)〜1979年(昭和54年)まで、日蓮正宗(宗門)と創価学会との間に起きた「教義の対立」のこと。「第一次創価学会問題」ともいう。

対立の発生[編集]

第一次宗門問題」は、1977年(昭和52年)頃から日蓮正宗(宗門)の内部に、日蓮正宗の信徒団体の創価学会の影響力が大きくなったことで日蓮正宗(宗門)が創価学会の支配下に組み込まれるのではという「警戒心」や「危機感」を抱いた日蓮正宗(宗門)の若手の僧侶グループの「活動家僧侶」(のちの正信会)という若手の僧侶グループが、当時の創価学会の内部にあった「日蓮正宗寺院僧侶の軽視」や「池田大作本仏論」などの創価学会の「教義の逸脱」(謗法)について「活動家僧侶」(のちの正信会)が創価学会を批判した「正信覚醒運動(しょうしんかくせいうんどう)」という日蓮正宗(宗門)の内部で、創価学会を批判する動きが起きた。

お詫び登山[編集]

1978年(昭和53年)11月には創価学会の池田大作(第3代会長)が創価学会幹部2000名を率いて静岡県富士宮市にある日蓮正宗の総本山の大石寺に「お詫び登山」を行なった。創価学会が日蓮正宗(宗門)の「教義の逸脱」(謗法)を謝罪して、日蓮正宗(宗門)の首脳部と創価学会の首脳部との「話し合い」が行われて、日蓮正宗(宗門)と創価学会は「僧俗和合」で融和・協調路線を維持することが確認された。

対立の収束[編集]

1979年(昭和54年)4月24日に、創価学会の池田大作(第3代会長)が会長を辞任した。池田大作は名誉会長に就任した。後任は、北条浩が創価学会会長(第4代会長)に就任した。

1979年(昭和54年)5月3日に、東京都八王子市創価大学の体育館で、「創価学会総会」が開催されて、日蓮正宗(総本山 大石寺)の第66世法主の日達 (日蓮正宗の僧)が「第一次宗門問題」の収束を宣言した。

しかし、日蓮正宗(宗門)と創価学会の間には水面下では「確執」が存在していた。

12年後の1991年(平成3年)には日蓮正宗(宗門)と創価学会との間に「第二次宗門問題」という「教義の対立」が起きた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]