第二次宗門問題
第二次宗門問題(だいにちじしゅうもんもんだい)は、1991年(平成3年)に日蓮正宗(宗門)と創価学会の間に起きた「教義の対立」のこと。 1991年(平成3年)11月28日に日蓮正宗の信徒団体から、創価学会が「破門」された。「第二次創価学会問題」ともいう。
対立の背景[編集]
1977年(昭和52年)〜1979年(昭和54年)には日蓮正宗(宗門)と創価学会との間に「第一次宗門問題」という「教義の対立」が起きたが、1979年(昭和54年)5月には、両団体は一時的に「和解」した。
しかし、日蓮正宗(宗門)と創価学会の間には水面下では「確執」が存在していた。
11年後の1990年(平成2年)11月頃に、創価学会の池田大作(名誉会長)が創価学会の会合(本部幹部会)で日蓮正宗(宗門)を馬鹿にするような「問題発言」を行なったとされる。
1990年(平成2年)12月に日蓮正宗(宗門)は、創価学会の池田大作(名誉会長)を日蓮正宗法華講総講頭(信徒団体の役職)から解任した。
対立の激化[編集]
1991年(平成3年)1月から創価学会の機関紙「聖教新聞」で日蓮正宗(宗門)に対する誹謗中傷する新聞記事が掲載されて日蓮正宗(宗門)と創価学会の間に全面的な「教義の対立」が起きた。
戦後の、創価学会は、もともとは日蓮正宗の信徒団体だったが、1960年代(昭和30年代)~1970年代(昭和40年代)の日本の高度経済成長の時期に、田舎(農村部)で生まれ育った中学校卒業や高校卒業したばかりの若者が東京や大阪などの大都市にある企業に集団就職などで働きに出てきた若者たちに「折伏」という強引な宗教勧誘で、学会員の信者数を大幅に増加していた。
1970年代(昭和40年代)には日本で創価学会が巨大な宗教組織になったことで、日蓮正宗(宗門)には創価学会から多額の御布施(寄付金)が入るようになったが、一方で、日蓮正宗(宗門)は、創価学会の影響力が大きくなったことに、日蓮正宗(宗門)が創価学会の支配下に組み込まれるのではという「警戒心」や「危機感」を抱くようになった。
また、1977年(昭和52年)以後から創価学会の独自色の傾向が強まって、創価学会の内部に「日蓮正宗の寺院や僧侶を軽視」や「池田大作本仏論」などの日蓮正宗の「教義を逸脱」(謗法)する傾向が強まり日蓮正宗(宗門)と創価学会との「教義の対立」が顕在化していた。
1979年(昭和54年)5月に、日蓮正宗(宗門)と創価学会との間の「第一次宗門問題」という「教義の対立」は収束して一時的に「和解」した。
しかし、日蓮正宗(宗門)と創価学会の間には水面下では「確執」が存在していた。
1991年(平成3年)に、日蓮正宗(宗門)と創価学会との間には「第二次宗門問題」という「教義の対立」が発生した。
創価学会の破門[編集]
1991年(平成3年)11月28日に日蓮正宗(宗門)と創価学会との「第二次宗門問題」による「教義の対立」が原因で、創価学会は「破門」された。
現在の創価学会は、日蓮正宗(宗門)から分離独立しており、無関係の宗教団体となっている。
日蓮正宗(宗門)は、創価学会を「池田創価学会」や「池田教」と呼んで非難している。一方で、創価学会は、日蓮正宗(宗門)を「日顕宗」と呼んで非難している。
2026年(令和8年)現在でも、インターネットの電子掲示板やSNSなどで日蓮正宗(法華講)と創価学会の熱心な信者が激しい誹謗中傷を繰り広げている。