林家木久扇

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

林家木久扇(はやしや きくおう、1937年10月19日 -)は東京都出身の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長。本名は豊田 洋。

来歴[編集]

高校卒業後、食品会社に就職も退職して、漫画家の清水崑に弟子入り。その清水に話しぶりを評価されて紹介を受け、1960年(昭和35年)に三代目桂三木助に入門。桂木久男の名を貰うが、翌年三木助が死去。木久男は単身で八代目林家正蔵一門へ移籍し「木久蔵」と改名する。

1967年(昭和42年)、笑点の若手大喜利に初出演。2年後から大喜利メンバー入りし、2024年(令和6年)3月末に勇退するまで出演し続けた。
1973年(昭和48年)真打に昇進。

息子も父に弟子入りした落語家であり、自身の前座名に因んだ林家きくおの名を与えた。真打昇進に際して「有名になりたい」と言ったため木久蔵の名を譲ることとし、「笑点」の企画として新しい名を公募。その結果2007年(平成19年)に「木久扇」に改名した。

笑点では[編集]

立川談志司会時代に若手大喜利で初出演後、前田武彦司会時代に大喜利メンバー入り。当初はキャラ付けに悩んだが、チャンバラ映画を見たのを思い出し、大喜利の回答で鞍馬天狗になりきって「杉作、日本の夜明けは近い」と話したら、これが見事にハマる。また談志のアドバイスで与太郎キャラを演じる。

シンプルな駄洒落が多く、そのシンプルさ故に観客や司会者から先に答えを言われて座布団を没収されることが多く、物真似や歌で回答することや、字を書く問題で絵を描いて回答することもあった。時々上手い答えや鋭い答え、司会者や他のメンバーを罵倒する回答をすることもあった。自身のプロデュース商品である木久蔵ラーメンをネタにすることもあった。
春風亭昇太の司会就任後は師匠の彦六の物真似をしながら「そういう了見だから昇太さん。あんたんとこには嫁が来ない」と罵倒。結婚後は「お前さんの出した問題なんか、やらないよ〜!」「あんたの司会には愛がない」などと罵倒。勇退を発表してからは退職金代わりの2000万円を貰おうとしていた。

人物[編集]

  • 生家は日本橋の雑貨問屋で、幼少期は裕福だった。しかし太平洋戦争で使用人が出征し、東京大空襲で店は全焼。更に家族離散で小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えるなどお金で苦労した経験から「お金はあるに越したことはない」という考えを持つに至った。
    • 師匠彦六の経済観念について「噺の中に出てくる人物と同色の暮らし向きをして、若手落語家たちにあれが老成大家の未来像なんだと植えつけてしまった」と批判している。逆に六代目圓生、三代目志ん朝、九代目文治の経済観念を称賛している。
  • 楽屋で他の出演者に不意に変な儲け話を持ちかけるためにあまり話しかけられない、いわゆる「ぼっち」だとされる。
    • 過去に象を輸入して商売を興そうとしたが、ワシントン条約に引っかかって輸入できず大損した。
    • また、注ぎ口が二又に分かれる二口急須を考案し、一時成功するもこれも大損した。
  • 芸事にはかなり厳しく、彼の下で育った数と同じくらい廃業をした弟子の数も多い。
  • 多芸多趣味であり、落語界の外にも多くの知己を持っている。

一門弟子[編集]

直弟子にはひらがな混じりの高座名をつけることが多い。これは笑点で「漢字が読めないから」とネタにされたことがある。弟子が考えた上手いネタを笑点の大喜利で紹介することもあったが「ネタを弟子に考えさせておいて、それをパクる師匠」とネタにされたことも。

真打

持ちネタ[編集]