桂文治 (9代目)

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9代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1892年9月7日 -1978年3月8日)は東京都出身の落語家。本名は高安 留吉

経歴[編集]

東京日本橋小伝馬町の魚屋の家に生まれる。錦城中学校に入学するも1年ほどで退学。奉公先を転々とし、家業の魚屋を手伝いながら天狗連に出るようになる。

1915年(大正4年)、四代目橘家圓蔵に入門し落語家の道を歩み始める。

1960年(昭和35年)九代目桂文治を襲名。

1978年(昭和53年)3月8日死去。

人物[編集]

吝嗇家

落語界屈指の吝嗇家で知られ、彦六の弟子で「お金はあるに越したことがない」という考えの持ち主の初代林家木久蔵、ケチで有名な立川談志をして賞賛せしめるほどであった。ドケチに関する逸話は数多い。しかし大切な義理事への出費は惜しまず、むしろ他人よりも多く包むことを厭わない「美学のある吝嗇家」だった。

  • 鈴本演芸場の席亭に「毎週、これこれの日は早く高座に上がらせて下さい」と要請した。文治は刺身が好きで、鈴本演芸場からほど近いアメ横にある魚屋の特売日に早く高座を上がって帰りたかったから。特に水曜は翌日が上野松坂屋の定休日前でシャケが半額になり、なおかつ閉店間際には更に値引かれるため、高座よりもシャケの値段を気にしていたという。
    • そして買ってきた魚は当時としては珍しかった電気冷蔵庫に入れていた。しかし自分のものではなく、隣に住む正蔵の家の冷蔵庫。
  • 新聞を自分で取らず、隣に住む正蔵が取っているものを読んでいた。
  • 正蔵の得意料理である林家の牛めしが振る舞われる際に家にやってきて何杯も馳走になった。2杯目のおかわりは正蔵の前座がよそったが、3杯目以降は自分でよそって食べたという。
  • ある日楽屋でどこの天丼が一番美味いかという話題になった。その話題に文治は「勧銀が一番だ」と語った。文治は勧銀に多くの貯金をしており、月に一度設けられていた「天丼の日」に行くと上得意客の文治は別室に通されて無料で天丼を食べることが出来たのでそれが一番美味いという意味。
  • 入院中、「10足す10はいくつ?」と言われても答えられなかったが、「10円足す10円は?」と聞かれるとはっきりと「20円」と答えた。