映像文化関連産業労働組合

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映像文化関連産業労働組合(えいぞうぶんかかんれんさんぎょうろうどうくみあい)は、かつて存在した映画映像アニメーション業界の労働者を組織する個人加盟制の産業別労働組合[1][2]。略称は映産労(えいさんろう)[1][2]。「映像・文化関連産業労働組合」とも表記される[1]。旧称は日本映画放送産業労働組合[3]

全国労働組合総連合(全労連)、映画演劇関連労働組合共闘会議(映演共闘)、アニメーション共闘会議(アニメ共闘)に加盟していた[1]

名称[編集]

主として60年代の文献には「日本映画テレビ産業労働組合」と記載されている[4][5][6]。「映画テレビ産業労働組合[7][8]、「日本映画・テレビ産業労働組合[9]と記載されることもある。

主として70年代から90年代の文献には「日本映画放送産業労働組合」として記載されている。国立国会図書館デジタルコレクションによると、初出は日本子どもを守る会編『子ども白書 1970年版』(日本子どもを守る会、1970年)。「日本映画・放送産業労働組合」と記載されることもある[10]

主として90年代以降の文献には「映像・文化関連産業労働組合」として記載されている。国立国会図書館デジタルコレクションによると、初出は「(資料)主要労働団体組織系統表」(『官公労働』1993年7月号)。

2005年12月の映産労第25回定期大会で「映像文化関連産業労働組合」として法人登記すると決定し、改定された規約でも名称を「映像文化関連産業労働組合」としている[2]。ただしウェブサイトの名称は「映産労の通信 映像・文化関連産業労組」であり、「映像・文化関連産業労働組合」という名称も使用している[1]。映産労が加盟する全国労働組合総連合(全労連)の公式サイトは「映像・文化関連産業労働組合」と記載している[11]

正式名称は変更や表記揺れがあるが、略称は一貫して「映産労」である。

歴史[編集]

1965年5月に安保闘争の高揚を受けて[12]、数百名の組合員で結成された[2]映画演劇労働組合共闘会議(映演共闘)に加盟した[13]久美薫によると、大手映画会社や舞台劇関係者の組合の連合体として映演総連が存在したが、映産労は独立系映画プロダクションの協会を母体に結成された[14]。当時の独立系映画プロダクションの運営者は東宝争議東宝を離れた者が少なくなかった[14][15]。個人加盟の労働組合で、映画テレビCMを含む)の関係者が組合員になれた[14]中森謹重によると、フリーの映画労働者を中心にしており、この産業で初めての個人加盟の労働組合だった[6]

日本共産党系の組合であるとされる[16][17]山形雄策は『文化評論』1964年1月号に掲載された自身の論文「映画に関する党の政策と方針を確立するために」は日本共産党中央委員会宣伝教育文化部が組織的討議の結果をまとめたものであるとし、「映画テレビ産業労働組合」はこの論文が提起した「契約制度等に拘束されて、組合員の資格をもたなかった各職能の働き手や、中小経営の未組織勤労者たちが、たやすく労働組合に参加できるために、個人加盟の労働組合」を確立する方針を具体化したものだとしている[7]。『内閣官房調査月報』は「また日共は映画・テレビに関係している人々を結集する目的で個人加盟の全国単一組織として映産労(日本映画・テレビ産業労働組合)(昭40·5·5)を結成し、現在、独立プロ協組を吸収しつつある」としている[9]

テレビアニメの関係者も組合員となった。1965年に東京ムービーのアニメーター・畠山芳子(のち共産党系の武蔵野市議)が加盟したのがアニメ関係者の入会第1号だとされる[14]。東京ムービーでは非公然で少数の組合員が1965年に就業規則を、1966年に賃上げを勝ち取ったが[4]、1966年11月に畠山ら2人の組合員が事前通告無く解雇された[4][14]。畠山は映産労の支援を受けて解雇撤回の裁判を起こして東京地裁で勝訴し、1971年に国際放映(東京ムービーの親会社)と和解に達した[14]。同時期の東映動画労働組合小田部羊一の解雇撤回闘争と並び、日本アニメ界初の解雇撤回闘争であるとされる[14]。1968年から1973年にTCJでアニメーターの中村二三男の解雇撤回闘争が行われた。この際に映産労の組合員が東芝本社(『カムイ外伝』のスポンサー)とヤナセ自動車(TCJの親会社)の梁瀬次郎社長宅を囲んでデモを行ったことが、1969年にTCJからテレビアニメ制作部のTCJ動画センター(のちエイケンと改称)が分離独立した原因だとされる[14]。1970年代初頭には東京ムービーや竜の子プロダクションなどの大手アニメスタジオで映産労系の組合結成運動が行われた[14]。1971年に虫プロダクション(旧虫プロ)で手塚治虫が社長を辞任するとともに映産労系の組合が結成された[14]。1973年に虫プロは倒産、1977年に旧虫プロの労働組合を母体にして虫プロダクション(新虫プロ)が設立された[18]。映産労は東映動画労働組合、東京ムービー労働組合とともにアニメーション共闘会議(アニメ共闘)を組織した[19]。1979年時点で組合員数約100名の内80%をアニメーションに携わる労働者で占めた[20]

小松沢甫によると、東京ムービーの畠山解雇事件で各プロダクションの横断的組織が要望され、1967年に東京アニメーション同好会(アニドウ)が結成された。当初は映産労の外郭団体的な色彩が強かったが、内ゲバの末、1986年1月に三上芳晴が会長に就任してから純粋な同好会へと変身した[17]

ドレイ工場』(1968年1月)など実写映画の自主制作・自主上映活動を行った[21]。1966年に他17団体と「たたかう労働者の長編劇映画をつくる推進委員会」の結成に参加し、1967年に同委員会は「「ドレイ工場」製作・上映委員会」に発展した[22]。映産労は同委員会の会員となり、映産労委員長の島田耕は同委員会の常任委員を務めた[23]京都印刷出版労組劇団東芸京都労映が中心となって制作した『テントからの報告』(1966年3月)は関西での映産労の組織づくりに大きな役割を果たした[24][25]日本記録映画作家協会神奈川映画サークル協議会などとともに『横須賀をベトナム侵略の基地にするな』(1966年11月)[24]、日本記録映画作家協会、共同映画全国系列会議とともに『1960年6月安保闘争 不滅の足跡』(1969年)を制作した[26]。実写映画の自主制作・自主上映活動はアニメーションの自主制作・自主上映活動につながり、映産労が中心となって短編アニメ『つるのすごもり』(1971年9月)を制作した[21]。1969年に映産労は「アニメーション(動画)による自主制作・自主上映運動研究会結成のよびかけ」を行い、1970年に「「ツルの巣ごもり」を制作する会」が発足した[21]東映動画、東京ムービー、TCJ、虫プロ、竜の子プロ、AプロFプロアカネプロなどのアニメ労働者が『つるのすごもり』の制作に参加し[27]、その中には映産労に所属するアニメーターが数多くいた[21]。映産労の活動が活発だった70年代には『太陽の王子 ホルスの大冒険』を上映した高畑勲の講演会や大塚康生の動画の講義などが行なわれていた[28]

1980年代半ばにアニメ労働者を個人事業主フリーランス)として業務委託する契約が主流となり、映産労系の組合はほぼ壊滅したとされる[15]。1989年の結成時に全国労働組合総連合(全労連)に加盟した。当時の組合員数は60名[29]。1990年7月に映産労(アニメ共闘)や映演共闘などが下請会社と定期的に懇談を行い、経営者に組織化を促したことにより、下請会社の連合体として日本アニメーション協会が設立された[14]。1991年と1992年に映産労などのアニメ労働組合と日本俳優連合・外画動画部会(日俳連の声優部)が都内で共闘デモを行った[14]

2005年時点で組合員数は50名を切っていた[2]。組合員の高齢化などの理由により、2018年9月に練馬区の事務所を閉鎖し[30]、2019年1月に解散した[3]。映産労・アニメ対策委員会の公式サイトだった「アニメレポート」は元組合員OB有志が「研究団体と情報発信の場」として継続している[3]

組合員[編集]

分会[編集]

地域別[編集]

職場別[編集]

事務所[編集]

1971年時点で東京都渋谷区初台1-2に置かれていた[46]。1990年時点[47]および2005年時点で東京都練馬区富士見台2-30-5 虫プロ内に置かれていた[1]。2009年に練馬区高野台3-2-12 采明ビル2b アニメ活動センター内に移転した。アニメ活動センターは映産労虫プロ分会とNPO法人アニメーションミュージアムの会が共同で設立した事務所[48]

機関紙誌[編集]

  • 機関紙『映産労』[49] - 不定期刊[29]
  • 小冊子『アニメれぽーと』 - 不定期刊[29]。映産労アニメ対策委員会が編集・発行。1975年創刊。1980年半ばに休刊。2005年にインターネット版として『アニメレポート』を復刊[3]
  • 小冊子『ふきゅーニュース』 - 不定期刊[29]。映産労「ふきゅーニュース」編集委員会が編集・発行。2011年時点で休刊[50]

関連文献[編集]

  • アニメ6人の会編著『アニメーションの本――動く絵を描く基礎知識と作画の実際』(合同出版、1978年、改訂新版2010年)
  • 映産労スタジオメイツ分会編『映産労の歴史』(映産労スタジオメイツ分会、1984年)[51][52]
  • 映産労「撮影技術の手引き」編集委員会編『アニメーターのための撮影技術の手引き』(日本映画放送産業労働組合[アニメれぽーと別冊]、1988年)

出典[編集]

  1. a b c d e f 映像・文化関連産業労働組合 映産労のご案内と加入申込書 映産労の通信、2005年10月17日
  2. a b c d e 映産労第25回定期大会議案 規約改定についての提案 映産労の通信、2005年12月4日
  3. a b c d 「アニメレポートとは」ネット版 アニメレポート -Anime Report-
  4. a b c d 山岸一章『たたかう個人加盟労働組合』太郎書店、1967年
  5. 日本政治経済研究所編『日共・民青――研究・調査・対策の手引』日本政治経済研究所、1968年、390頁
  6. a b 中森謹重「テレビ産業の谷間」、堀江正規編『日本の貧困地帯 下』新日本新書、1969年、128頁
  7. a b 山形雄策「映画の現状と当面の課題」、日本共産党中央委員会文化部編『文化問題と日本共産党』日本共産党中央委員会出版部、1966年、82頁
  8. 山形雄策「日本映画の現状と民族的民主的発展のみち」『前衛』1967年12月号
  9. a b 「国内情勢の推移と展望-一九七〇年の時点に向けて- Ⅲ文化運動」『内閣官房調査月報』第13巻第4号(通巻148号)、1968年4月
  10. 中村博、石子順、隅井孝雄、子どもの文化研究所『子ども・教育とテレビ黒書――テレビを子どもの味方にするために』労働旬報社、1976年、277頁
  11. 加盟単産
  12. 映産労創立40周 第24回大会記念講演会 映産労の通信、2005年12月4日
  13. 間島三樹夫「映画の労働運動」『映画論講座 4 映画の運動』合同出版、1977年、97頁
  14. a b c d e f g h i j k l 久美薫訳者解説PDF」、トム・シート著、久美薫訳『ミッキーマウスのストライキ!――アメリカアニメ労働運動100年史』合同出版、2014年
  15. a b くみかおる「「良い作品を作ろう!」主義がもたらす弊害――日本のアニメはブラック業界」シノドス、2015年6月9日
  16. 岡本愛彦「文化の「人民化」へ第一歩を」『月刊総評』第204号、1974年7月
  17. a b 小松沢甫 『持永只仁の足跡――運命をきりひらいたアニメーション作家』小松沢甫[シネモノローグ文庫]、1985年、104-105頁
  18. 第22回 手塚治虫さん(マンガ家・アニメーション制作者)その2 練馬アニメーションサイト
  19. アニメーション共闘会議の討議資料から ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2011年7月22日
  20. 「グループ別主張と展開をみる(下)」『宣伝会議』第26巻第3号(通巻333号)、1979年3月
  21. a b c d e 玉井建也、吉田正高「戦後日本における自主制作アニメ黎明期の歴史的把握 -1960 年代末~1970年代における自主制作アニメを中心に-」『公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団年報 2010-2011 【附録】平成22年度 アニメーション文化調査研究活動助成制度研究成果発表PDF』徳間記念アニメーション文化財団編集・発行、2011年
  22. 「ドレイ工場」製作・上映委員会編『10万人の創造――映画「ドレイ工場」の記録』労働旬報社、1968年、23-27頁
  23. 「ドレイ工場」製作・上映委員会編『10万人の創造――映画「ドレイ工場」の記録』労働旬報社、1968年、236-239頁
  24. a b 山田和夫『日本映画の現代史』新日本新書、1970年、200-201頁
  25. 労働旬報社編集部編『関西争議団物語』労働旬報社、1966年、158-159頁
  26. 1960年6月安保闘争 不滅の足跡 ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2010年11月5日
  27. 山口且訓、渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』有文社、1978年、317頁
  28. 五味洋子「アニメーション思い出がたり その80 映産労の講演会」WEBアニメスタイル、2010年4月23日
  29. a b c d e 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第60集 1990年版PDF』労働旬報社、1990年
  30. 映産労解散のお知らせ ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2018年12月29日
  31. 有原誠治、大原穣子「対談 心がやさしくなれるとき」『女性&運動』1996年5月号
  32. a b 映産労・活動者交流会(2011.5.22)無事終会 ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2011年5月23日
  33. a b Aプロダクションの昔話 - 本多敏行インタビュー fullfrontal.moe、2024年1月26日
  34. 『シネ・フロント』第7号、1977年2月
  35. a b 野村又新「巻頭随想」『保育情報』第123号、1987年6月
  36. 仲間が京都で4名増えました! 映産労の通信  映像・文化関連産業労組、2005年11月3日
  37. 「読者で伝えあうコーナー」『学習の友』第410号、1987年10月
  38. 加盟組織 高知県労連
  39. 『愛労連』第22号PDF、愛知県労働組合総連合、1992年6月30日
  40. a b c d e 1983年「平和で安全な文化都市東京を」 アニメに働く人々へアピール ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2011年7月28日
  41. 加盟している労働組合 練馬労連
  42. アニメの制作体制の移り変わり ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2005年3月2日
  43. 幻の独立プロ映画「翔べ!イカロスの翼」がDVD化 ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2013年6月17日
  44. 『賃金・労働条件実態調査 1981年版 第1部』中立労働組合連絡会議、1982年、224頁
  45. 「NEWS FILE」『シネ・フロント』第105号、1985年1月
  46. 『最新情報源ハンドブック』産業能率短期大学出版部、1971年、13頁
  47. 『行政改革への提言 1982年~1990年 第3巻』記録ジャーナル社、1990年、478頁
  48. 映産労の事務所が引越し ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2008年12月20日
  49. 「映産労」133号です。 映産労の通信 映像・文化関連産業労組、2007年9月5日
  50. ふきゅーニュース ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2011年7月7日
  51. 戦後アニメーション労働運動の歴史 ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2011年7月9日
  52. 「平和への伝言」1980年代、アニメスタジオ労働組合と地域の労働組合、連携の記録 ネット版 アニメレポート -Anime Report-、2011年2月25日

外部リンク[編集]