政策構想フォーラム
政策構想フォーラム(せいさくこうそうフォーラム、英語:The Forum for Policy Inovation[1])は、シンクタンク。
概要[編集]
1976年3月に経済同友会の企画担当者だった広田一が東大教授の村上泰亮らと語らって設立した[2]。広田によると、革新系のシンクタンク「現代総合研究集団」を意識し、分権的方向をとる革新的保守が目指された[2]。任意団体[1]。事務所は東京都千代田区平河町のマンション内[1]。毎日新聞政治部『自民党-転換期の権力』(角川文庫、1986年)によると、月に1回、若手経済人と学者が集まって議論を行っている[2]。法人会員は堤清二、飯田亮、稲盛和夫、椎名武雄ら15人。研究会員は村上泰亮、佐藤誠三郎、公文俊平ら21人[2]。法人会員の多くが1984年に設立された第二電電に積極的に関わった[2]。研究会員の多くが1981年に発足した第二次臨時行政調査会の有力構成メンバーとなった[2]。佐藤と公文は大平正芳・中曽根康弘両内閣の有力ブレーンでシンクタンク「社会工学研究所」のメンバーでもあった[3]。フォーラムは「大平総理の政策研究会」や中曽根首相のブレーングループ、1974年に発足した官民合同のシンクタンク「総合研究開発機構」などとともに、「先進国病」への体制的な危機感を背景に形成された政策集団の一つであり、福祉国家=「先進国病」批判を行い、新保守主義の潮流を形成した[4]
設立時に発表する予定だった「生涯設計計画」は、三木武夫首相から三木らのシンクタンク「中央政策研究所」に売り渡すよう強引に求められ、三木内閣の目玉商品である「ライフサイクル計画」となった[5]。設立趣意書と最初の提言「新しい経済社会建設の合意をめざして・その1――中期展望と当面の不況克服策」で打ち出した「日本独自の福祉社会の建設(バラマキ福祉反対)」「責任ある分権の確立」「多角的安全保障を含めた柔軟な国際相互関係」は、第二臨調の基本理念である「活力ある福祉社会」「国際社会への積極的貢献」を先取りした[2][6]。1979年8月の「自由民主党研修叢書」(香山健一、公文俊平、佐藤誠三郎、高坂正堯の共同執筆)の発刊にも受け継がれている[7]。1976年12月に「脱「保革」時代の政治ビジョン――新しい経済社会建設の合意をめざして・その2」と題する提言を発表し、「新しい中間階層」の成立により保革対立の時代は終焉したと主張した[8]。フォーラムメンバーの佐藤、公文、村上は同月の第34回衆議院議員総選挙の結果を受けて、「脱「保革」時代の到来」(『中央公論』1977年2月号)を連名で発表した[9]。1980年に発表した「活力ある分権的情報社会へ・データ通信政策に関する提言」で電電公社民営化を提言し、1985年に実現した民営化の理論的支柱となった[5]。1985年5月に「学校教育行政の行改提言――教育改革の突破口としての規制緩和・撤廃」と題する提言を発表し、教育自由化論を主張した[10]。1990年7月に「関税化によるコメの市場開放を――国際強調と国内農業の発展を求めて」と題する提言を発表し、関税化によるコメ市場解放を主張した[11]。
2002年11月12日に「『社会投資ファンド』で民間投資需要を生み出せ」と題する提言を発表しているが[12]、それ以後の活動は不明である。
メンバー[編集]
1985年時点[編集]
- 代表者[1]
- 研究会員
1985年5月時点[1]。
- 法人会員
1984年8月時点[1]。
- 飯田亮(セコム)
- 稲盛和夫(京セラ)
- 江副浩正(リクルート)
- 太田新太郎(東邦生命保険)
- 河島喜好(本田技研工業)
- 北浦喜一郎(野村證券)
- 小林陽太郎(富士ゼロックス)
- 榊田喜四夫(京都信用金庫)
- 佐治敬三(サントリー)
- 四島司(福岡相互銀行)
- 椎名武雄(日本アイ・ビー・エム)
- 杉浦英男(本田技研工業)
- 田淵節也(野村證券)
- 堤清二(西武百貨店)
- 内藤明人(リンナイ)
- 松本誠也(パイオニア)
- 湯浅暉久(湯浅商事)
その他[編集]
1990年時点で速水佑次郎と蠟山昌一が代表世話人を務めていた[11]。
出典[編集]
- ↑ a b c d e f 季刊教育法編集部編『臨教審のすべて――臨教審を知るための一冊』エイデル研究所、1985年、182-183頁
- ↑ a b c d e f g 毎日新聞政治部『自民党-転換期の権力』角川文庫、1986年、23-26頁
- ↑ 毎日新聞政治部『自民党-転換期の権力』角川文庫、1986年、22-23頁
- ↑ 加茂利男「Ⅱ 「田中政治」から新保守主義へ――1970年代の政治過程」、歴史学研究会編『日本同時代史 第5巻 転換期の世界と日本』青木書店、1991年、52-54頁
- ↑ a b 上西朗夫『ブレーン政治』講談社現代新書、1985年、104-106頁
- ↑ 渡辺治「Ⅴ 「戦後政治の総決算」へ――戦後史の中の80年代」、歴史学研究会編『日本同時代史 第5巻 転換期の世界と日本』青木書店、1991年、145-146頁
- ↑ 神原勝『転換期の政治過程――臨調の軌跡とその機能』総合労働研究所、1986年、51頁
- ↑ a b 飯田経夫『私の経済学批判』東洋経済新報社、1979年、180-186頁
- ↑ 加茂利男「Ⅱ 「田中政治」から新保守主義へ――1970年代の政治過程」、歴史学研究会編『日本同時代史 第5巻 転換期の世界と日本』青木書店、1991年、58頁
- ↑ 季刊教育法編集部編『臨教審のすべて――臨教審を知るための一冊』エイデル研究所、1985年、112、170-183頁
- ↑ a b 「政策構想フォーラム・関税化でコメ市場開放提言」『食糧ジャーナル』第15巻第8号、1990年9月
- ↑ 西村清彦「「十二年の沈滞」からの脱却:『社会投資ファンド』で民間投資需要を生み出せ」経済産業研究所[RIETI discussion paper series]、2003年