ゴルダ・メイア
ナビゲーションに移動
検索に移動
ゴルダ・メイア(猶:גולדה מאיר)は、イスラエルの政治家。同国の5代目にして初の女性首相。
生涯[編集]
1898年5月3日、ロシア帝国統治下のキエフで生まれる。当時の名前はロシア風のゴルダ・マボヴィッツだった(後にヘブライ語のメイアへ改姓)。この頃のロシアではポグロムと呼ばれるユダヤ人迫害が苛烈を極めていたため、1906年にマボヴィッツは家族と共にアメリカに移住した。師範学校を卒業後、ヴィスコンシン州で教師を務めていたが、やがてシオニズム運動の影響を受け、1921年に夫とパレスチナに移った。イスラエル独立後の1949年、クネセト議員に初当選。マパイ→労働党政権の下で大臣職を歴任し、1969年にレヴィ・エシュコルが任期中に急死すると、メイアが新たな首相に選出された。メイアは「パレスチナ人は存在しない」と発言するなどアラブ側に対する強行姿勢をとったが、1972年のミュンヘンオリンピック事件でイスラエル選手団がパレスチナ人テロリストに襲撃されるなどの悲劇も起きた。1973年10月6日、エジプト・シリア軍の奇襲攻撃により第四時中東戦争が勃発。最終的にはイスラエル軍が勝利したものの、メイアの初動の対応の遅れが非難され、1974年6月3日、イツハク・ラビンに首相の座を譲り辞任した。1978年12月8日に80歳で死去し、ヘルツルの丘に埋葬された。
関連項目[編集]